平成16年8月23日 月曜日 晴れ マドリッド〜コルドバ〜グラナダへ | |
〈3日目〉メスキータ〜ユダヤ人街〜ジプシーの洞窟でフラメンコ 本日は、アトーチャ駅からスペインの新幹線AVEに乗り、グラナダに向かう。このアトーチャ駅は、半年前に爆破事件があり何十人か犠牲になったところだ。日本でいうと東京駅みたいな主要駅だが、割と閑散としている。 駅の中に、植物園みたいなところがあった。 |
〈アトーチャ駅〉 |
AVEでグラナダへ AVEは日本の新幹線と比較しても遜色のない列車で、観光客が多いのか大きなスーツケースを置く場所が ちゃんと用意してある。快適にAVEは南に向かって走る。このAVEには、飛行機のようにイヤフォンが用意して あって音楽を聴くことができる。そして、そのイヤフォンは持ち帰ることができるのでちゃんともらってきた。 |
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〈スペインの新幹線 AVE〉 |
〈AVEに乗り込む〉 |
線路のわきは、右も左も広大なオリーブ畑だ。 スペインは世界一のオリーブ生産国で、イタリアにもずいぶん輸出しているそうだ。イタリア産としてあるオリーブオイルにも、かなりスペイン産があるとミチさんが言っていた。 3時間後、コルドバの駅にAVEが到着し、これからイスラム寺院「メスキータ」に向かうのだが、バスが一向に来ない。若い運転手が道に迷っているらしい。かなり待ったあげく、ついに一方通行を逆に入ってバスが到着。おとがめもなく出発できたのはいかにもスペインらしい。若い運転手はミチさんにしこたま怒られていた。 |
〈メスキータ寺院外観〉 |
メスキータ寺院 メスキータは、もともとイスラム教の寺院であったところだ。1492年、キリスト教の「国土回復運動(レコンキスタ)」 により、イスラム教がアフリカに追い落とされるまでイスラム文化はスペインを長く支配していた。 このメスキータ寺院も当時のイスラム文化の建物だ。膨大な数の大理石の円柱は、その昔ローマ帝国が崩壊した後の ローマの神殿からそっくり持ってきて再利用しているそうで、ひとつひとつの大理石の色が違う。ひとつの石切り場 から採取したわけではなく、すでにローマの神殿に使われていた柱を運んできたから白っぽいのも黒っぽいのも混在 しているというわけだ。 |
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〈メスキータ寺院〉 |
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〈メスキータ寺院にて〉 |
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〈イスラム教寺院とキリスト教教会が同居〉 |
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〈ローマから持ってきた円柱〉 |
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花の小径 キリスト教のえらいところは、アルハンブラ宮殿もそうだが、異教徒の建てた寺院をキリスト教の教会としてそのまま使用したところだ。本来ならば、異教徒の建物は徹底的に壊されても仕方ないところであろうが、おかげで現代の観光客は、当時の古い優雅なイスラム建築を見ることができる。 メスキータの近くに古いユダヤ人街があり、「花の小径」というきれいな通りがある。
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〈ユダヤ人街 花の小径〉 |
街のギター弾き ユダヤ人というのは、日本人にはなかなかその立ち位置が理解できない。日本人から見れば、同じヨーロッパ人にしか思えないが、ジプシーと一緒で、ヨーロッパでは古くから差別の対象であった。 この「花の小径」のレストランで、ガスパッチョとパンの食事をして、いくつかのみやげ物を買った。道では観光客目当てのギター弾きが、日本でもよく知られている「小さなロマンス(禁じられた遊び)」の曲を奏でている。よかったらギターケースに小銭でも入れてちょうだい、というところであろう。 |
〈メスキータのギター弾き〉 |
〈ガイドのミチさんと〉 |
〈ガスパッチョの店〉 |
午後は、またバスに揺られてグラナダに向かう。途中の道では、ガイドのミチさんが懸命に説明してくれるのだが、みんな眠りこけているようで、誰も聞いている様子はない。 荒野の一本道をバスはひたすら南下する。今晩は、グラナダのホテルに着いたあと、闘牛を見る人とフラメンコを見る人に分かれて食事をすることになっている |
〈こじんまりとしたグラナダのホテル〉 |
今夜の宿は、川沿いのこじんまりとしたホテルだ。となりが教会で学校もある。ホテルに着き荷物を部屋に置くと、喜多さんと二人で町のデパートに行ってみることにする。「エル・コングレス」といい、スペイン中あちこちの都市にある。 シエスタ〈昼寝)が当たり前のスペインでは、昼間にあいている貴重な店だ。グラナダのエル・コングレスは、ホテルから歩いて20〜30分のところにあった。 |
〈グラナダのホテルの前で〉 |
途中に屋台のような小間物屋がいくつもあり、飲み物やお菓子や切手などを売っている。そこで水を買った。値段は約80円。 エル・コングレスの1階は、日本と同じように化粧品や雑貨などが置いてある。喜多さんは友達のお土産に口紅を買った。2階へ上がると電化製品や衣料品が置いてある。スペインでも薄型テレビが流行らしく、日立やパナソニックやソニーのテレビが並んでいた。また、ホテルまでテクテク歩いて帰る。 |
〈エル・コングレス〉 |
フラメンコ組で夕食 出発前はスペインはこのごろ物騒で、犯罪が多いと聞いていたが、今のところ危険な目には会っていない。この町はのんびりした感じで、日本人がぶらぶら歩いていてもあまり危険な感じはしない。 この日の晩御飯は、フラメンコ組と闘牛組で分かれて食べることになっている。スペインといえば、フラメンコか闘牛であるが、牛を目の前で殺して楽しむという感覚がわからないから、喜多さんとふたりフラメンコのショーを選んだ。 |
〈フラメンコ組 ほとんどが女性〉 |
アルバイシン地区 このあとは夜遅くオプショナルツアーのフラメンコショーを観に、アルハンブラ宮殿の向かいにあるアルバイシン地区に向かう。このアルバイシン地区はジプシーの居住区で、山に洞窟を掘ってジプシーが今も住んでいる。 ジプシーはヨーロッパにおける賤民で、小学校にも行けない子どもがつい最近までたくさんいたという。最近丘の上に学校を作ってとりあえず子どもはみな学校に通えるようになった、とミチさんは言っていた。 |
〈世界文化遺産 アルバイシン地区〉 |
その昔、インドからカースト制の最下層の人たちがヨーロッパに流れてきてスペインに住み着いた のがジプシーの始まりで、ヨーロッパの人たちはエジプトから来た人と勘違いして「エジプシャン」から 「ジプシー」になったと、これもミチさんが言っていたような気がする。それとも本で読んだのかどうか 思い出せない。 |
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その本場のジプシーの人たちのフラメンコを、本物の洞窟住居で鑑賞した。 「ロス・タラントス」という店で、ここでは親子、兄弟姉妹、叔父叔母といった一族郎党でギターなどの楽器の演奏や、フラメンコのダンスを観光客に見せて生活している。 |
〈ジプシーの洞窟 ロス・タラントス〉 |
われわれ日本人のほかには、東欧から来たと思われるおとなしそうな人たちと一緒に鑑賞した。 洞窟の中は白く塗られていて、なぜか赤銅色のフライパンがたくさん飾ってある。床には黒っぽい大理石の板が敷かれていて、その上でフラメンコダンサーが足と手を打ち鳴らして、激しい踊りを繰り広げる。ギター奏者や歌うたいと一緒に観客もぐるりを取り囲み、ほんの1m前で激しい動きのフラメンコが堪能できるというわけだ。 |
〈伴奏はギターと手拍子だけ〉 |
カメラもビデオもOKだと言われていたのでバンバン撮りまくっていたら、年配のダンサーに「カメラ!」と怒られたので、若い女性のダンサーだけビデオに収めてきた。 いわゆるレストランなどのフラメンコショーではなく、本物のジプシーのフラメンコが見られたので大満足。
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〈ダンサーの右に座っている年配のダンサーに怒られた〉 |
店を出るともう深夜だ。坂道沿いに歩くと向かいにアルハンブラ宮殿がほのかに見える。明日は ついに念願のアルハンブラ宮殿を見ることができる。アルバイシン地区の狭くて曲がりくねった道を バスは駆け抜けて、ホテルに戻ったのは日が変わろうかという頃だった。スペイン人は宵っ張りで、 9時くらいまで日も暮れないし、夜の12時などは宵の口という感じだ。 部屋に帰って事件が起きた。喜多さんがシャワーを浴びていると、風呂から悲鳴が聞こえてきた。 何事かと駆けつけてみると、喜多さんがシャワー用のカーテンをかぶって浴槽に転がっている。足が 滑ってバランスをくずしたのでカーテンをつかんだところ、カーテンが外れてカーテンごと浴槽に 倒れこんだという次第だ。胸だか腕だかを打ったらしく痛いと言っている。とりあえず助け起こし たが、医者に行くのも大げさな気がするので、日本に帰ってから病院に行くことにする。あまり大事 にならずにすんでほっとした。横浜に帰ってから病院で見てもらったら単なる打撲だったそうだ。 スペイン人はこれから食事をしたり酒を飲んだり楽しむ時間なのだろうが、日本人は寝る時間なので、 早々にベッドにもぐりこんで寝ることにする。 |
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〈アルハンブラ宮殿〉 |
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