平成26年8月1日 北海道3日目 小樽〜積丹半島(神威岬)〜泊〜長万部〜大沼公園〜函館
   

〈1985年に廃線になった手宮線をそのまま残している〉

〈旧日本銀行小樽支店〉

〈ホテルヴィブラントオタル〉

〈旧三井住友銀行〉

〈海猫屋(旧磯野商店倉庫) 小林多喜二の小説「不在地主」のモデルとなった磯野商店が建てた倉庫で村松友視の小説「海猫屋の客」で紹介され注目を集めたとある〉 

〈手造飴 飴屋六兵衛本舗〉

〈小樽清酒宝川 田中酒造〉

〈旧日本郵船小樽支店〉

〈横浜にも像がある赤い靴の女の子は小樽に住んでいたのだそうだ〉

〈小樽の新聞社に勤めていた野口雨情が作詞〉

〈運河公園と旧日本郵船小樽支店〉

〈旧澁澤倉庫〉

〈人力車のお兄さんに盛んに客引きされるが乗らない 歩きたいのだ〉

〈運河プラザのしゃちほこ〉

〈小樽も朝から暑い〉

〈ホテルヴィブラントオタルと宿泊したオーセントホテル小樽〉
   

〈ニセコ積丹小樽海岸国定公園〉

〈北海道の海水浴場ではテントを張ってバーベキューをするのが一般的とケンミンshowでやっていたが本当だ〉

〈積丹半島の先端 神威岬を訪れた〉

〈女人禁制の地 神威岬〉

〈先端の灯台まで歩いて約20分〉

〈シャコタンブルーといわれる海の色〉

〈馬の背を歩く 風が強いと吹き飛ばされそう〉

〈積丹半島を振り返る〉

〈神威岬灯台 この灯台は、北海道庁が明治21年(1888)から6年間にわたって20基の灯台を建設した最初の灯台だそうだ〉

〈カムイ岩(40m)とメノコ岩 2005年頃まではトドの上陸場で100頭以上が休んでいたこともあったそうだ〉

〈神威岬灯台と沖を行くフェリー 新潟へでも行くのだろうか〉
神威岬灯台

 「恨みますぞいお神威さまよ なぜに女の足を止める」(江差追分)
神威岬は風光明媚な景色を人々に堪能させてくれる一面、古くは西蝦夷三険岬の一つとして、
海の難所として知られています。灯台ができた明治21年
(1888)には職員3名が勤務し、灯台
にたどり着くには余別の集落から片道4kmも険しい山道を登ったり降りたりしていました。
強風時に岬に近づくと崖が続き一歩踏み外せば海に落ちてしまう怖いところが何か所もあり
子どもや女性にとっては困難を極め、灯台の職員家族や灯台を訪れる人は、海岸の大きな
石を飛び跳ねながら伝わって歩くのが普通でした。

生活は天水をため、これを生活水として利用し、電気のない時代ですのでランプを灯し、食料は
自給自足が欠かせなかったようですが、米・味噌・醤油・塩といった日用品は木船の備船で買い
出ししていました。「南無阿弥陀仏 ナムアミダブツ なむあみだぶつ 」大正元年
(1912)
10月の天皇誕生日に灯台長夫人と三歳の次男、補助員の奥さんがお祝いの食料品を買い出し
に余別まで行く途中大波にのみこまれ行方不明になっていしまいました。

村人たちはこれに心を痛め協力してトンネルを掘ることになり、手にタガネ、ハンマー、そして
掘り出した岩を運ぶモッコなどを持って集まり、光が届かない真っ暗な中、一ノミ一ノミ掘り続け
7年の歳月をかけ大正7年
(1918)に心温まるトンネル(念仏トンネルと呼ばれています)が完成
し灯台職員や家族、そして灯台を訪れる人たちの安全が守られてきました。
神威岬灯台は昭和35年
(1960)の無人化になるまで、職員90人とその家族により守られました。

参考文献:「北の灯台を守る人々」小山心平著 「灯台風土記」燈光社刊

第一管区海上保安本部 小樽海上保安部  平成21年9月
 

〈念仏トンネルの由来のプレートに書かれている内容は灯台の海上保安庁の内容とは少し違うが、左の写真の洞窟が念仏トンネル〉

〈神威岬はお勧めのスポット〉

〈泊の鰊御殿に立ち寄る 横浜ナンバーのバイクが来ていた〉

〈北前船 高田屋嘉兵衛もこのような船で蝦夷に来たのだろう〉

〈田舎の家にもあったシンガーミシン〉

〈ここは旧川村家番屋の鰊を捕る漁夫だまり〉

〈こちらは旧武井邸の商談の間〉

〈鰊は鯡とも書き、「魚に非ず蝦夷地の米」といわれ莫大な富をもたらしたそうだ〉

〈函館山にロープウェイで登り有名な函館の夜景を堪能〉

〈8月1日はちょうど花火大会が開催されていたので人でいっぱい〉

〈左端に青函連絡船が見えるがホテルはそのそばの函館国際ホテルに宿泊〉
 今日は小樽の街を散策後、積丹半島の神威岬、泊の鰊御殿を見学し、岩内、長万部、大沼公園経由で函館にやってきた。函館国際ホテルにチェックイン後、近くの居酒屋でホッケの刺身や焼き物でビールを飲んでからホテルに戻り、目の前で打ちあがる花火を見ながら、お土産にしてもらった寿司をつまむ。

函館山に上るバスの時間の制約があるので、花火は最後まで見ずに20:30、ホテルの目の前のバス停からバスに乗り、ロープウェイ乗り場まで。ロープウェイで函館山に上り、有名な函館山からの夜景を堪能する。
今日は思いがけず花火の日だったようで、函館山のロープウェイも人でいっぱいだ。花火の煙でかすんでいなければ夜景ももう少しきれいだったかもしれない。

〈ホテルの部屋から 国鉄時代の青函連絡船〉
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