平成27年5月25日 月曜日 高知〜桂浜〜祖谷〜徳島 四国の旅2日目 | |
桂浜と竜馬像 | |
〈35年ぶりに土佐桂浜へ 土佐犬はすごい迫力〉 |
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〈月の名所の桂浜〉 |
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〈高波にさらわれた人がいるので波打ち際に近寄らないよう繰り返しアナウンスされている〉 |
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〈土佐と言えばやはり坂本竜馬 高知県の青年たちが全国で募金運動を展開し、昭和3年に建立〉 |
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〈今いちど日本を洗濯いたし候 司馬遼太郎の「竜馬がゆく」は寝食を忘れて読んだ〉 |
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〈龍馬が京都河原町近江屋で中岡慎太郎とともに凶刃に倒れたのは33歳の時だった〉 |
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〈リョーマの休日〉 |
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高知城 | |
〈土佐二十四万国 高知城の山内一豊像〉 |
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〈昭和9年「国宝保存法」により国宝に指定されたが、その後昭和25年に「文化財保護法」が制定されたことにより現在は重要文化財〉 |
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〈板垣死すとも自由は死せず〉 |
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〈石樋(いしどい) 高知県は全国でも有数の多雨地帯のため、排水が直接石垣に当たらないように上部から突き出して作られている〉 |
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〈山内一豊の妻は「千代」と言われているが、これを裏付ける資料はないのだそうだ〉 |
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〈初代土佐藩主山内一豊とその妻千代が礎を築いた土佐二十四万石の歴史ある城〉 |
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〈関ヶ原戦の功績により徳川家康から土佐一国を拝領した山内一豊が,慶長6年(1601年)新城の築城工事を始め整備した〉 |
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〈火災や震災,明治維新による全国的な廃城,太平洋戦争などの危機を乗り越え,現在でもその姿を残している〉 |
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〈日本国内に残る木造の12古天守の一つ〉 |
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〈掛川から移封して来た山内一豊のせいで長宗我部の家臣は辛酸をなめた〉 |
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〈山内侍は上士、長宗我部の家臣は郷士となり強烈な身分制度が敷かれた〉 |
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〈功名が辻も司馬遼太郎の原作 見てきたような嘘がいっぱいなのだろうが面白い〉 |
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はりまや橋 | |
〈土佐の〜高知の はりまや橋で ぼんさんかんざし買うを見た よさこい よさこい 日本三大がっかり名所第一位なのだそうだ〉 |
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〈昭和34年 ペギー葉山の「南国土佐を後にして」で一躍有名になったが、今の若い人はそんな歌知らないだろう〉 |
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〈どこの観光地にもいるご当地キティ―がここにもいた〉 |
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杉の大杉 | |
〈高知県大豊町 国の特別天然記念物 杉の大杉 樹齢3000年以上ともいわれ二株が根元で合着している〉 |
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〈さすがに今まで見た中ではダントツに大きい よくもここまで枯れずに生き残ったとほめてあげたい〉 |
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祖谷のかずら橋 | |
〈平家一族の哀話を秘める、秘境“祖谷”にあるかずら橋〉 |
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〈シラクチカズラ(重さ約5トン)で作られたもので、長さ45m・幅2m・水面上14m〉 |
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〈昔は深山渓谷地帯の唯一の交通施設であった。3年毎に架替えが行われる〉 |
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〈渡橋料550円 結構な料金〉 |
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〈琵琶の滝と由来 平国盛が安徳天皇を奉じ祖谷に潜入とあるが・・・〉 |
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〈かずら橋の下の渓谷では親子が遊ぶ〉 |
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〈岩国錦帯橋 祖谷のかずら橋 甲斐の猿橋が日本三奇矯なのだそうだが、錦帯橋は日本三名橋 この中で無料で渡れるのは猿橋だけ〉 |
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〈祖谷渓の小便小僧 かつて地元のこどもや旅人が度胸試しをしたのだそうだ〉 |
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〈さすがにションベンちびる〉 |
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徳島県 脇町うだつの街並み | |
〈吉野川の水運に恵まれた脇町は藍の集散地として栄え、大規模で豪壮な商家が軒を並べていた〉 |
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〈1988年に全国で28番目の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された〉 |
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〈うだつは二階の壁面から突き出した漆喰塗の袖壁で火よけ壁ともよばれ防火の役目をしていた〉 |
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〈江戸時代、裕福な商家は、この「うだつ」をあげた立派な家を競って建てた〉 |
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〈お〜、これは古い松山容子さんのボンカレー レトルトの袋が透明だ〉 |
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〈うだつのある家も建てられないと「うだつが上がらない」といわれた ボクもうだつが上がらない男・・・〉 |
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〈日本の道100選 うだつの街並み〉 |
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〈市指定文化財 藍商佐直〉 |
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阿波の土柱 | |
〈阿波の土柱(どちゅう) アメリカのロッキー、スイスのチロルの土柱と並んで世界三大奇勝とあるが・・・〉 |
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〈日本三大がっかり名所に入れてもいいのではという意見が続出〉 |
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〈ということで、本日は徳島市に宿泊〉 |
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