平成26年7月31日 北海道2日目 札幌~支笏湖~洞爺湖~昭和新山~有珠山~小樽
札幌

 日本最北の政令指定都市で、全国の市で4番目の人口を有する北海道の政治・経済の中心的都市。人口193万人。

もともと「サッポロ」は現在の豊平川にアイヌの人々がつけた名で、その流路一帯の地名にも転用されたものであるとされる。由来はアイヌ語の「サッ・ポロ」sat-poro(乾いた大きい)であるとする説が有力だが、その意味するところについては「かつての豊平川が乾季に極端に水量が少なくなる川だったため」、あるいは「一帯が乾燥した広大な土地であったため」と意見が分かれる。
(ウィキペディアより抜粋)ということなのだが、地図を見ると碁盤の目状に区割りがされ整然とした大都会だ。

〈札幌の街を路面電車が走る〉

〈札幌のシンボル 時計台を見に行く 日本三大がっかりモニュメントなどといわれるが歴史を知ると見ごたえがある〉

〈さんざん残念だった話を聞いているので思ったより立派じゃないの との感想〉
 
   

〈札幌農学校の演武場として建てられ最初は鐘が吊るされていたが、開拓長官黒田清隆の命令で時計台を設置することに 右は新渡戸稲造のノート すごい〉

〈大通公園とテレビ塔〉

〈札幌ではビール祭りの最中だった〉

〈北大にクラーク像を見に行くがたどり着けず〉

〈北大の中に立派な蓮池があった〉

〈極楽浄土か?〉
   

〈札幌を後にして支笏湖へ 犬が気持ちよさそうに水浴びをする〉

〈北湯沢温泉「白絹の床」 川床が大きな岩盤になっている〉

〈白絹の床を歩いて冷えた足を足湯で温める〉

〈昭和新山に立ち寄る 昭和18年~20年にかけて畑が隆起した〉
昭和新山

 昭和新山は、1943年(昭和18年)12月から1945年(昭和20年)9月までの2年間に17回の活発な火山活動を見せた溶岩ドームである。当時は第二次世界大戦中であり、世間の動揺を抑えるために噴火の事実は伏せられ、公的な観測すら行うことができなかった。

地元の郵便局長三松正夫は、その成長の詳細な観察記録を作製した。これは後年、ミマツダイヤグラムと名付けられ、貴重な資料となった。また、三松は世界的にも貴重な火山の徹底的な保護と、家と農場を失った住民の生活の支援のために、民家から山になってしまった土地の買い取りを行った。このため昭和新山は三松家の私有地であり、世界でも珍しい私有地内にある火山である。
(ウィキペディアより抜粋)

〈有珠山にロープウェーで登ってみる〉

〈地面が突然盛り上がったらびっくりするだろう〉

〈有珠山山頂から見る昭和新山〉

〈山が赤いのは土が火山の熱で焼かれて煉瓦のようになったからだそうだ〉

〈有珠山山頂から見る洞爺湖〉

〈歩いて数分の有珠山火口へ〉

〈有珠山銀沼大火口 1977年の有珠山噴火でできた直径350mの過去最大級の火口だそうだ 活火山なのがわかる〉

〈有珠山は室蘭のすぐそば 太平洋が見える〉

〈りっぱな観光資源 たくさんの人が来ていた〉

〈この方が三松正夫さん 昭和新山は三松家所有の火山なのだそうだ〉

〈洞爺湖〉

〈毛無山展望所から小樽の街と石狩湾を見下ろす〉

〈ナホトカまで669km 東京まで841km〉

〈小樽の山に夕日が沈む〉
小樽

 「おたる」の地名はアイヌ語の「オタ・オル・ナイ」(砂浜の中の川)に由来するのだそうだ。20世紀半ばまでは石狩地方で産出された石炭の道外への輸送や、ロシアとの交易で栄え、1920年頃までは、札幌の人口よりも多く、函館に次ぎ道内第二位の人口があった。しかし1960年代以降、石炭需要の低下と北海道内の炭鉱の閉山、ロシア貿易の衰退、太平洋側の苫小牧港や近隣の石狩湾新港の整備により港としての機能は衰え、人口も最盛期より35%も減少している。

レトロな町が観光資源となり、映画の舞台にもよく登場することから、中国・韓国・台湾からの観光客も多いそうで、ホテルでもタイ人らしき人が多かった。
この後は小樽といえば寿司、ということでホテルの近くの寿司屋横丁へ寿司を食べに行く。

〈ホテルのそばにあったレンガ横丁〉

〈夜の小樽運河〉

〈小樽駅 本日は寿司屋横丁で寿司三昧〉
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