平成23年1月22日 晴れ 泉岳寺
   
 正月の番組で、田村正和主演の「忠臣蔵」をやっていた。何度も見ているおなじみの話ではあるが、じっくり見てみると面白かったから、平成23年1月22日に改めて泉岳寺に四十七士のお墓参りに出かけることにした。時は元禄15年(1702)12月14日の深夜、旧主浅野長矩の仇である高家吉良上野介邸に討ち入り、見事本懐を遂げた大石良雄以下四十七士の墓はこの泉岳寺にある。〈実はひとり不明になっているので墓は46〉

泉岳寺は、慶長17年(1612)徳川家康の命で外桜田に創建され、寛永18年(1641)「寛永の大火」で焼失したが、家光の命令で毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷・今川の6大名により現在の高輪の地に再建されたという。

〈泉岳寺門前の土産物やさんには陣太鼓が〉

〈浅野長矩公の墓〉

〈吉良上野介の首を洗った首洗井戸〉

〈大正10年(1921)大石内蔵助の像が完成〉
 浅野内匠頭が、吉良上野介に殿中刃傷事件ををおこし切腹となったのは、元禄14年(1701)のことだ。その年にこの泉岳寺に浅野長矩の墓が建立されている。大石良雄らは討ち取った吉良の首をこの井戸で洗い、旧主の墓前に供えたのだという。

4年前東海道を歩いた初日に参拝した時には時間がなかったのでお線香もあげなかったが、今回はこのために来たので100円でお線香を買って、それぞれの墓に数本ずつあげてお参りした。他にも数名の人が同じように参拝されていて、赤穂浪士の人気は時代を越えて続いていることを実感する。

〈四十七士の墓〉
 四十七士の墓は一か所にまとめられているが、大石内蔵助の墓は他の義士より一段と大きく、一番奥まったところのお堂に納められていた。息子の大石主税の墓も左奥のお堂に納められているが、死んでもこの二人だけ屋根付きというのはいかがなものだろう。

大石主税のすぐ左となりにある堀部安兵衛の墓には、ワンカップと花が供えられていた。ファンがいるのだろう。虎は死して皮を残すが、人は死して名を残す。彼ら四十七士はこれからもずっと忘れられずに日本人の記憶に残っていくことだろう。

〈大石内蔵助の墓〉

〈堀部安兵衛の墓にだけ酒と花が供えてあった〉

〈大石主税の墓 16歳だった〉
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