平成20年 8月14日 山口〜下関〜岩国 ローカル線の旅 山口編
   
 昨日は、瀬戸大橋を電車で渡り、岡山駅で山陽本線に乗り継ぎ、山口県の厚狭(あさ)という駅まで延々ローカル線に揺られてやってきた。

弟は美祢(みね)というところに単身赴任している県警の警部だが、社宅と呼んでいる寮に一人住まいだ。厚狭から美祢まで美祢線で行こうと思ったが、車両故障なのか電車が止まっている。

ちょうど夕方で勤務も終わるようだから厚狭駅まで車で迎えに来てもらい、弟の「社宅」に向かう。


翌日は弟も休暇を取ってくれて、地元だがあまり観光をしたことのない山口県を案内してもらうことにする。

〈清水がわき出る池〉

〈長門市千畳敷から望む日本海〉

〈長門市油谷の棚田と日本海〉

〈長門市油谷の棚田 美しい〉

〈山口県にこんないいところがあったとは・・・〉

〈角島(つのしま)大橋 CMにもよく使われるそうだ〉

〈角島大橋を渡る〉
 実は、僕は山口県出身なのだが、18歳で東京に出てきたから、山口県を隅々まで知っているわけではない。行っていないところも多い。

今日、弟に案内してもらったところは山口県なのに、どこも初めてのところばかりだ。それにしても日本中どこに出しても恥ずかしくない景色ばかりだ。これを見た人はきっと行ってみたくなるのではないでしょうか。


長門市の千畳敷、棚田を見た後、下関市豊北町の角島大橋に連れてきてもらった。話には聞いていたが、澄み切った日本海に白い橋が形よく伸びる。CMによく使われていると聞くが、確かに素晴らしい景色だ。

この後、角島に渡り港で生きたイカとサザエを購入。サザエはこんなに安くていいのと言いたくなるくらいのボリュームだ。これは、今日岩国の家にお土産として持ち帰り料理してもらうことにした。

〈生きたイカを購入〉
 
〈下関の関門橋 狭い海の向こうは九州だ 幕末ここで米英仏蘭の四ヵ国を相手に長州が戦った 火の山公園より〉
 
〈下関 赤間神宮と言えば耳なし芳一の怪談 右は耳なし芳一の像〉
 この関門海峡は、源平の壇ノ浦の合戦の舞台だ。
二位の尼に抱かれて入水した幼帝安徳天皇を祀った神社で、小泉八雲の怪談「耳なし芳一」でも有名だ。

この赤間神宮は、小学六年生の時の修学旅行で来た。神社の神主さんに耳なし芳一の話を聞いたのを覚えている。

琵琶語りの名手で目の見えない芳一は、夜分誰とも知れぬ男から「さる貴き御方のために琵琶をつかまつれ。御題は平家物語」と指示される。男の引く手のままについていくと、たくさんのざわめきが聞こえる。芳一の語る平家の衰亡にあちこちからすすり泣きの声が・・・。二位の尼が幼帝安徳天皇を抱えて「海の中にも別の都がございましょうぞ」と身を・・・と語った時、芳一ははっと気がつく。


ここは・・・と手を伸ばすと、一基また一基と墓石に触れる。
これこそ、平家ゆかりの7人の武将を葬った七盛塚であった。

(鈴木静一 西海の挽歌より)

〈平家ゆかりの7人の武将を葬った七盛塚〉
 
〈功山寺 高杉晋作が奇兵隊を挙兵した寺として有名 嘉暦2年(1327)開山の名刹〉
 
〈高杉晋作が葬られた東行庵と晋作直筆ののぼり〉
 今年、2010年はNHKの龍馬伝に、長州の偉人もたくさん登場する。

幕末、長州は狂ったのかと思われたほど勤皇と攘夷に突き進む。
毛利の殿様は「そうせい候」といわれるほどの鷹揚な凡人だったようだが、桂小五郎、高杉晋作らの上級武士が、伊藤博文、大村益次郎などの足軽、農民階級の有能な人材を登用した。これは270年の封建制に凝り固まったほかの藩には理解できないことだった。門閥主義で、能力はなくとも家柄だけで代々職を世襲した徳川幕府に日本を守る気概などなかった。

幕末、薩摩や長州、土佐などに優れた革命家が輩出したが、中でも、高杉晋作の29歳の短い生涯が圧倒的な光を放つ。坂本龍馬に匹敵するといってもよいだろう。


おもしろきこともなきよをおもしろく・・・と言って29歳で死んでいった晋作。
東行庵では愛人「おうの」が尼となって一生晋作の菩提を弔って暮らしたという。

〈レトロな駅舎 西岩国駅〉
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