平成27年5月26日 火曜日 徳島〜鳴門〜淡路島〜有馬温泉 四国の旅3日目

〈まずは鳴門の渦潮を見に鳴門海峡の鳴門門橋に〉

〈入場料410円(JAF割引き)を払って鳴門門橋を歩く〉

〈強化ガラスの下は鳴門海峡 少しだが渦潮らしきものも〉

〈割れることはないとわかっていても少し怖い〉

〈残念なことに干潮・満潮の時間が合わず一番渦潮の穏やかな時間帯だった〉
高田屋嘉兵衛

 鳴門海峡の渦潮を見た後は、弥次さんの希望で淡路島都志の「高田屋嘉兵衛記念館」に行くことにする。兄夫婦はこの人のことを知らなかったが、実は自分も司馬遼太郎の「菜の花の沖」を読むまで知らなかった。高田屋嘉兵衛のファンになった弥次さんは、昨年夏には函館でも高田屋嘉兵衛資料館を訪れた。

明和6年
(1769)に、この淡路島都志で生まれた嘉兵衛は、優秀な船乗りとなり、西回り航路で交易する回船問屋として海運業に乗り出す。1811年、幕府警備隊にとらえられたゴローニンの消息を聞き出そうと、部下のリコルドは偶然通りかかった嘉兵衛の船をとらえカムチャッカに連行する。二人がともに「高潔な人格と聡明さと度量の大きさ」を持ち合わせていたいたからこそ、日露の紛争を防ぐことができたと言ってもよいであろう。

〈こちらは高田嘉兵衛の生家跡にたてられた記念館〉

〈ウェルネスパーク五色 高田屋嘉兵衛公園 阿久悠の「瀬戸内少年野球団」の碑〉

〈夏目雅子がきれいだった〉

〈高田屋嘉兵衛が1825年修復した旧都志港の築堤石〉

〈幕府にとらえられたゴローニンと部下のリコルドにカムチャッカまで連行された高田屋嘉兵衛像〉〈ゴロヴニンの日本幽囚記3巻とリコルドの対日折衝記を購入〉

〈高田屋顕彰館・歴史文化資料館(菜の花ホール)でこんな本を買う人は珍しいのだろう どこから来たか聞かれた〉

〈阪神淡路大震災の際の野島断層保存館にも立ち寄る JAF割引きで630円〉

〈この断層は実際にずれた断層の上に建物を建てて保存〉

〈赤と赤、青と青の部分が地震前の接点 横と上下にずれている〉

〈こんなに地層がずれたところに家は建っていた 震災後も4年間住み続けたらしい〉

〈明石海峡大橋のたもとで昼食〉

〈まだ時間が早いので六甲山に登ってみる〉

〈六甲山頂上からの眺望 左手に大阪や関西国際空港、右手に神戸や神戸空港が見える〉

〈ふもとの神戸は新幹線で何十回も通っているけど六甲山に来るのは初めて〉

〈関西の人たちにとっては有馬温泉とセットで身近なリゾートなのだろう〉

〈本日の宿は東急不動産の有馬六彩という会員制ホテル〉

〈温泉街を散策すると足湯があった〉

〈こんな狭い道を乗用車が通り抜けてゆく〉

〈ホテルは部屋も温泉も満足 有馬温泉の金の湯は古代の太平洋の海水らしい〉
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