平成26年4月9日 水曜日 曇りのち一時雨 南ぬ島3日目 石垣島観光〜宮古島へ移動

〈宮古島への移動時間までレンタカーで石垣島観光〉
石垣島ドライブ

 相変わらず天気はいまいちだ。天気予報では半分雨マークになっている。

石垣空港発14:20の宮古島行きを予約してあるので、13:00過ぎにはレンタカーを戻さなくては
ならない。8:30にホテルにレンタカーを届けてもらい、4時間半の石垣島観光に出かける。

〈ホテルから少し走るとマングローブの林が 根が足に見えて今にも動きだしそう〉

〈晴れていれば青い海が広がっているのに〉

〈川平湾へ到着 ミシュランの三ツ星を獲得した絶景だが天気がいまいち〉

〈空は曇っていても海は美しい 魚が群れて泳いでいた〉

〈晴れていればこんな感じ 悔しいのでネットから〉

〈シーサー作りの体験工房があったがそんな時間はない〉

〈米原ヤエヤマヤシ群落とヤシ記念館〉
一人旅

 自分も一人旅はするが、鉄道乗りつぶしの旅とかテーマが決まっている時だけだ。このような南の島に一人で来るのはさびしそうだ・・・
と思っていたら、なんと一人旅の多いことか。

マングローブクルーズに乗っていた若い女性も一人旅だったし、何しろレンタカーを一人で運転している女性がとにかく多い。このヤエヤマヤシ群落にも一人でレンタカーで来ていた若い女性がいた。男の一人旅も見かけたが、圧倒的に女性の一人旅のほうが多いようだ。
一人旅なら自分の好きに行動できてストレスはたまらないだろうが、女性同士でも一緒に旅行しない人がこんなに多いんだと新たな発見をした思いだった。

〈いかにも山という感じの野底岳292m〉

〈石垣島最北端 大地離島と平久保崎灯台〉

〈もっと美しい景色なのだろうが天気ばかりはどうしようもない〉

〈玉取崎展望台 10年に一度咲くというリュウゼツランときれいなハイビスカス〉

〈道端の大きな岩にヤギが4匹登っていた〉

〈牧場にはたくさんの牛とクジャクもいる〉
石垣空港から宮古空港へ

 約4時間かけて石垣島を一周した。あいにくの天候で、いくら南のきれいな海でも太陽の力がなければあのブルーは出ないことがよくわかった。それでも、川平湾や平久保崎、米原ヤエヤマヤシ群落、玉取崎展望台など効率よく見て回ることができた。

この島にもう一度来ることはたぶんないだろう。日本にはまだまだ訪れていない場所や島がたくさんあるからだ。
14:20発の宮古島行きは30分ほど遅れて出発、離陸するころにはスコールのような雨が降っていたが、飛行時間30分ほどの宮古島に着くころには青空が広がっていた。

〈石垣空港からは結構あちこちに路線がある〉

〈眼下に見えるのは宮古島と来間島を結ぶ来間大橋だろう〉

〈宮古島の海は世界有数の美しさだという〉

〈空から見ても宮古島は真っ平〉

〈宮古島に到着 ホテルの目の前はパイナガマ公園〉

〈やっと南の島らしい海の色に出会えた〉
レンタサイクルで散歩

 頼んでおいたトクトクタクシーでホテルサザンコースト宮古島に到着。クーポンだから必要ないはずなのに運転手さんはメーターをオンにしていたが1,330円だった。事前に500円払ってクーポンを買っておいて大正解。

チェックイン後、玄関に自転車があったのでフロントで聞くと3時間までは無料で貸してくれるそうだ。明日は1日中車だし、あさっては帰らなければならない。自転車で宮古島の平良地区を探訪することにする。

〈宮古島のお墓 立派すぎてびっくり〉

〈カママ嶺公園の展望台から伊良部大橋方面 展望台では地元の若い衆が3人で酒盛りをしていた〉
宮古島市指定史跡 大立大殿みゃーか

 大立大殿(うぷだてぃうぷとぅぬ)さんの「みゃーか」(巨石墓) 「白川氏家譜正統」(1754年)によると、父泰川大殿と母久栄免嘉の間に生まれた。童名は真佐利。天順年間(1457〜64年)に中山王から宮古島首長に命じられた。生年は不詳で1477年に没したとの見方もある。泰川大殿の父は1390年に中山王朝に宮古では初めて朝貢した白川氏の祖、与那覇勢頭豊見親恵源とされる。大立大殿は、与那覇勢頭豊見親の孫に当たる。『宮古島記事仕次』(1748年)によると、大立大殿は1463年ごろ、7歳の空広という少年と出会った。童名の空広は、のちの仲宗根豊見親玄雅で宮古島首長となった偉大なる人物の一人。
(宮古毎日新聞記事より抜粋)

〈ウプダティウプトゥヌみゃーか〉
 平良港の近くに、サンゴで作られたであろう大石があったので、説明板を読んでみると15世紀の宮古島の首長「ウプダティウプトゥヌ」さんのお墓だった。漢字で書くと大立大殿、大はウプと発音していたのがわかる。完全な外国語風に聞こえるが、「だてぃ」は「たて」だし、「とぅぬ」は「との」だ。「みゃーか」は「みはか」とすれば日本語には違いない。むしろ昔の発音は本州でもこうであったかもしれない。

今は護岸工事がなされ、道路は舗装され整備されているが、昭和初期と思われる昔の写真を見るとこの辺りはサンゴ礁の海岸だったことがよくわかる。

〈近代的に整備される前の宮古島の様子がわかる〉

〈漲水御嶽とみごとな石垣〉

〈わずかの間に30代と見える男性がたて続きに二人来て熱心にお祈りしていた〉

〈宮古神社〉
宮古島

 最終氷期には120mも海水面が低下していた為現在宮古島のある場所はアジア大陸と陸続きであった。おおよそ1万5千年前に氷河期が終わると、現在宮古島がある場所の大半は海に沈んだと推測されている。氷河期が終わった後の地層は、石灰岩が多く含まれている為、サンゴ礁が発達できるほど温暖な気候が続いたと思われる。現在の宮古島は、地質学的に比較的新しい島であり、約1万5千年前から4千年前にでき上がった隆起珊瑚礁の島である。
〈ウィキペディアより抜粋〉

明日の宮古島は晴天の予報だ。やっと南国らしいブルーの海が見られるに違いない。

〈竹富島のような石垣や民家も残る〉
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