平成16年8月24日 火曜日 晴れ アルハンブラ〜ミハス〜コスタ・デル・ソル
   
〈4日目〉ついにあのアルハンブラ宮殿へ

 今日はいよいよあのギターの名曲、タレガの「アルハンブラの想い出」のアルハンブラ宮殿に向かう。
この曲を初めて聴いたのは、初めてクラシックギターを買ってもらった中学1年生のころだと思う。
流れるようなトレモロが印象的な曲だ。世の中はエレキギター全盛でグループサンズが跋扈した時代
だったが、クラシックギターを弾き始めた少年は、まずナルシソ・イエペスの「禁じられた遊び」を
弾けるようになりたいと思い、次に目指したのはこの「アルハンブラの想い出」だった。あれから35年
くらい経つが、じつは未だにちゃんと弾けないでいる。要はやる気と根気にかけているということだ。
せめて本当のアルハンブラ宮殿で「アルハンブラの想い出」を聞いてやろうと思って、MDにイエペス
の演奏を録音してきた。
(追記 その後マンドリンオーケストラを再開してギターも特訓、60代にして何とか弾けるようになりました。)

〈アルハンブラ宮殿入り口 裁きの門〉

入口では入場を待つ人の列が長く続いている。やはり、スペインでも屈指の観光地の「アルハンブラ宮殿」は、
世界中から観光客が押し寄せているようだ。われわれはツアーでもありあらかじめ予約してあったので、別の
入り口からすんなり入場することができた。この「アルハンブラ宮殿」は、もともとスペインを征服していた
イスラムの王様の宮殿で、完全なイスラム様式で建てられている。「国土回復運動(レコンキスタ)」により、
最後のイスラムのスルタンがスペインの王女イザベラにこの宮殿の鍵を渡してアフリカに去ったのは1492年の
ことだ。この年はむしろコロンブスがアメリカ大陸を発見した年として知られている。実際は、コロンブスは
アメリカ大陸までたどり着けず、西インド諸島と呼ばれる島々を「発見」しただけで帰ったらしい。いずれに
しても、この頃から今では想像もつかないスペインの我が世の春が始まったということだ。

アルハンブラ宮殿は、イベリア半島最後のイスラム教国・ナスル朝が残した宮殿で、その建設はムハンマド1世
により始まり、14世紀後半、第8代ムハンマド5世のときに完成した。グラナダ王国として260年の栄華を極めた
難攻不落の要塞は、15世紀末にキリスト教国により陥落した。しかし、その美しさゆえに破壊を免れ、その後も
増築が繰り返されて世界有数の宮殿になった。アルハンブラとはアラビア語の「アル・ハムラー
〈赤いもの〉から
来た言葉で「赤い城」という意味だという。

 

〈数百年以上も前の城壁が続く〉
 しかし、去っていったイスラムの王様は偉かったね。凡人だったら退却するときは一切合財打ち壊していきそうなものだが、無血開城をして静かに去っていったそうだ。またそのあとに入城したイザベラも偉かったと思う。異教徒の建てた建築物をそのまま使用しているわけだから。

二人の心が広かったおかげで、われわれはこうしていにしえの名建築を見ることができる。ま、これほどの建築物だからイザベラも壊す気になれなかったのだろう。

〈タイルが美しい〉
 裁きの門を通っていよいよ宮殿に入る。アラヤネスの中庭であらかじめ録音してきたイエペスの「アルハンブラの想い出」を聴きながら感慨にふける。

いたるところにあるモザイクタイルが美しい。今から数百年も前にこのような美しいタイルを使って建築していることにおどろく。1400年代といえば日本では室町時代で金閣寺・銀閣寺が建てられたころか。これはこれですばらしい建築物がいまに残っているということだけど、やはり草食動物と肉食動物の違いだろうか。大使の間、二姉妹の間とかのいわれをガイドしてもらいながら「ライオンの中庭」に着く。

〈ライオンの中庭〉
ライオンの中庭

 ライオンの噴水はちょうど故障しているらしく、ライオンの口から出ているはずの水は出ていなかった。本来ならばこのライオンの噴水は時計の役目をしていて、1時には1頭のライオンの口から、2時には2頭のライオンの口から水を出すという仕掛けになっているらしい。

このライオンの噴水はどこかで見たことがあると思っていたら、本牧にあるマイカルの中庭のライオンの像そのままであった。マイカルがそっくりそのまま、このアルハンブラのライオンの噴水をまねて設置していたのであった。いままでまったく気づかなかった。不覚だった。

〈ライオンの中庭とイスラムの建物〉
アラヤネスの中庭

 アルハンブラ宮殿は丘の上に建っているのにやたら水を使った仕掛けが多い。噴水もあちこちにあるし「アラヤネスの中庭」や「ヘネラリーフェ」のような美しい池が多い。アラヤネスの中庭はプールのような長方形の池がある中庭で大理石柱とアーチの回廊に囲まれている。池の両側の建物には4つの部屋があり、スルタンの4人の妃の部屋になっている。

そのむかし、イスラムの王様たちが水にあこがれて、遠くシェラネバダ山脈から水を引いてきたらしいが、なんとも壮大なことを考えるものだ。

〈アラヤネスの中庭〉

〈アラヤネスの中庭〉

〈ヘネラリーフェの池〉
 ライオンの噴水の前にある部屋の、鍾乳石飾りの天井を見上げていると首が痛くなってくる。何しろ天井の細工がやたらと凝っている。なぜこのように天井の細工に凝ったかというと、イスラムの貴族たちはいつも床に寝転がってくつろいでいたのだそうだ。寝転がると確かに天井に目が行く。そこで、やたらと天井の装飾に力を入れたというわけだ。

イスラムは一夫多妻の宗教だから、アルハンブラ宮殿にはハーレムの跡が残っている。ハーレムには王様以外の男は入れないで、そこの女性は他の男に姿を見せることさえ許されなかった・・・とミチさんは言っていた。

〈アベンセラヘスの間の天井〉

8,017個の寄木細工を使った天井がすばらしい。
この部屋でアベンセラヘス家の騎士36人が、対抗勢力の
讒言にだまされた王の命で全員首を切られたという。
 ヘネラリーフェの池と噴水、糸杉の散歩道を通っていよいよアルハンブラ宮殿ともお別れだ。何年か前にそのころの大統領だったクリントンがこの場所を訪れて、あまりの美しさに奥さんを呼び寄せた・・・とまたまたミチさんが言っていたような気がするが、クリントンではなく他の人だったかもしれない。

とにかくミチさんはしゃべりまくっていたのだ。何もしないガイドよりはありがたいのだが、とにかくあまりにもしゃべりっぱなしなので、しまいには誰も聞いていないという状態だった。

〈糸杉の散歩道〉

〈イエペスのアルハンブラの思いでを聞きながら〉

〈アルバイシン地区を背に〉
白い街 ミハス

 またバスに乗り今度は白い街「ミハス」へ向かう。丘の上の白い街ミハスは町全体が白い建物しかないパッと見はきれいな町だった。しかし、観光用のロバがたくさんいて、あちこちにフンが落ちているし匂ってもいる、そんな町でもあった。

木の下を通るとき鳩がいるなとは思ったが、あとで恥ずかしい思いをすることになるとは、その時は思いもしなかった。

〈白い街 ミハス〉

〈パンフによく使われている通り 工事中だった〉

〈ロバのフンのにおいがたちこめる〉
アマポーラ

 日本人が経営しているという「アマポーラ」というみやげ物屋で買い物をしていると、日本人の店員さんから「頭に何か付いてますよ」と注意され、紙をくれたのでぬぐってみると鳩の野郎が見事に爆弾を落としてくれていたのだった。何気ないふりをしてキーホルダーをいくつか買ったものの、すぐにでも頭を洗いたかった。

ミハスではそんなにゆっくりもできなかったが、あちこち写真を撮りまたバスに舞い戻る。このあとは地中海に面したコルトバの「コスタ・デル・ソル(太陽海岸)に行き宿泊だ。

〈アマポーラ〉
冷たい地中海

 ホテルに着き荷物を部屋に入れると、着替えて地中海を見に行く。地中海はホテルから歩いて数分の距離だ。ホテルの窓からも見える。

地中海は思っていたより青くもなく波もなく瀬戸内海に似ていた。波の穏やかなときの熱海という感じもする。足をつけてみたが水が冷たい。一緒のツアーの人で水着を持ってきていて泳いでいる人もいたが寒かったろうと思う。真夏で40℃もあろうかという気候なのに、向かいはアフリカ大陸なのになんでこんなに水が冷たいのだろうか。

コスタ・デル・ソルはヨーロッパの保養地で、特にイギリスからバカンスに来ている人が多いらしい。日光の少ないイギリスから、太陽のさんさんと降りそそぐスペインの南の果てのリゾートに来て、太陽を目いっぱい吸収して帰るのだろう。海岸にはトップレスの女性がたくさんいたが、事前に「カメラには撮らないで」と言われていたので、ちゃんと言いつけを守ってカメラは向けなかった。

〈地中海 水が冷たかった〉
 晩御飯はガイドのミチさんと出会ったので、ミチさん行きつけのイタリアンレストランで一緒に食べることになった。とても二人では行けないだろうという場所だったのでありがたかった。ミチさんおすすめのパスタを食べ、ナポリから来ているというウェイターとの会話をミチさんに通訳してもらい楽しく過ごした。

帰りもミチさんといろいろな話をしながらぶらぶらとホテルに帰った。まだスペインに来てから4日目、早くもいろいろ見て目が回っている。

〈コスタ・デル・ソルのホテルにて〉
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