平成25年10月28日 月曜日 快晴 富山駅〜立山〜美女平〜室堂 立山黒部アルペンルート
立山黒部アルペンルート

 立山黒部アルペンルートは電鉄富山〜立山〈富山地方鉄道)、立山駅〜美女平(立山ケーブルカー)、美女平〜室堂(立山高原バス)、室堂〜大観峰〈立山トンネルトロリーバス)、大観峰〜黒部平(立山ロープウェー)、黒部平〜黒部湖(黒部ケーブルカー)、黒部ダム〜扇沢(関電トンネルトロリーバス)、扇沢〜信濃大町(路線バス)で構成されていて、昭和46年(19716月1日全通したのだそうだ。

立山〜扇沢間は一般車両は通行できないので、これらの乗り物を乗り継いで行くしかないが、25km程度の距離で8,060円、電鉄富山〜信濃大町間は10,560円と高めの設定になっている。

〈電鉄富山駅から立山へ向かう〉

〈立山黒部アルペンルート全行程〉
   

〈線路の先には立山が見える〉

〈岩峅寺駅にて〉
 ホテルで朝食を済ませた弥次喜多道中は、電鉄富山駅で8:58分発の立山行電車に乗り込む。電鉄富山駅で信濃大町までの通し券を買おうとしたら、扇沢までしか売ってないらしい。片道9,230円で5日間有効の切符を購入した。

さすがに月曜日だから空いているなと思って立山駅に着くと、結構な観光客が来ている。ほとんどがクラブツーリズムとかの団体さんだ。標高475mの立山駅からわずか7分で標高977mの美女平に到着する。

〈立山駅 ケーブルカー乗り場〉

〈美女平駅に到着 この辺りの紅葉はまだ  雪の大谷の模型が展示してある〉

〈美女平の美女杉〉
美女杉伝説

 立山は佐伯有頼によって開山されたと言い伝えられています。有頼には許嫁者の美しい姫がいました。ある時、有頼に逢いたい一心で立山に登ってきましたが、有頼は山を拓くまでは帰ることはできないと、すげなく姫を追い帰しました。姫は仕方なく山を下りる途中、一本の杉に『美しき 御山の杉よ 心あらばわがひそかなる祈り ききしや』と祈ったところ、後にその願いが成就して二人はめでたく結ばれたと伝えられています。

そして、後の世、この杉を「美女杉」といい、この歌を三度唱えて祈れば、男女を問わずわが恋は成就すると信仰されています。また、美女杉のある辺り一帯を「美女平」と呼ぶようになりました。

〈美女杉伝説〉

〈仙洞杉 胴回り940cm 樹高21m このあたりは巨木が多い〉

〈称名の滝が見える滝見台〉

〈滝見台のお地蔵さん〉

〈3年前に北陸旅行の際立ち寄った称名の滝が見えた〉

〈このあたりは標高1900m もうすぐ弥陀ヶ原に到着〉

〈30分で弥陀ヶ原に到着 もともと宿泊予定だった弥陀ヶ原ホテル〉

〈次のバスを予約して30分ほど散策〉

〈弥陀ヶ原高原バス待合室〉

〈弥陀ヶ原高原バス バス停〉

〈再び高原バスに乗って室堂を目指す〉

〈それにしても雲一つない日本晴れ いい日を選んで来た〉

〈高度が上がるにつれだんだん冬景色へ〉

〈ホテル立山が見えてきた 標高2450m〉

〈ホテル立山にチェックイン 部屋の窓からの眺望は素晴らしい〉
ホテル立山

 一度泊まってみたかった標高2,450mにある「ホテル立山」には12:30に到着した。チェックインは15:00だからフロントで荷物を預かってもらい散策に出かけようとしたら、部屋に入れるという。しかも、部屋をグレードアップしておきましたと、最上階の部屋のカギを渡された。

先にJTBでパックを申し込んだときは、眺めの良い部屋は3,000円のアップというので、せっかくだからと追加料金を払ったのに。宿泊客は多かったが、ほとんどがツアーの団体さんで、個人客は少なかったのだろう。部屋からの眺望は最高だ。目の前の山は右から雄山3,003m、大汝山3,015m、富士の折立2,999mでこれらの山を総称して立山というのだそうだ。

〈5階ロビー 図書室〉

〈立山玉殿の湧水〉

〈室堂平の気温は真夏で15℃〜16℃ 1月は−10℃以下〉

〈例年6〜8mの積雪 もっとも積雪量の多い大谷付近では20mになることも〉

〈みくりが池〉

〈みくりが池温泉に向かう〉

〈日本一高所 雲上の温泉 みくりが池温泉に入る 600円〉

〈この建物が温泉 湯ぶねからの眺望は抜群だが喜多さんは軽い高山病にかかったらしい〉

〈地獄谷は有毒ガスの噴出で通行止めになっている〉

〈みくりが池に映る真砂岳〉

〈みどりが池は水深が浅いのか凍っている〉

〈ハイマツが群生する〉

〈雄山の頂上にあるのは雄山神社〉

〈少し日が陰ってきた それにしても気持ちの良い天気〉

〈虹の雲が現れた〉

〈雲が湧き上がってくる〉

〈富山県指定文化財 立山参道の石塔並びに石仏群〉

〈重要文化財 立山室堂 現在残っている日本最古の山小屋 現在の建物は1726年に再建〉
玉殿岩屋

 立山開山の伝説が残る玉殿岩屋。立山火山の噴出した溶岩が冷却する際にできた板状節理(板状の岩盤)が発達してできた2つの洞窟を、玉殿岩屋と呼んでいます。立山を開山した佐伯有頼が熊を追ってこの洞窟に入り込んだところ、熊は実は阿弥陀如来の化身で、有頼に立山を開山することで人々を導くよう命じたという伝説があります。

とのことなので、これは是非見に行かねばと思ったが、どこにあるとも書いてない。説明板があるから近くだろうと思い、かろうじて残る足跡をたどって崖のような道を降りる。危険そうだから喜多さんは置いてゆく。

〈玉殿岩屋〉

〈このような道をこわごわ降りてゆく〉

〈数十メートル降りると玉殿岩屋が〉

〈映画「剱岳点の記」では修験者がこの岩屋にこもっていた〉

〈信仰とは不思議だ ろくな防寒着もなかったのにこんなところまで・・・〉
立山カルデラ

 写真にみられる大きな窪地が立山カルデラで、火山の噴出物からできている弥陀ヶ原の一角が何回もの崩壊によって形づくられたものです。カルデラ内には安政5年の地震などの崩壊土砂が大量に残っており、下流の富山平野等を土砂災害から守るため、長年にわたって砂防工事が続けられています。

※カルデラとは、火山の活動によってできた大きな凹地のこと。「釜」「鍋」という意味のスペイン語に由来し、カルデラが初めて研究されたカナリア諸島での現地名による。本来は単に地形的な凹みを指す言葉であり、比較的大きな火山火口や火山地域の盆地状の地形一般についてもカルデラを称するなど定義は明瞭でない。しかし、概ね欧米などでは1マイル以上、日本では2km程度以上になると、凹みの成因は単純に噴火だけでは説明できないため、火口と区別してカルデラと称しているようである。〈ウィキペディアより抜粋〉

〈立山カルデラ〉
   
   

〈寒くなってきたから帰ろう 左に見えるのがホテル立山〉 
   
   

〈この人が佐伯有頼〉
 
〈万延元年(1860)に加賀藩が造営した雄山神社社殿〉
   
 散策を終えてホテルに着いた頃の気温は2.7℃だったが、食事を終え立山の紹介をスライドで見て星空
観賞会で屋上に出たころには−2℃まで下がっていた。実は、2,450mで見る星空を楽しみにしていた。
山口県の田舎では、小さいころは晴れていれば天の川がよく見えた。今はもう大気が濁ったのか、明かり
のせいなのか何十年も天の川を見ていない。最近では奥軽井沢のテレビもラジオも新聞もない辺鄙な別荘
で見た30年前の天の川が最後だ。

幸いなことに雲一つない夜空で、月も出ていない。目が慣れてくると、頭上にまさに川のように星の集団
が白く帯のように続いている。英語ではミルキーウェイ、銀河系の星の集団。しばし、寒いのを忘れて夜空
に見入る。本当に良い日に来れて良かった。雨だったり雲の中だったりしたらつまらなかっただろう。
   
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