〈18日目〉 平成21年 5月4日(みどりの日) 月曜日 曇り 宮ノ越宿〜福島宿〜上松宿
【上松宿 寝覚の床】
 
〈浦島太郎が玉手箱を開けたという寝覚の床〉
 
〈木曽川の美しさ〉
 昨日に続き塩尻のホテルを車で出発した弥次喜多道中は、本日の終点「上松宿」の町営駐車場に車を入れ
昨日の終点「宮ノ越宿」に電車で戻ってきたのだった。

上松では、時間が少しあったので、2km先の「寝覚の床」を見物に行ってきた。
街道から階段を相当降りて、木曽川に広がる雄大な景色を堪能してきた。
これで次回上松から歩くときに立ち寄らないで済む。
【宮ノ越宿続き】
 
〈無人駅の宮ノ越駅〉                                〈昨日歩き終えたところから歩き始める〉
 
〈宮ノ越宿は中山道の中間の宿〉                                     〈江戸より六十六里三十五丁とある〉

〈宮ノ越宿の中山道〉

〈脇本陣 問屋跡〉

〈田中家の見事な彫刻〉

〈宮ノ越の民家 田中家〉
明治天皇献上の井戸

 宮ノ越宿は中山道の真ん中の宿なのだという。

街道沿いには、雰囲気の良い民家が残る。

この井戸は明治天皇が行幸のおり、本陣に小休止されたときにこの井戸水を献上したのだそうだ。

〈弥次喜多の前には3人の青年が〉
 宮ノ越駅で降りたのは、我々2人のほかは前をゆく青年3人だけだった。
へー、若いのが中山道を歩いているんだな・・・と思っていたら、この3人はこの先の道を右に折れて
山のほうに入って行った。

どうも中山道歩きではなく、山歩きをするらしい。
 
〈ここにも二十三夜の碑が〉                                          〈土蔵が木の家で保護されている〉
 
〈朝鮮風の石仏が 墓地守護として1996年に造られたそうだ〉
中山道の中間点

 ここは中山道の中間点、江戸、京都双方から六十七里三十八丁(約268km)に位置しています。

という案内板が突然畑の脇に出現した。
東海道のど真ん中の宿は「袋井宿」だったが、やっと中山道の半分まで来たということだ。

東海道は、ど真ん中の「袋井宿」を過ぎて、愛知県の「二川宿」に着くまで日帰りの街道歩きができた。

東海道に比べ、中山道はここまでずいぶん遠くに感じる。

〈中山道中間点の案内板〉

〈木曽駒ケ岳はまだ冬〉

〈地図にはない案内板が〉

〈細い道を下り〉

〈石に挟まれた道を行き〉

〈鉄の橋を渡る〉
 何年か前に歩いた人の地図を頼りに歩いていると、思いがけず近道の中山道案内板があった。
地元の人が立ててくれたのだろう。

歩道がなくて危険だと記した橋に、立派な歩道ができていたりする。
街道を歩いてみると、基本的には車のための道路が多いが、この道のように古道を保存していく
地元の人の思いも伝わってくる。
 
〈二十三夜の石碑とお堂〉                                           〈いかにも古そうな十王像〉

〈木曽義仲の学問の神様〉

〈山下天神の龍の彫刻〉
木曽義仲の神社

 このお宮は古くは山下天神と呼び、木曽義仲を養育した中原兼遠が義仲の学問の神として
勧進したものと伝えられています。
源平盛衰記に義仲を木曽の山下に隠し養育したことが記されていますが、山下は上田の古名で、
付近には兼遠の屋敷跡、義仲の元服松等の史跡があり、このお宮の古さを物語っています。
境内の「一位」の古木は銘木として知られ、中山道を往来する旅人は必ずここに杖をとめ参詣した
ものと言われています。

                                                      木曽町
 
 
〈300年続くそば屋さん くるまや〉                                           〈いままで食べたざるそばでは一番〉
くるま屋

 お昼少し前だったが、ちょうどそば屋さんがあったので入ることにした。
全然待たずに座れたが、10分後には長蛇の列ができていた。
このそば屋さんは、「くるまや」といい創業300年になるという有名な店だったのだ。
本店は木曽福島にある。

ざる蕎麦を弥次さんは2枚、喜多さんは1枚注文。基本は2枚で1人前だ。
今まであまりそばのうまさについては気にしていなかったが、この店のそばはうまかった。
コシがあり少し硬めなのだが、冷たい水によくさらしてあってつるつるだ。
のど越しがすごく良い。
すごく得した気分になって福島宿を目指す。

〈くるまやの向かいには経塚が〉

〈福島宿を流れる木曽川〉
【第37次 福島宿 本陣1軒 脇本陣1軒 旅籠屋14軒 木曽の中心地で木曽代官所や福島関所が置かれた】

〈木曽海道六十九次之内 福島 広重画〉
 
〈福島の関所に到着〉
 
〈木曽福島関所跡〉
【福島関所跡に植えてあった木曽五木】

〈木曽五木の内ひのき〉

〈木曽五木の内さわら〉

〈木曽五木の内ねずこ〉

〈木曽五木の内あすなろ〉
木曽五木

 木曽五木とは、木曽節にも唄われた木曽の五種類の銘木のことで、尾張藩により伐採が厳しく禁じられたそうだ。
木曽の山々は、古くから優秀な木材を産出することで知られていたが、江戸時代の初期に城下町の建設などで濫伐が進み、荒廃してしまったため、当時木曽の山を管理していた尾張藩により「木一本、首一つ」といわれる厳しい保護政策がとられた。

その際伐採が禁止され、保護された5種類の樹木がいわゆる「木曽五木」ということのようだ。

高野槇以外は、みんなヒノキに見えて区別がつかなかった。

〈木曽五木の内こうやまき〉

〈藤村の姉が嫁いだ高瀬家〉
高瀬家

 復元された関所の先に、島崎藤村の姉「園」が嫁いだ高瀬家があり、中が見学できるようになっていたが、
写真だけ撮って先を急ぐことにする。
「園」は「夜明け前」に出てくる「お粂」である。
ちょうどいま「夜明け前」を読んでいるので、親近感がわく。
「家」に出てくる「お種」であるとあるが、残念ながらまだ読んでいない。

〈中山道 池井坂〉

〈木曽銘酒 七笑酒造〉
 
〈上の段の古い町並みと高札場〉
 木曽福島という宿は、関所もあったし、木曽十一宿では中心の宿場だったのだろう。

島崎藤村の「夜明け前」にも、青山半蔵やその父親が、馬籠の本陣から木曽福島の役所に呼び出される場面がたびたび出てくる。

今日は、上松宿まで歩かなければならないので、そんなにゆっくりあちこち見学するわけにもいかないが、今度は別の機会にこの宿をゆっくりと散策してみたいと思う。

〈水場だが飲むには適さない〉
 
〈路地も絵になる〉                                                〈上の段井戸〉
 先ほど蕎麦を食べた「くるまや」の本店があったが、ここでもかなりの行列ができていた。

この頃、そば屋さんで昼食を取る確率がものすごく増えた。
洋食よりは和食、ラーメンよりはソバのほうが胃にやさしい。

〈くるまや本店〉
 
〈木曽福島の崖屋(がけや)造り〉
 土地が狭いため、木曽川沿いにはみ出すように家が建てられている。

山蒼く暮れて夜霧に灯をともす 木曽福島は谷底の町 太田水穂
不気味なトンネル

 本当は、このトンネルを通らずに、右に上がり国道19号線を越える道が正しいらしいが、なくなっている道もあるようなので、トンネル経由で行くことにする。

黒沢明の「夢」の中に、亡霊となった兵隊がトンネルを行進する場面があったことを思い出し、ちょっと気味悪い思いをしながらトンネルを歩く。

全く通行がないわけではないらしく、照明はついていた。

〈ちょっと不気味なトンネル〉
御嶽山遥拝所


 右手に、御嶽山遥拝所が見えてきた。

かつては、この場所から御嶽山が遥拝出来たのだろうが、今は大きく伸びた木に邪魔されて全く見えない。

木曽路の道筋の内、御嶽山が仰がれるのは、鳥居峠の他はこの地のみである・・・という案内板があった。

〈御嶽山遥拝所〉

〈御嶽山が見えない遥拝所〉

〈その先の道で御嶽山が見えた〉
 
沓掛一里塚

 雪をかぶった御嶽山を右に見ながら草むらの道を進み、また国道19号線に合流する。

その先の左手に沓掛一里塚があった。

この一里塚は上松の北の入り口である沓掛にあります。昔は中山道の両側にありましたが、明治43年(1910)中央本線の鉄道敷設工事の折に、山側の一基は取り壊され川側の一基が残っています。上松で原形をとどめているのは、この一基だけで貴重な存在です。この一里塚の位置は京へ六十六里江戸より七十一里です。

〈沓掛一里塚 江戸から71里〉
【木曽の桟(かけはし)

〈この赤い橋は木曽の桟ではない〉
 
〈この石垣が木曽の桟の跡〉
 桟(かけはし)やいのちをからむ蔦かずら 芭蕉(更級紀行)

 木曽の桟というのは、対岸に見える断崖絶壁に木曽川に沿って作られた木の桟道のことをあらわしています。(対岸にかけられた橋ではありません)
これが火災で焼失したので、尾張藩により慶安元年(1648)に、当時875両という大金をかけ中央部を木橋とした長さ56間(102m)に及ぶ石垣をつくりあげました。
寛保元年(1741)には、木橋の部分も石垣にしました。(中央部分の石組みが異なっています)

ということのようだが、山から川へほぼ垂直に落ちているこのような所を道にして歩いていたことに驚く。車で走っている分にはわからないが、先人の苦労がしのばれる。

〈木曽川の水は太平洋に向かう〉

〈歩道もここまで〉

〈歩道のない道を歩くのは怖い〉
平成木曽最大の難所

 「平成木曽路最大の難所」とガイドにも書かれている、歩道のない上松宿手前の約1kmを歩く。
大きなトラックがびゅんびゅん通り過ぎる。
車に乗っている人は、何でこんな所を人間が歩いているのかという顔をしている。
自分が街道歩きを始める前に、車で同じ場面に出くわすとそう思っただろう。
だけど、こんな危険な道でも歩いていかないことには中山道を歩ききったことにはならない。
ガードレールにへばりつくように歩いて、やっと上松宿にたどり着くことができた。
 
〈上松宿入口に到着〉

〈本町一里塚跡〉
  
〈上松駅前〉
 朝8時過ぎに入れた町営駐車場に戻ってきた。
上松の駅前には、木材の町上松を象徴するように大きなヒノキの柱が立っている。
遠目にはわからないが、よく見ると木の皮が張り付けてあるのがわかる。

それにしても、この駐車場の安さには感激する。
東京や横浜が高すぎるのかもしれないが、最初の2時間が50円、その後1時間20円。
一日中停めておいたけど、出庫するときに払ったのは170円だった。

中央高速を大月まで、富士五湖道路に入って御殿場近くまでは順調だった。
東名が異様に渋滞しているという情報だったので、246で帰ることにした。

・・・御殿場から横浜まで5時間かかって、自宅にたどり着いたのは翌日の1時になっていた。

〈道の駅からの木曽駒ケ岳〉
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