〈五日目〉 平成21年 9月22日 火曜日 雨のち曇りのち晴れ 駒木野宿(高尾)〜小仏宿〜小原宿(相模湖)
 世の中はシルバーウィークなどと名付けられた秋の5連休だ。

大渋滞を予想して、その前の週に中山道野尻宿から妻籠・馬籠を通って中津川宿まで歩いてきた。
結果は大正解で、行きも帰りも渋滞はなく快適に高速道路1,000円の特典を満喫してきた。

ニュースでは高速道路の大渋滞を報じている。中央高速では最大57kmの渋滞などと言っている。

弥次喜多夫婦は、せっかくの5連休なので電車で高尾まで行き、5月31日以来の甲州道中を相模湖まで歩くことにした。

〈JR中央線高尾駅の近くにはこんな自然が〉
 国道20号線の大渋滞を横目に、「歩いたほうが早いね」などど優越感に浸って歩いていたら、右に折れなければいけない所を見逃して、京王線高尾山口近くまで歩いてしまった。

初っ端から道を引き返すことになった。
数百メートル引き返して、正しい甲州道中に入る。

〈甲州道中はこのコンビニを右に折れる〉

〈国道20号線は大渋滞〉

〈旧甲州道中はガラガラ〉
 このあたりはかつての「駒木野宿」で、今は宿の名前も一般的でないが、「駒木野病院」という大きな病院があった。

バス停も「病院前」としか表示がなかったから、このあたりでは一番大きな病院なのだろう。

甲州道中沿いに、「アルコール専門外来・病棟」の看板があった。

このような所に来なくて済むように、アルコールはそこそこにしよう。

〈駒木野病院〉
国指定史跡 小仏関跡

 小仏関所は、戦国時代には小仏峠に設けられ、富士見関とも呼ばれた。
武田・今川・織田などの周辺の有力氏が滅ぶと麓に一度移され、その後、北条氏の滅亡により、徳川幕府の甲州道中の重要な関所として現在地に移されるとともに整備された。・・・
八王子市教育委員会

〈史跡 小仏関跡〉
 東京都のこのような住宅地にもイノシシが出ることがあるらしい。

近頃は、イノシシやシカや猿などの野生の動物が山を降りて住宅地に出没するケースがよく報道されている。

横浜の我が家でも、タヌキが出たことがあったし、猿が屋根のてっぺんであたりを見回していたこともあったらしい。(これは斜め向かいの奥さんが洗濯物を干すときに目撃して教えてくれた)

娘の飼っていたカメが、アライグマらしい動物に3匹食べられたこともある。

〈イノシシ注意の看板〉

〈甲州街道 駒木野宿〉
甲州街道概要

甲州街道は、江戸時代五街道のひとつで甲州を経て信州の下諏訪までの道のりである。
下諏訪は中山道につながり、京・大坂に通ずる重要な街道であった。
ここ駒木野は日本橋を西へ去ること約十二里の地点である。

昭和47年12月17日
日本紀行文学会

〈甲州街道 念寿坂〉
 りっぱな松の庭木の向こうに中央高速道路が見える。

今まで中央高速は何度も走ったが、高速道路というものは道路以外見えないように作ってあるから、このような所を走っていたとは新鮮な驚きだ。

〈民家のすぐ上を中央高速が〉

〈東京とは思えない風景〉
 圏央道反対の看板の向こうに、圏央道の橋の橋脚が造られている。

確かにこのあたりに人たちにとって、圏央道が出来たからと言って何のメリットもないだろう。
反対したくなる気持ちもわかる。

〈圏央道ができつつある〉
 
〈民家のすぐそばに県央道の橋脚が 大きい・・・〉                              〈たもとには昔ながらの水飲み場が〉

〈旧甲州道中は小仏峠にむかう〉

〈するさしの豆腐店 峰尾豆腐店の向こうに未来的な高速道路が・・・〉
 雑草の中に、何体もの彫刻が置かれているのか、棄てられているのか。

引き取り手がないのかもしれないが、何とも不思議な光景だ。

〈棄てられた?彫刻〉
 しばらく行くと左手に釣り堀が見えてきた。
街道からもニジマスが泳いでいるのが見える。

子供が小さい頃、丹沢にニジマス釣りに行ったことがあったが、今は海の沖釣りの面白さを知ってしまったから、あまり興味はない。

8月末には銚子の飯岡港から出た船で、久しぶりにアジとハナダイが大漁だった。息子と二人で100匹以上も釣って、2つのクーラーボックスに入りきらないほどだった。

今週は、横浜の金沢漁港からイシモチ釣りだ。

喜多さんも新鮮な魚が食べられるので大喜びだ。

〈浅川国際マス釣場〉

〈中央本線のりっぱな煉瓦造りのトンネルをくぐる〉

〈民家にアケビが〉

〈中央本線をあずさがゆく〉
小仏のカゴノキ


 寶珠寺の門前に「都天然記念物 小仏のカゴノキ」という石碑があったので大木好きの喜多さんは早速見に行ってみる。

カゴノキはクスノキ科の木で鹿子木と書き、鹿の子模様の斑となるので、この名があるのだそうだ。
特殊な用途としては鼓の胴として用いるらしい。

〈都天然記念物 小仏のカゴノキ〉
 このあたりからハイカーが多くなってきた。

この手前にバスの終点があったので、そこまでバスで来る人が多いのだろう。高尾駅行きのバスを待っている人もいた。

弥次喜多夫婦のように、高尾駅から歩いてくる人はほとんどいないみたいだ。

〈もうすぐ山道に突入〉
 日本橋を出立してからまだ50km程度であるが、もうこのような山道だ。

東海道でいえば藤沢あたり、中山道でいえば鴻巣あたりで、二つの街道では全く住宅地を歩いていた距離だ。

〈意外と急な甲州道中〉
 中央高速では、小仏トンネルを先頭に30km渋滞とかよく言っているが、そのトンネルの真上を歩いている。

しかし、思っていた以上に小仏峠は坂がきつくよい運動になる。
 
〈小仏峠に到着〉
小仏峠


 旧道を歩くと、本当によく明治天皇の小休所や行在所などの碑が建っている。東海道や中山道だけでなく明治天皇はいろいろな所に行幸されたのだね。

〈明治天皇小仏峠小休所跡碑〉
 
〈甲州道中歴史案内図 次は小原宿〉

〈小仏峠の道標〉

〈ここからは下りになる〉
 途中、中央高速道路が見える場所があった。案の定、上りは大渋滞。この5連休に車で出かけるのはちょっと無謀というものだろう。

そういえば、この日(9月22日)川崎東扇島の首都高湾岸線で、渋滞で停車していたワゴンにトラックが突っ込んで、一家7人のうちまだ60代の祖父と祖母が亡くなる痛ましい事故があった。他の家族も意識不明の重体1人、重軽傷4人という痛ましさだ。新潟から横浜に墓参りに来て、お台場に観光に行く途中だったという。

前々から、3列シートのワゴン車の危うさは気になっていた。最後列のわずか10cm後ろは鉄板とガラス1枚だ。怖くて座っていられない。

皆さん、前方にはよく注意して運転してください。取り返しのつかないことになります。

〈中央高速が見える〉

〈頭上を巨大な中央高速が〉
 
〈美女谷の美女とは照手姫のこと〉
照手姫ものがたり

歌舞伎や浄瑠璃で知られている「小栗判官と照手姫」の物語。
照手姫は、小仏峠の麓、美女谷の生まれと伝えられ、その美貌が地名になったと伝えられています。
北面の武士だったという父と、やさしい母から生まれた照手姫は美しい娘に成長し、美女谷川上滝の七ツ淵で豊かな黒髪を梳くその姿は、まばゆいばかりの美しさを放ち、里の若者を魅了したといいます。・・・ということらしい。

照手姫は、東海道藤沢宿「遊行寺」に小栗判官との話が出てきた。
その照手姫がこんな所のうまれであったとは・・・。
【小原宿】
 底沢バス停を右に折れて、国道20号線を相模湖駅方面に歩くと、甲州街道小原宿の標識が出てくる。

これまで、20号線がほぼ甲州街道に合致することは知っていても、甲州道中の宿場など気にしたこともなかった。

「小原」は何と読むか。人名には「こはら」さん、「おばらさん」などが一般的だが、これは「おはら」と読むらしい。「おはらしょうすけさん」の「おはら」だ。

〈小原宿に入った〉

〈小原宿本陣の案内板〉

〈小原宿本陣屋敷〉

〈本陣祭りもあるらしい〉

〈上段の間 この本陣のは一段高くなっていなかった〉
 本陣は無料で見学できるが、入口におじさんがいていろいろ話をした。リュックを担いだ弥次喜多道中の姿を見て、小仏峠を越えてきたと見たのだろう。

「歩いて来たんですか」
「ええ。今日は高尾駅からですが、日本橋から歩いてるんですよ。」
ついでに、東海道は踏破したことと、中山道も中津川まで歩いたことを自慢しておいた。

この本陣は築200年になるそうで、中には珍しいものが展示してあった。
2階には、日支事変記念の徳利や、除隊記念の杯などもあり、岩国の家にもこのような杯や徳利などがあったなと感慨深く見学した。

あの品々はどこへ行ったのだろう。母親に聞いてもわからないという。

〈本陣には大名籠が〉
 本陣を出て駅に着いたら、電車は出たばかりで40分ばかり待ち時間がある。
近くの食堂で生ビールと焼きそばを注文する。電車ならではの贅沢だ。

今日の甲州道中の歩き旅はよかった。
峠を越えたが、距離も13km程度で長からず、短からず。

適度な疲れとビールの酔いで電車ではぐっすり眠って横浜に着いた。

〈相模湖駅〉
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