平成26年10月31日 金曜日 晴れ 津軽半島の旅 竜飛崎~岩木山
津軽半島

 3日目の今日は、下北半島のマサカリに頭を狙われている頭の部分、津軽半島を一周する予定だ。まずは、青森駅前のホテルから陸奥湾にそって北上し、青函トンネルの入り口「竜飛崎」を目指す。

30年前に訪れた金木の太宰治の生家「斜陽館」にも行ってみたいし、五所川原の立佞武多の館」にも訪れてみたい。いっそのこと、ホテルの朝食は無しにして、夜明けとともに出発すればあちこち見て回れるだろうが、果たして時間配分はうまくいくだろうか。

〈津軽半島と下北半島の間の平舘海峡を守る平舘灯台〉

〈三厩 松前街道終点の碑 ということは蝦夷からの道の終点?〉

〈源義経渡道の地とある この地から義経が北海道へ渡ったとされる義経神社〉
竜飛岬

〈ボタンを押すと石川さゆりの「津軽海峡冬景色」が流れる〉
津軽海峡冬景色

作詞 阿久 悠 作曲 三木たかし
歌   石川さゆり

♪上野発の夜行列車降りたときから 青森駅は
雪の中 北へ帰る人の群れは誰も無口で 海鳴り
だけを聞いている
 私もひとり 連絡船に乗り凍え
そうなかもめ見つめ泣いていました
ああ~ 津軽海峡冬景色

♪ごらんあれが竜飛岬北のはずれと 見知らぬ
人が指をさす 息でくもる窓のガラスふいてみた
けど はるかにかすみ見えるだけさよならあなた 
私は帰ります風の音が胸をゆする 泣けとばかりに
ああ~ 津軽海峡冬景色

〈風の岬 津軽国定公園龍飛崎〉

〈日本唯一の階段国道339号線 全長388.2m(362段) 標高差約70m〉

〈竜飛崎灯台 龍飛崎の表示板が潮風が強いのか錆びて折れている〉

〈この海の下を青函トンネルが通っている 前方には北海道の島影が〉

〈ここから青函トンネル斜坑へケーブルカーで降りられるのだが時間がなくパス〉

〈トンネル記念館展示〉
青函トンネル記念館

 青函トンネルは戦前に構想が計画され、本格的な調査は終戦後に行われました。昭和29年には洞爺丸事故によって構想の早期実現が叫ばれ、その10年後の39年に北海道側吉岡調査斜坑の着工にこぎつけたのです。その後、幾多の試練と挫折を繰り返しながら、60年3月に本坑全貫通。その3年後の63年3月13日、北海道と本州を陸続きにした「青函トンネル」が完成し、函館・青森間の営業が開始されました。全長53.85km、海面下240m。構想から40余年の長い歳月とトンネルの情熱を燃やし続けた人々の夢が実を結び、海の下をくぐり抜ける壮大なドラマが完成したのです。(JR北海道HPより)

〈青函トンネル記念館〉
 黒部ダムを見学したときも同じ思いをしたが、日本人はすごいと思った。本州と北海道の海底にトンネルを
通そうという構想からしてすごい。そして、それを実現してしまうのがさらにすごい。こどもの頃の紅白歌合戦
には、必ず青函トンネルを工事中の人たちが中継されていたが、あのころは遠すぎて現実のものではなかった。
   

〈十三湖へ向かう途中鳥瞰台より日本海を望む〉

〈小泊岬方面に海岸添いの道をゆく〉

〈30年前にも訪れた太宰治の生家「斜陽館」 今回は時間がなく外から撮影だけ〉
岩木山

〈岩木山 津軽富士 これからあの山の頂上付近まで登ってゆく〉

〈岩木山スカイラインの入り口にサルが数匹 この辺りはリンゴが食べ放題だろう〉

〈リフトで九合目まで上がるが他には誰も乗っていない 御嶽山のこともあるので噴火口とはちょっと不気味〉

〈日本海に夕日が沈もうとしている〉
岩木山

 岩木山は、青森県弘前市および西津軽郡鰺ヶ沢町に位置する火山である。標高は1,625mで、青森県の最高峰である。日本百名山および新日本百名山に選定されている。

その山容から津軽富士とも呼ばれるほか、しばしば「お」をつけて「お岩木(山)」あるいは「お岩木様」とも呼ばれる。


〈岩木山はあと2日で閉山だという 津軽の旅は10月まで〉
 津軽富士とも呼ばれている郷土富士であり、太宰治はその山容を「十二単を拡げたようで、
透き通るくらいに嬋娟たる美女」と喩えている。岩木山は富士山と同様に、古くから山岳信仰
の対象とされ、山頂には岩木山神社の奥宮が置かれた。江戸時代には弘前藩の鎮守の山とされ、
歴代の藩主が岩木山神社に寄進を行ったため、その社殿は荘厳なものとなり、「奥の日光」
とも呼ばれた。山域は1975年
(昭和50年3月31日)に、津軽国定公園に指定され、南麓に広がる
2,587haの高原は青森県の岩木高原県立自然公園に指定されている。
(ウィキペディアより抜粋)
   

〈ブナの原生林が広がる〉

〈津軽富士の岩木山にはリンゴの木がよく似合う〉
2日目へ戻る 4日目へ
番外編へ戻る
   
ポータルサイトに戻る  
inserted by FC2 system