平成26年10月30日 木曜日 晴れ 下北半島の旅 恐山〜尻屋崎

〈残念ながら十和田湖の燃えるような紅葉には遅かった〉

〈再び奥入瀬渓流に沿って六戸を目指す〉

〈星野リゾート 奥入瀬渓流ホテル〉
下北半島

 小学生のころから左を向いた津軽半島の頭に、マサカリを振り下ろす下北半島の地形を面白く思っていた。今年の1月に青春18きっぷの旅をした時も、大湊線に乗り下北半島を訪れようと思ったのだが、時間の都合で八戸から久慈駅までの八戸線を選んだ。ちょうど人気だったNHKの「あまちゃん」の影響があったかもしれない。

本日は、本州の北の涯の「下北半島」を目指してドライブすることにする。大間崎も、仏ヶ浦もくまなく見て歩きたいのであるが、やはり時間の制約がある。まずは、絶対にはずせない「恐山」に向かうことにする。

〈横浜町はマサカリの柄のあたり〉
恐山

〈国道338号線を北上し、むつから霊場恐山の山門をくぐる〉

〈宇曽利山湖にそそぐ三途の川を渡る〉

〈奪衣婆(だつえば)と懸衣翁(けんねおう) 死者が三途の川まで来ると身ぐるみはがした衣類の重さで生前の悪行の軽重を判断される〉

〈宇曽利山湖 そのあと閻魔さまの前に出て地獄行きか極楽行きか言い渡されるのだそうだ〉

〈恐山山門 恐山はおよそ1200年前に慈覚大師円仁によって開山〉

〈火山ガスが噴出する地獄と、宇曽利山湖をとりまく白砂の浜の極楽がある〉

〈人々は永い間「人が死ねばお山に行く」と信じ、地獄に行くことを恐れてきた〉

〈境内には無料の温泉がある 本日は男湯「薬師の湯」 誰もいなくて最高の硫黄湯だった あ〜極楽 極楽〉

〈こちらは本日女湯の「古滝の湯」と「冷抜の湯」 喜多さんも最高のお湯だったと言っていた〉

〈地蔵殿と地蔵山 紅葉は少し過ぎているが美しい〉

〈地獄谷に続く塔婆堂〉

〈本尊が安置されている地蔵堂 恐山にはイタコがいるのかと思ったがほとんど誰もいない〉

〈無間地獄には硫黄で黒く変色したお賽銭が点々と落ちていた〉

〈無間地獄と地蔵山〉

〈無間地獄には硫黄のガスが噴き出ている〉

〈恐山の開山期間は5月1日〜10月末日なのだそうだ 調べずに来たからあやうく閉山で入れないところだった〉

〈石仏には北国らしく頬かむりがされている もう少しで極寒の雪に埋もれるのだろう〉

〈八葉塔〉

〈賽の河原の先には極楽浜が〉

〈恐山 心と見ゆる湖を 囲める峰も 蓮華なりけり 大町桂月〉

〈恐山は日本三大霊場のひとつといわれています 他の二つはどこでしょうか〉

〈答え 比叡山と高野山でした これで三大霊場全部を訪れたので極楽行き間違いなし〉

〈さあ これで地獄も極楽も体験したので心の準備はできた〉

〈斗南藩屋敷土塀跡 会津を追われた旧藩士たち17000人余りが移住したが過酷な自然の前に餓死や凍死者が続出した〉
斗南藩

 戊辰戦争に敗れた会津藩は、「朝敵・逆賊」の汚名を着せられ廃藩となったが、明治2年(1869)に家名再興を許される。そこで、容保公の実子で当時生後5ヶ月の容大(かたはる)が後を継ぎ、斗南藩3万石を立藩。しかし、容大公は幼令であったため、山川浩が権大参事となり新藩の全責任を負い、新領地を治めることになった。23万石からわずか3万石に削封された会津人たちは、こうして北奥の斗南藩領へと移住することになったのだ。

明治3年(1870年)春、移転が始まったが、移転した者たちは、悲惨な旅路であったと言う。晩秋のことで、みぞれ交じりの寒さに死者も多数にのぼり、自殺行為に等しいものだった。入植先での生活もまた、冬に入ると餓死や凍死、栄養失調などで死者が続出したという。

〈旧斗南藩の歴史は悲しい〉

〈今日のような穏やかな日には想像もつかない厳しい冬が来るのだろう〉
尻屋崎と寒立馬(かんだちめ)
   

〈海峡食堂「善」で津軽海峡を眺めながら漁師丼をいただく かすかに北海道が見える〉

〈寒立馬は寒気と粗食に耐え持久力に富む農用馬として重用されてきたがが平成7年には9頭まで激減した〉

〈しかしその後の保護政策により40頭ほどに回復した。寒立馬及びその生息地は青森県の天然記念物に指定されている〉

〈尻屋崎灯台 明治9年(1876)東北地方初の洋式灯台として建てられた〉

〈本州最涯地尻屋崎の碑と尻屋崎灯台〉

〈野生の寒立馬は神出鬼没 出会えたらラッキーとガイドには書いてあった〉

〈冬にはこんな過酷な自然の中で粗食に耐え生き延びる〉
大間のマグロ

 大間のマグロというのは、高級マグロの代名詞のように言われているが、下北半島に来たら是非食べて帰りたいと喜多さんは言い続けていた。尻屋崎手前の岩屋という集落にある「海峡食堂 善」で漁師丼1500円を注文したが、マグロは入っていなかった。不満な喜多さんは、青森のJALシティーホテルにチェックイン後、「まちなか温泉」で体をほぐし、「大間のマグロ」ののぼりのある居酒屋「どさゆさ」で、大間のマグロの刺身を注文したのだった。

願望を果たした喜多さんであったが、感想は「それほどでもない」というもので、三崎のマグロを普段堪能している弥次喜多には、それほどの違いは判らないのであった。

〈狸?も出没〉
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