〈17日目〉 平成21年 5月3日 日曜日 晴れ 贄川宿〜奈良井宿〜鳥居峠〜薮原宿〜宮ノ越宿

〈木曽海道六十九次之内 贄川 広重画〉
 
〈復元された贄川宿番所〉
贄川宿番所跡

 贄川宿は、北から木曽路十一宿に入る最初の宿で、江戸時代は尾張藩の番所が置かれ、
特に領内の木材や桧細工の搬出、婦女子の通行を厳しく取り締まった。
宿場の面影は、昭和5年の大火によってほとんど失われたが、眼鏡橋のたもとに贄川関所(番所)が復元されている。

今回、車は塩尻のホテルに置いて電車で移動しようと思っていたが、何しろ各駅停車は2時間に1本くらいしかない。
名古屋と松本を結ぶ特急は多いのだが、ローカルな駅には止まらない。
というわけで、車を本日の終点、宮ノ越駅近くの「義仲館」の駐車場に置き、電車でこの贄川駅まで戻ってきた。
これでいつ宮ノ越に着いても、電車を待たずにすぐ塩尻のホテルに戻れるというわけだ。

その代り、宮ノ越までたどり着かないと車にもたどり着かないということなのだが、一抹の不安が・・・。
木曽節の橋

 贄川駅に降り立った弥次喜多コンビは、次の宿場「奈良井宿」に向けて歩き始めた。

橋の欄干が「木曽節」のメロディーになっているそうで、早速喜多さんはハンマーで叩いてみる。
う〜ん、ちょっと無理がある。
どうひいき目に聞いても音が単調すぎて木曽節には聞こえない。

もう少し筒の長さを調節して、誰が聞いてもその音階に聞こえるようにすべきだが、これも余計なお世話か。

〈木曽節を奏でる?橋〉
 
〈漆器店 まるはち〉
  
〈贄川宿をゆく〉                             〈秋葉神社 津島神社〉                〈火事の多かった贄川宿は水場を保存〉

〈国重要文化財 深澤家住宅〉
深澤家住宅

 残念ながら、国の重要文化財に指定されている「深澤家住宅」の前にも車が止まっていて、はっきりって邪魔なのだがどうしようもない。

ひのきや漆器店を過ぎてすぐに右に入り、線路を越えるのが正しい中山道らしい。

中央本線や国道19号線に分断されて、なかなか旧中山道を歩き続けるのは難しい。

〈ぬりものの店 ひのきや漆器店〉

〈長野県天然記念物 贄川の栃〉
贄川の栃

 推定樹齢千年、樹高33メートル、根本周囲17.6メートルの栃の巨木で、元文5年(1740)の書物にすでに大樹として記述されているそうだ。

あまたある木が、すべてこの栃の木のように大木になれるわけではない。地元ではこの栃の木を神と崇めているらしい。

古来、日本ではあらゆるものに神が宿るとして崇めてきた。
かまどにも、大木にも、高い山にも神は宿っていた。
八百万の神々だ。

だから本来一神教の宗教など、日本人は向かないはずなのにね・・・、というような崇高な話をしながら弥次喜多道中は続く。

〈この馬頭観音にも神は宿る〉

〈石仏群〉

〈ところどころに中山道の案内表示が〉

〈馬頭観音〉

〈中山道碑〉

〈陸ガメみたいな形の石が祀ってある〉

〈南無阿弥陀仏の文字が〉
 
〈水場にはコップが用意してある〉                               〈押込一里塚跡〉
 
〈新緑が美しい〉

〈七重八重花は咲けども山吹の実の(蓑)ひとつだになきぞ悲しき〉
山吹

このあたりは、山吹があちらこちらに自生していてきれいだ。

太田道灌が鷹狩りに出かけた時、にわか雨に会ったので、みすぼらしい家にかけ込み、「蓑
(みの)を貸してもらえないか」と頼んだところ、その家の少女が黙って差し出したのは蓑ではなく、一輪の山吹だった。

という有名な話を思い出しながら木曽路を歩いて行くと、漆器の町平沢まで1.8kmの道標があった。

〈平沢まで1.8km〉
 
〈長瀬ではベンチも大木〉

〈ワイドビューしなのがゆく〉
さるなし

 手前の「道の駅木曽ならかわ」で、「さるなしソフトクリーム」を食べた弥次喜多コンビは、おやつも少し仕入れて平沢の町に入った。

喜多さんの趣味は、行く先々で珍しいソフトクリームを食べることだが、「さるなし」とは、ぶどうと間違えるような木になる2〜3cmの丸い実で、キウイフルーツに似た味だ。

どんな味のソフトクリームかと期待したが、バニラにさるなしのジャムがかけてあるだけだった。
しかし、初めて食べる「さるなし」は予想以上においしい。
確かにキウイに似た味がする。
ジャムをお土産に買って帰ろうかと思ったが、重いので帰りにまた寄ることにする。

〈これがさるなしジャム〉

〈平沢に入った〉

〈町の紹介と芭蕉の碑がある〉
 送られつ送りつ果ては木曽の秋

芭蕉の句碑と平沢の案内を見て、諏訪神社に向かう山道を上る。


〈諏訪神社への古道〉

〈この石垣は中山道の史跡〉

〈諏訪神社〉

〈二十三夜の碑と説明板〉

〈平沢は街並みのほとんどが漆器店 ジョギングの旅人が挨拶をして駈けぬけていった〉
 
〈せっかくのGWなのにあいている店は少ない 人もいない〉

〈中山道 右漆器の町平沢 左奈良井宿〉

〈奈良井川に沿って歩く〉

〈木造の素晴らしい校舎 楢川小学校〉

〈奈良井大橋を渡って奈良井宿に入る〉
【第34次 奈良井宿 本陣1軒 脇本陣1軒 旅籠屋5軒 鳥居峠を控え奈良井千軒と呼ばれ栄えた】

〈岐祖街道奈良井宿 名産店之図 英泉画〉
 奈良井宿には二度ほど来たことがあるが、奈良井大橋を渡って来たのは初めてだ。

宿に入ってすぐいわゆる奈良井の町並みとは雰囲気の違う丸山漆器店があった。

この先の奈良井駅を過ぎると、時代劇の中に入ったような錯覚に陥る街並みが始まる。

〈丸山漆器店〉
  

〈GWだから当然観光客が多い〉
 
〈諸旅人牛馬御休み御泊り所 伊勢屋〉                                        〈上問屋資料館〉
奈良井の漆器

 喜多さんがなかなか店から出てこない。この漆器店で花瓶台を買うのだという。店頭にはいくつか漆器の花瓶台があったが、迷っていたらご主人が「奥にもあるよ」と案内してくれた。

奥の仕事場に案内してくれて、段ボールから幾つもの花瓶台を出して見せてくれたが、結局店頭にあったものを買うことにした。
申し訳ないですね。ほんとに。

しかも買った花瓶台は当然のように弥次さんに渡されて、余計なものを背負って鳥居峠を越えることになった。

このご主人が裏の仕事場の二階で漆塗りの作業をするのだそうだ。ケヤキや栃などの一枚板のテーブルがあったが、40〜60万円位する。もう少し大きい家に住んでいれば是非一枚欲しいところだ。

〈小島漆器店とご主人〉

〈奈良井宿の南のはずれ〉

〈高札場〉

〈水場〉

〈鎮(しずめ)神社〉
【鳥居峠が始まる】
 
〈この石段から鳥居峠は始まる〉
 
〈展望台からは駒ケ岳が見える〉
【第35次 藪原宿 本陣1軒 脇本陣1軒 旅籠屋10軒 お六櫛の主産地】

〈木曽街道藪原 鳥居峠硯ノ清水 英泉画〉
鳥居峠

 奈良井から2.5kmで鳥居峠(1,197m)に着く。
峠の一角に西方にそびえる御嶽山を遥拝する鳥居が立っていたことから、ここを鳥居峠と呼ぶようになった。
またこの峠は日本海に向かって流れる奈良井川と、太平洋に向かって流れる木曽川の分水嶺をなしていた。

藪原宿は野麦峠を越える飛騨海道の追分の宿で、諏訪へ向かう女性工員でにぎわったという。

〈熊除けの鐘〉
 
〈子産の栃 このあたりは栃の大木が多い〉

熊除けの鐘を鳴らす〉

〈藪原宿へ〉
 
〈鳥居峠も下りになった〉                                         〈丸山公園の信濃十名所 鳥居峠の碑〉

〈新緑の中山道をゆく〉

〈鳥居峠を下る〉

〈中山道の碑と石畳〉

〈原町稲荷社〉

〈原町清水ではおいしい水を一杯〉

〈ほとんど藪原の町に降りてきた〉
  
〈尾州御鷹匠役所跡〉                    〈中央本線沿いを下ってトンネルを抜ける〉                 〈防火高塀跡〉
 
〈お六櫛問屋 萬寿屋 篠原商店〉                                       〈藪原宿高札場跡〉
お六櫛

 この藪原宿は、お六櫛の主産地として最盛期には住民の6割以上が櫛で生活していたという。

お六櫛は、元禄年間(
1688- 1704)、持病の頭痛に悩んでいた村娘お六が治癒を祈って御嶽山に
願いをかけたところ、ミネバリで櫛を作り髪をとかしなさいというお告げを受けた。
お六はお告げのとおりに櫛を作り髪を梳いたところ頭痛が治ったので、ミネバリの櫛の名は広まり、
作り続けられることになったのだそうだ。

〈藪原駅に着いたが終点は次の宮ノ越だ〉

〈名古屋がだいぶ近くなった〉

〈国道19号線から使われなくなった古い国道に入る〉

〈忘れられた道は哀れだ〉

〈このあたりは使われなくなった道が多い〉

〈中山道を中央本線が分断する〉

〈仕方ないから線路を越えた〉
吉田洞門

 木曽路は少し前まで車もカーブの多い道を通るしかなかったのだろう。
新しくまっすぐに道が整備され、使われなくなった古い国道が放置されて荒れ放題になっている。
中山道は、この古い国道に沿っていたらしい。

地図に従って道なき道を行くと、突然中央本線に突き当たった。
左の写真の正面に見えるのが本来の中山道だ。
仕方がないから、左右を確認して喜多さんの手を取り線路を横切る。
左はカーブになっているからとても怖い。

でも、手前も向こう側も人が通れるように少し開けてあるから、やはり通る人がいるのだろう。
渡り終えてしばらくすると、特急電車が猛スピードで通り過ぎて行った。

その先のトンネルのようなところは、吉田洞門だ。
木曽路は山からそのまま川に落ち込んでいるところがほとんどだから、無理やり道を作るとなると
このように半分トンネルのような工法も必要なのだろう。

〈吉田洞門は人が歩けるようちゃんと通路が作ってある〉
 
〈木曽川が美しい〉                                             〈手作りの旧中山道入口案内〉

〈これも旧中山道〉

〈今は通れない中山道の案内〉
 かつてはカーブの連続だった国道19号線が、まっすぐに改修されて忘れ去られた道路がまた出てきた。

このガードレールの切れ目からその道に入る。

〈また棄てられた道路へ〉

〈旧中山道もこうして廃れていったのだろう〉

〈山吹が棄てられた道を飾る〉

〈橋の名前も山吹橋〉

〈みごとな山吹〉
【第36次 宮ノ越宿 本陣1軒 脇本陣1軒 旅籠屋21軒 木曽義仲が平家追討の旗挙げをした地】

〈木曽海道六十九次之内 宮ノ越 広重画〉
巴ヶ淵

 忘れられた旧国道19号線から少し行くと、まっすぐはトンネルになっているが、旧国道は大きく右に折れる。

この山吹橋を渡るともう宮ノ越宿だ。
山吹橋の名の通り、あたりは山吹が群生している。

その先には絶世の美女で、義仲の愛妾巴御前がここで水浴をし、また泳いでは武技を練ったという伝説が残る巴ヶ淵がある。

〈巴ヶ淵〉

〈木曽川の水量は豊富〉

〈山吹の茂る道を下る〉

〈木曽駒ケ岳には雪が残る〉
 
〈義仲の菩提寺徳音寺の山門 享保8年(1723)建立〉               〈巴御前像〉
 
〈木曽義仲像〉                                       〈木曽義仲と巴御前その兄今井兼平の墓〉
徳音寺

 徳音寺には木曽義仲と巴御前の墓があった。
東海道大津宿の「義仲寺」に芭蕉の墓と並んで木曽義仲の墓も巴御前の墓もあったではないか。
今井兼平の墓もたしか東海道沿いにあった。

平将門の首塚もそうだが、歴史上の有名人になると本当の墓だけではおさまらないらしい。
歴史的には実際に葬られたのは、大津の義仲寺であろうが、出身地の宮ノ越にも
墓がないわけにはいかなかったのだろう。

〈義仲館の義仲と巴御前〉
義仲館

 この義仲館には、昨年7月に妻籠・馬籠に平塚のお母さんと喜多さんと車で遊びに来た時に立ち寄ってみた。

その時に、ここの駐車場は使えると思ったのだ。
義仲館の皆様、、一日中ただで車を置かせてもらってありがとうございました。

このあたりには宿泊できるところが極端に少ないので、今回は塩尻のビジネスホテルを拠点にしたが、次回は野尻宿と妻籠宿へ泊まりながら歩く予定だ。

今日のところは、また塩尻まで約35kmを車で戻る。

〈義仲館〉
目次
   
inserted by FC2 system