平成25年10月29日 火曜日 室堂〜黒部湖〜黒部ダム〜扇沢 黒部ダム

〈きのうの昼間は見えなかった富山市内と日本海・能登半島までが見える 昨夜は夜景がきれいだった〉
ご来光ツアー

 ホテル立山では、参加費2000円で「立山室堂お泊りのお客様だけの体験 ご来光バススペシャルプラン」をやっているのを事前に知っていたので、せっかく来たのだから精神でフロントに申し込んでおいた。

前日あんなに見事に晴れて、星空観賞会では見事な銀河も見ることができた。まさか中止はないだろう。
時期によって当然日の出の時刻は変わってくるのだが、10/21〜11/2はモーニングコール5:20、フロントロビー集合5:40、隣の大観峰展望台でご来光、ホテルへ6:50に帰ってくるというスケジュールだ。ただし、悪天候で中止の場合、モーニングコールはいたしませんとある。

〈ご来光が中止になったからもう一度散策 雲が多い〉
 早目に目が覚めたので、5:20のモーニングコールを待っていたが5:30になっても電話が鳴らない。もしやと思ってカーテンを開けて外を見ると一面の曇り空だ。山の天気は変わりやすいというけど本当だね。仕方がないので、再度寝ることにする。

7時半過ぎにバイキング形式の朝食を済ませて、もう一度早朝の室堂を散策することにする。一昨日でも本日でも昨日のような雲一つない青空は見られなかったと思うと、よい判断だと自画自賛。

〈剱岳〉

〈もう一度みくりが池を散策〉

〈相変わらず美しい〉

〈ライチョウは最後まで発見できなかった〉
 室堂は標高2,450mで、平均気圧は760hpなのだそうだ。平地の平均気圧が1,013hPaですから、平地の約4分の3しかありません。そのため、写真のようにポテトチップスの袋が風船のようにふくらみます。空気が薄いため、階段の登りや急激な動作をすると、息切れがしますので、あわてずゆっくりと行動してください。気圧が低いため、水は沸騰しても温度が92℃以上には上がりません。通常の方法では、米をいくら長時間炊いても、おいしいご飯はできないため、 当ホテルでは特殊な圧力釜で炊飯しています。
(ホテルHPより)

心残りのないようにみくりが池の周りをもう一度散策して、黒部ダムに向かうことにする。気温は午前8時で−2℃だというが、そんなに寒くは感じない。しかし、路面が凍っているのでこわごわと歩く。

〈気圧が低いのでポテトチップスの袋がパンパンに膨らんでいる〉

〈今朝ご来光を見るはずだった大観峰展望台から黒部湖を見下ろす〉

〈室堂2,450mから大観峰2,316mに立山トンネルトロリーバスで移動〉

〈室堂より高い山々がそびえるが雪は少ない 日本海から最初の立山に雪は降るのだろう〉
トロリーバス

 ケーブルカーと高原バスを乗り継いで室堂までやってきたが、室堂から大観峰までは立山の中腹をくりぬいた立山トンネルをトロリーバスで移動する。トロリーバスは、昭和30年代くらいまでは東京などの都会でも普通に走っていたというが、当然山口県の田舎にはなかった。

2年前にスイスに旅したとき、ルツェルンを走るトロリーバスは見たことがある。初体験なのでわくわくしながら乗ったが、中は普通のバスだし、すべてトンネルの中なので景色も見えない。
しかも、狭いトンネルの中をかなりのスピードで駆け抜けてゆく。地下鉄と一緒でトロリーバスの運転手さんもつまらないだろうね。日本ではアルペンルートの2路線のみ運行しているそうだ。

〈大観峰から黒部平まではロープウェー〉

〈立山ロープウェーは1.7km 高低差約500m 景観保護や雪害よけのため支柱が1本もない〉

〈ロープウェーから大観峰駅を見上げる〉

〈黒部平駅1828mよりの後立山 もう少し早ければ紅葉がきれいだっただろう〉

〈目の前の谷が一昨日行った黒部峡谷〉

〈黒部平から黒部湖は黒部ケーブルカーで〉

〈黒部湖に着いた ダムの上に交通機関はないので全員歩く〉

〈エメラルドグリーンの黒部湖〉

〈黒部湖1455mまで下りてくると多少の紅葉が残っている 観光放水は10月15日で終了〉

〈黒部湖を遊覧船ガルベがゆく〉

〈黒部ダムは「行ってよかった無料観光スポット2年連続1位に選ばれたそうだ〉
黒部ダム

 石原裕次郎の「黒部の太陽」でも有名だが、よくこんなところにこんな大それたものを作ろうと思ったもんだと本当に感心する。最近では大成建設のイスタンブールでのボスポラス海峡トンネルの快挙があるが、戦後間もないころに電力供給の使命に燃えた関西電力と、工事を請け負った建設会社には頭が下がる。

くろよん記念室で記録映像を見たが、特に破砕帯を突破する工事では4℃の冷水が噴き出る中を人の手で掘り進めて貫通した映像に感動した。
今ならもっと重機を使って工事ができるのだろうが、人の力は偉大だと思った。

〈殉職者慰霊碑 171人もの方が工事で殉職されたそうだ〉

〈くろよん記念室はこんなにためになるのに誰も見に来ていない ツアーだとそんな時間もないのか〉

〈残念ながら放水は10月15日で終了 もう少し早かったらこんな紅葉が見られた〉

 ダムの高さ(堤高)は186mで日本一を誇り、現在でも破られていない。富山県で最も高い構築物でもある。総貯水容量は約2億t。総工費は建設当時の費用で513億円。これは当時の関西電力資本金の5倍という金額である。作業員延べ人数は1,000万人を超え、工事期間中の転落やトラック・トロッコなどによる労働災害の殉職者は171人にも及び、いかにダム建設工事が苦難を極めたのかがうかがえる。「黒四ダム」の別称もあるが、関西電力は公式サイトなどでも「黒部ダム」としている


〈黒部ダム駅にあったパネル写真 想像を絶する〉

 戦後、高度経済成長期を迎えると電力不足が発生し、関西地方では停電が頻発した。その事態を受け、
関西電力の代表取締役
(当時)太田垣士郎は1956年、戦前に調査(一割強程度)・計画・設計は実施したものの、
開戦以降お蔵入りとなっていた黒部ダム建設事業を急遽たちあげた。それは、同社の社運をかけた一世一代
の大規模プロジェクトであり、近畿〈関西)地方への電力供給ひいては経済活動の命運が懸かっていた

黒部ダム建設にあたって工区を5つに分割し、それぞれに異なる建設会社が請け負った。
第1工区・・・間組
黒部ダム、取水口、導水トンネル、大町トンネル(現・関電トンネル)、御前沢渓流取水工事。
第2工区・・・鹿島建設
骨材製造工事。
第3工区・・・熊谷組
関電トンネル、黒部トンネル、導水路トンネル工事。
第4工区・・・佐藤工業
黒部トンネル、導水路トンネル、調圧水槽、トラムウェイ・ロープウェイ工事。
第5工区・・・大成建設
水圧鉄管路、インクライン、黒四発電所、変電所開閉所、放水路、上部軌道トラムウェイ・ロープウェイ工事。

黒部ダム建設工事現場はあまりにも奥地であり、初期の工事は建設材料を徒歩や馬やヘリコプターで輸送すると
いうもので、作業ははかどらず困難を極めた。このため、ダム予定地まで大町トンネル
(現在の関電トンネル)を掘る
ことを決める。しかし、破砕帯から大量の冷水が噴出し、死者が多数出る大変な難工事となった。別に水抜き
トンネルを掘り、薬剤とコンクリートで固めながら
(グラウチング)掘り進めるという、当時では最新鋭の技術が
導入され、トンネルは貫通し、工期が短縮された。2006年時点での土砂堆積率は14%であり、ダム本体の耐久性
と併せて考えると、これからも約250年はダムとして機能すると見込まれている
(ウィキペディアより抜粋)

黒部ダムを完成させた土木建設会社は現在も活躍する優秀な会社だ。
そろそろ関電トロリーバスに乗って扇沢まで下ることにする。


〈関電トロリーバスで扇沢1433mまで下りてきた 扇沢は紅葉の見ごろ〉

〈扇沢からは路線バスで信濃大町駅に向かう〉
 信濃大町駅には予定通り13:00に到着、13:14分のJR大糸線で松本駅に、松本駅でJR中央本線に乗り換えて14:49発スーパーあずさ22号で八王子に16:50到着。八王子からは横浜線で磯子駅まで。

3日間、すべて綿密に立てたスケジュール通りの乗り物で移動できた。遅れた乗り物は一つもなかった。日本人の優秀さを改めて発見した旅でもあった。
それにしても、JR大糸線に乗ったあたりで雲行きが怪しい。雨も降り始めた。ふもとは黒部湖あたりより寒いくらいだ。穂高や白馬岳は雲にかすんでまったく見えない。今頃は室堂も雲の中だろう。

〈電鉄富山〜扇沢通し券 5日間有効〉
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