〈十一日目〉 平成20年 10月13日 月曜日(体育の日) 晴れ 軽井沢宿〜沓掛宿〜追分宿〜小田井宿
   
軽井沢寮

 夕べは、5時に寮に到着。すぐに風呂に入って、6時から夕食。
会社の寮だからわがままは言えない。
ビールを二人で2本飲んだら、眠くなってすぐに寝てしまった。

土曜日は二人の姪が遠くから訪ねてきてくれたから、羽田空港まで迎えに行きみなとみらいと中華街を案内し、みんなで中華料理を食べてきた。

だけど弥次喜多夫婦は、ひと月も前に中山道歩きのため寮を予約していたから、二人を自宅に置いて我が家の子どもに相手を頼み、中山道にやって来たのだった。

〈軽井沢寮〉
  
〈寮の庭 軽井沢らしい〉
沓掛宿へ

 朝8時からの朝食を済ませ、9時前に軽井沢駅の駐車場に車を入れもとの中山道に復帰する。

このあたりは、軽井沢でも本当の富裕層が別荘を持っているところだろう。旧軽井沢というところだ。
大きな別荘があちこちにあるが、別荘とは縁のない弥次喜多夫婦は、さっさと次の沓掛宿をめざしてあるく。

沓掛と言えば沓掛の時次郎。
その昔「てなもんや三度笠」という喜劇番組があったが、その中で藤田まことが演じていたのが「あんかけの時次郎」だった。白木みのるの珍念もいた。
あの頃は、テレビに色がつくなど思いつきもしなかった。

〈旧軽井沢の中山道〉
  
〈軽井沢の中山道にはシャレたホテルが〉      〈そのとなりには江戸時代が残る〉
【第19次 沓掛宿 本陣1軒 脇本陣1軒 旅籠17軒 今は中軽井沢になった】

〈木曾街道 沓掛ノ駅 平塚原雨中之景 英泉画〉

〈浅間山がみごと〉
浅間山

 中軽井沢駅の手前の川から、雄大な浅間山が見える。
浅間山は今も噴煙を上げているが、江戸時代には大噴火を起こし、村ごと消滅させたこともあった。
鬼押し出しに行けば、そのときの溶岩が今もごろごろしていてすごさがわかる。

群馬県の妙義山と違って、長野県の浅間山は富士山に似た優美さを持っている。
東海道を歩いたときと同じように、いつも右側にその姿を見せているが、今日のように晴天だからこんなに
きれいな姿が見れるのであって、本当にいい日に来たと偶然に感謝する。
  
女街道

 まっすぐの道は旧中山道であるが、左に折れる道は「女街道」と呼ばれる道だ。

この道は、上州下仁田に向かう街道で、女人が多く利用したことからこう呼ばれていたと言う。

道祖神や稲刈りの済んだ田んぼが中山道に良く似合う。

〈女街道入り口〉
 浅間山に雲の影が映り動く姿が、犬が走って行くようで面白い。
青い秋空に白い雲と、浅間山の淡い噴煙がきれいだ。

富士山の地元の人もそうだったが、浅間山の地元の人も当たり前すぎて、感動して見ることなどほとんどないのだろう。

〈浅間山に面白い形の雲の影が〉
 このあたりの家の石垣は、このように溶岩で作られているのが目に付く。
このような溶岩は、どこにでもあるのだろうか。
見た目にはあまり美しいとは言いがたいが、自然の力を感じる。  

そろそろ昼食時だが、この先に「おぎのや」の店があると喜多さんが言うので、そこでそばを食べることにする。
ここは、標高1003m。
左にはしなの鉄道「信濃追分」の駅がある。
単純に計算しても、平地と6℃違うことになる。
夏は涼しいが、冬は結構寒いのだろう。

〈溶岩の石垣〉

〈これより左上州 くさつ道〉

〈標高1003mの標識〉
【第20次 追分宿 本陣1軒 脇本陣2軒 旅籠35軒 中山道の宿の中で最も標高が高かった】

〈木曾街道 追分宿 浅間山眺望 英泉画〉
 右手に追分宿郷土館があったので入ってみることにする。

追分と言う地名は、東海道を歩いているときにもたびたび出てきた。
街道を歩く旅人は、追分で道を選び、あるときは京・大阪に、あるときは草津へ、ある時は信濃に向かって歩を進めたことだろう。

 さらしなは右 みよしは左にて
   月と 花とを 追分の宿

〈追分宿郷土館〉
  
〈郷土館館内〉                      〈大正時代の分去れ〉                  〈大正時代の信濃追分駅?〉
  
〈芭蕉句碑〉
堀辰夫文学記念館

 追分宿郷土館入場券に、堀辰雄文学記念館の無料優待券が付いていたので入ってみた。

堀辰雄といえば、「風たちぬ」であるが、松田聖子も「か〜ぜ〜たち〜ぬ〜」と歌っていた。

かつて文学を志した田舎の文学少年は、はるか昔に読んだ・・・ような気がする。

〈堀辰雄文学記念館入り口〉
村はずれの歌     立原道造

咲いてゐるのは みやこぐさ と
指に摘んで 光にすかして教へてくれた
右は越後へ行く北の道
左は木曾へ行く中山道
私たちはきれいな雨上がりの夕方
ぼんやり空を眺めて佇んでいた
さうして 夕やけを背にまっすぐと行けば
私のみすぼらしい故里の町
馬頭観音の叢に
私たちは生まれてはじめて言葉をなくしてたってゐた

〈右は越後へ行く北の道 左は木曾へ行く中山道〉

〈大正時代の分去り〉

〈平成20年の分去り〉
中山道六十九次資料館

 中山道にコスモスが映える。
狩人が、あずさ2号の後に歌った「コスモス街道」ということにしておく。

このあたりの旧中山道は、幹線ではないので車もほとんど通らない。気持ちよく弥次喜多道中を続けていると、喜多さんが「あれ〜」と声を上げた。

見ると道の右側に「中山道東京から京都まで自由に散策ください」とある。小さい橋を渡ると、その橋は1番目の宿板橋で、蕨宿、浦和宿、大宮宿と中山道69次がミニチュアで再現してある。坂本宿にはちゃんと碓氷峠が造ってあり、木曾には寝覚ノ床が造ってある。
喜多さんと二人で大うけに受けた。

〈コスモス街道〉
   
〈板橋宿〜安中宿へ〉
   
〈坂本宿〉                       〈追分宿〉                                           〈和田峠〉
 さっそく500円の入場料を払い二人であがりこんでみる。
受付にいたご主人が館長で、館内を案内してくださった。

話を聞いてみるとこの人はすごい人だ。
岸本さんというこの館長は、四国徳島の出身で高校の先生をしておられた。
中山道に魅入られたのか、この追分宿で個人の中山道69次資料館を建てられた。
奥さんも同僚だったのだろうか。二人でこの資料館を経営しておられる。あまり詳しい話は聞けなかったが、
本当にうらやましかった。
奥さんに案内していただいた後、お茶もご馳走になった。
どうもありがとうございました。
まだゆっくり見学したかったが、この先も歩かなければならないので、この館長が出版された
「中山道69次を歩く」という本を購入して先を急ぐ。

入館料は500円と少し高めだが、2回目無料券が付いていて、中山道を歩き終えた暁にはもう一度来て
じっくり見学させていただこうと思う。
   
〈中山道69次資料館 素晴らしい館内〉

〈ススキと浅間山〉
千ヶ滝湯川用水温水路

 この用水路は、千ヶ滝湯川用水温水路といい、アルプスの雪解け水をこの用水路で温めてから水田に送るのだそうだ。

確かにいきなり冷たい雪解け水を田んぼに流すと稲がびっくりするだろう。

〈温水路〉
 今日は岩村田宿まで歩くつもりで計画を立てていた。
そのためには、朝8時には歩き始めたかった。
しかし、寮の朝食は8時からなのでそれ以前に出発するためには朝食をキャンセルしなければならない。

それもしゃくなのでしっかりと朝食をとってきた。
だから出発が9時近くになった。
しかも、中山道69次資料館でたっぷり1時間くらい見学してしまった。

しかし、今回は悔いはない。
それくらい中山道を歩いている旅人にとって素晴らしい資料館だった。

〈堂々と中山道どまんなかを歩く〉

〈浅間山が後方に見えるようになった〉
 歩くスピードは遅いが、着実に前に進んでいる。
浅間山がいつの間にか後方に見えるようになってきた。

紅葉の時期には少し早かったが、好天の下快適に歩くことができた。
岩村田まで歩くことをあきらめ、次の小田井宿で本日の中山道歩きは終了することにする。

今回は車で来たため時刻表を持ってきていない。
冗談でこのあたりの電車は1時間に1本くらいしかないから、下手すると行ったばかりで1時間待ちだね。
と、言っていたら目の前を電車が軽井沢方面に通り過ぎていった。
ガーン!3時ちょうどの電車がしなの鉄道「御代田」の駅を出たばかりで、次は3時47分までない。
 仕方がないので、どこかでコーヒーでもと思ったが喫茶店もない。
ならばと、歩きを終了したところまで戻り続きを少し歩いておく。

今度来たときに戻らなくてすむように、駅の先までやっつけておくことにした。
中山道は、この地下道をくぐりしなの鉄道を越える。
 御代田駅の後方に浅間山が見える。

びっくりしたのは、こんなローカルの駅からでも池袋行きのバスが出ていることだ。
再度駅に着いたときにちょうど池袋行きのバスが入ってきた。
若い女性が一人乗り込もうとしていた。

軽井沢行きの電車に乗り10数分で軽井沢駅に到着。
車に乗り換えて、さあ帰ろうと思ったら、最初から大渋滞。
高速道路には乗らずに、横川経由でしばらく歩いてきた旧道を走る。

横浜の家に着いたのは、6時間後の夜10時過ぎだった。
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