〈十二日目〉 平成20年11月1日 土曜日 晴れ 小田井宿〜岩村田宿〜塩名田宿〜八幡宿〜望月宿 
 
   
【第21次 小田井宿 本陣1軒 脇本陣1軒 旅籠5軒 女性が安心して利用できたため「姫の宿」と呼ばれた】 
   

〈木曾街道六拾九次之内 小田井 広重画〉
   
小田井宿から続きを歩く

 今度の中山道は少しやっかいだ。
岩村田を過ぎると鉄道がないので、途中で歩くのをやめるとバスで新幹線上田駅まで帰るしかない。
一気に和田峠を越えて下諏訪に出れば中央本線が使えるのだが、2泊3日で出かけるのも気がひける。
悩んでいたところ、喜多さんはこの前の続きを早く歩きたいと言う。
娘は友人と京都旅行だと言うし、息子は大学の学園祭でほとんど家にはいないみたいだ。
子どもたちも行ってきたら・・・と言うので、甘えて出かけることにした。

磯子駅を早朝6時過ぎの電車で出発、横浜で東海道本線に乗り換え、東京駅7時24分の長野新幹線
あさまに乗り込む。今まで高崎線を使ってちんたらと出かけていたが、今回は3日間で諏訪湖まで
歩かなければならない。時間が惜しい。

軽井沢でしなの鉄道に乗り換えるのに待ち合わせが2分間しかない。
軽井沢駅に着いた弥次喜多夫婦は、走って新幹線の改札を抜け、しなの鉄道の電車に飛び乗った。
間に合ってよかった。この電車を逃せば50分も待っていなければならないのだ。

9時前に無事に前回歩き終えた「御代田駅」に着いた二人は、下諏訪に向けての60kmを歩き始めた。
御代田駅では数台のタクシーが並んで待っているが、我々のほかには誰も駅に降りる人はいない。
かわいそうだが、われわれはこれから歩くのでタクシーには乗ってあげられない。
   

〈東京駅7:24発 長野新幹線あさまに乗り込む〉
   

〈しなの鉄道で御代田駅に到着 駅の後ろには浅間山が〉
   
 
〈小田井宿の中山道をゆく〉
   
   

〈宿場の案内標識は親切だが、相変わらず誰も歩いていない〉
   
千曲バス

 疲れたらバスに乗ると言うことも視野に入れておく必要がある。歩いていて何があるかわからないが、今までは幸いにも事故や病気はなかった。

念のために、どこくらいの間隔でバスが走っているのか確認しておくことにする。時刻表が空間だらけで寂しい。見るとバスは1日に4本。しかも、土日は運休で1本も走っていないそうだ。

〈土日は走っていないバス停〉
   

〈宝珠院 樹齢300年のしだれ桜 町指定天然記念物〉
   

〈小田井宿本陣跡 安川家〉
   
 
〈中山道小田井宿の古い街並み〉
   

〈小田井宿問屋跡 尾台家〉
   

〈古くなりすぎて1階の軒を引っ張っている〉

〈飴屋さん 小林製菓 でも開いていない〉
   
 2日くらい前までは今日の天気は、予報が半分雨マークだった。せっかくの中山道歩きだから、できたら秋の青空の下を歩きたい。ただ、相手は自然だ。人間がどうこうできるものではない。

おとといリュックにはレインコート、雨用ズボン、リュックカバーなどを入れ雨に備えた用意をした。しかし、昨日の予報ではみごとに雨マークが消えていたので、今朝家を出るときに雨具はすべて置いてきた。

今のところ、快晴と言うわけには行かないが、雨の心配はなさそうだ。良い日に中山道歩きを決めたことに感謝して快適に歩く。

〈小田井宿でもハロウィンか?〉
   

〈浅間山には雲がかかる〉
   

〈旧中山道には一里塚が残る〉

〈国道の脇の旧道を歩く〉
   

〈リンゴがたわわに実る〉
   
リンゴ狩り

 喜多さんはりんご狩りをして行きたいのだと言う。
前に伊香保温泉に行ったときにりんご狩りをしたけど、あのりんごはうまかった。
やはり、スーパーの店頭に並んでいるりんごより数段おいしいような気がする。

りんごのまったくないところで育った弥次さんは、このようにたわわに実ったりんごには訳もなく感動する。
喜多さんは子どもの描く絵のようだといっていたが、緑の木を描いてその上に赤い丸を描けばそのとおりの風景だ。

喜多さんは前に友人の住む佐久平でりんご狩りをしてよかったから、もう少し先でりんご狩りをしたいという。
せっかく目の前にいくらでもりんごがあるのに、通り過ぎることにした。
 
   
 
   
【第22宿 岩村田宿 本陣・脇本陣0 旅籠8軒 内藤氏の城下町のため大名は泊まりたがらなかった】
   

〈木曾道中 岩村田 英泉画〉
   

〈住吉神社 岩村田宿の入り口に位置する〉
   

〈長野県には道祖神が多い〉

〈境内の大けやきの内側はうろになりタールが塗ってある〉
   
善光寺道標と雲龍寺

 この道標の前で写真を撮っていたら、近所のおばさんが「中山道はこの道ではなく、道路を渡った先を左に入った道だ」と教えてくれた。しかし、この中山道と善光寺道との追分がここにあるということは、やはりこの道が旧中山道なのではないだろうか。そう主張したが、喜多さんが地元の人が言うのだから間違いないだろうと、教えられた道に行ってみることにした。

おかげで、竜雲寺という武田信玄の墓があるという寺を見られたが、やはり中山道はこの道が正解だ。おばさんの教えてくれた道はもっと古い中山道なのかも知れない。

〈これより善光寺道の道標〉
   

〈武田信玄の墓があるという竜雲寺〉
   
大名も岩村田には泊まりたくない

 岩村田宿は内藤氏1万5千石の城下町で、旅人は城下町の堅苦しさを嫌ったので旅籠は少なかったのだそうだ。やはり飯盛り女もいるくつろげる宿の方が良かったのだろう。参勤交代で通る大名も城下町に泊まることを嫌ったので、本陣も脇本陣もなかったという。今も昔も人の気持ちは同じなのだと安心する。

岩村田は鯉料理の店が多いらしいが、その発祥は藩財政の建て直しに協力した並木七左衛門という豪農が、藩主から淀川産の鯉を礼に貰い育てたところ、千曲川の水が合ったのかすくすくと成長し、その名も高い佐久鯉になったことによるという。
〈中山道を歩く〉

〈岩村田宿 相生松 皇女和宮が東下の際野点をしたという〉
   

〈左手に見えるのは八ヶ岳〉
   

〈りんごは売るほどあるのに買えない せめて写真を撮る〉
   
リンゴで昼食の予定が・・・

 このあたりはどこでもりんご狩りができるかと、先ほどのりんご狩り園はパスしてきたが、
りんごはいくらでもあるのに人がいない。りんご狩りができる農園もない。
畑におばさんでもいれば、1〜2個売ってもらおうと思ったが、おじさんもおばさんもいない。
喜多さんは恨めしそうに携帯で写真を撮るのだった。

畑にいっぱいりんごが落ちているので、1個くらい・・・と言う考えもよぎるが、りんご1個でも
りっぱな犯罪。喜多さんは、昼食をりんご1個で済ませるつもりだったのだが、手を伸ばせば
届くりんごに手が出せず、結局昼食を食べそびれた。
   

〈刈入れの済んだ田んぼと浅間山〉
   

〈重要文化財 駒形神社〉

〈神社内には陰陽石が〉
   

〈古い中山道をゆく〉
   
 塩名田宿へ入る手前の製材所にびっくりするほど大きな木が置いてあった。喜多さんの背の高さより大きそうだ。さすがに長野県、こんな大きな木があるのだと感心する。

めったにないほどの木だから記念に1枚。

〈大きな木の横でひと休み〉
   
 
   
【第23次 塩名田宿 本陣2軒 脇本陣1軒 旅籠7軒 千曲川河畔の宿】
   

〈木曾街道六拾九次之内 塩なた 広重画〉
   

〈塩名田宿本陣・問屋跡〉
   

〈中山道沿いの骨董屋さん 中仙堂 千曲川手前に猫が3匹日向ぼっこ中〉
   

〈中山道と塩名田宿の街並み〉
   

〈江戸時代、舟を並べて橋にしていた その舟をつないでいた舟つなぎ石〉
   

〈舟つなぎ石は岩に穴をあけてある〉
   
   

〈江戸時代の舟橋〉

〈現代の橋には歩道橋も整備されている〉
   

〈小諸なる古城のほとり雲白く遊子悲しむ〉
   

〈大日様と浅間山〉
   

〈静かな静かな里の秋〉
   
 
   
【第24次 八幡宿 本陣1軒 脇本陣4軒 旅籠3軒 八幡神社が宿名になった】
   

〈木曾街道六拾九次之内 八幡 広重画〉
   

〈八幡神社〉
   

〈高良(こうら)社 八幡神社の境内にある重要文化財 延徳3年(1492)建立〉
   

〈中山道 八幡宿 ススキと浅間山〉
   

〈茂田井宿へ5.5km〉
   

〈弥次さんは車から目立つようオレンジ色のパーカーを買った〉
   

〈祝言道祖神 類例のない貴重な遺産とある〉
   
   

〈望月宿へはこんな山道を行く〉
   

〈望月宿への瓜生坂〉
   

〈里からは生活の煙が いまだに薪を使っているのだろうか〉
   
   

〈もうすぐ望月宿〉
   
 
   
【第25次 望月宿 本陣1軒 脇本陣1軒 旅籠9軒 8月の満月の日に朝廷へ名馬を納めたことから望月の名が】
   

〈木曾街道六拾九次之内 望月 広重画〉
   
 旅館 井出野屋

 望月宿に入った。
今日の宿はこの望月宿の井出野屋さんだ。
井出野屋さんは、木造三階建ての味のある旅館で、横溝正史の映画「犬神家の一族」のロケが行われたそうだ。

若き日の石坂浩二も泊まったという。
   

〈本日の宿 望月宿 井出野屋旅館〉
   

〈望月宿歴史民俗資料館〉
   

〈皇女和宮下向の際のお触れ〉
   

〈望月宿は素晴らしい宿だった〉

〈下駄の看板〉
   

〈三階への階段〉

〈山中の宿の夕食〉
   
 建物は大正14年に建てられた古い木造建築だ。
このような旅館に泊まる機会はなかなかないだろう。となりの客のいびきがよく聞こえる。

食事は長野県の山の中なので、当然海のものはない。
薬用にんじんや地の野菜の天ぷら、鯉の煮付け、馬刺し、山女の焼魚。
若い頃の弥次さんだったら、結構きつい思いをして食べたかも知れない。

しかし、今の弥次さんは「郷に入っては郷に従え」の言葉通り、その土地の食事を食べるのが一番だと思うようになった。
食事はそれぞれにおいしかった。特にそばがうまかった。きっとここのご主人が打ったばかりのそばなのだろう。
 
   
   

〈御主人の趣味か マリリン・モンローのカレンダーが何年分も この三和シャッターのカレンダーはD社制作〉
   
 3日連続の中山道歩きの初日、予定通りに歩いてきた。
今日の小田井宿からの中山道は天気にも恵まれ最高に良かったが、
食事を7時に済ませると、後は何もすることがない。
明日はまた20kmを歩かなければならないので、早々に寝ることにする。 
   
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