令和元年10月4日 金曜日 晴れ 日産ヘリテージコレクション 
 
   
日産ヘリテージコレクション

 偶然どこかのメールのお知らせで、旧日産自動車座間工場にヘリテージコレクションという日産歴代の車が展示してあり、無料で見学できることを知った。

車好きの弥次さんとしては、ぜひ見に行かねばとさっそくHPから見学の申し込みをした。昨年から日産は、カルロス・ゴーン問題や西川社長の不正所得問題での退任等明るい話は少ない。
しかし、腐っても鯛、社長は不正をしても「技術の日産」だ。往年の名車を見てみたい。

〈座間工場は閉鎖されたが研究センターとして機能している〉
   

〈受付に展示してある最新のスカイライン〉
   

〈みなとみらいで実際に稼働しているレンタル電気自動車 二人乗り〉
   

〈1966年4月発売 サニー1000デラックス スタンダード41万円 デラックス46万円 公募で選ばれた車名だった〉
   

〈チェリー そういえばこんな車もあった〉
   
我が家のくるま

 田舎の実家では商売をしていたこともあり、早くから貨物車があった。物心ついた時にはすでにあったから昭和30年ころには父親は車を運転していたのだろう。最初は「Always三丁目の夕日」にも出てくるような、オートバイに後輪を足したような角ハンドルのオート三輪だった。ドアはバーが1本あるだけで車と言ってよいものだったのだろうか。

そのあと、丸ハンドルのオート三輪「くろがね号」が来てやっとドアがついた。初めて乗用車(といってもライトバン)が来たのは弥次さんが小学生の時だった。トヨタコロナのライトバンだ。父親はドライブ好きだったので、この車で出雲大社や九州鹿児島などあちこち連れて行ってくれた。

〈弥次喜多世代は車へのあこがれとともにあった〉
   
 小さい頃の記憶は脳の奥底に刻み込まれているのだろう、トヨタの営業マンと自宅でボディーカラーを選ぶ際の
やり取りを鮮明に覚えている。父親が好きな色にしていいというから冗談で「黒と白でも大丈夫?」といったら
「大丈夫ですよ」と答えた。まさかパトカーと同じ塗装にはできないから無難なグレーを選んだ。昭和30年代は、
田舎ではまだ車はほとんど走っておらず、父親のオート三輪が通りかかると、小学生の子供たちが手を挙げて
「乗せて、乗せて!」という時代だった。国道2号線も舗装されていない区間が多く、バス停で待っていた男の人が
「バスがなかなか来ないので乗せてくれませんか?」という事態にも遭遇したことがある。
   

〈ガイダンスと説明上映ののちフリー見学組とガイド付き見学組に分かれる〉
   

〈初めてなのでガイドツアーに参加 およそ25分ほどみどころをガイドしてくれる〉
   
 
〈スカイライン2000GT-R 1973年 ケンとメリーのスカイライン(ケンメリ)は高嶺の花だった このころのエンジンルームはスカスカ〉
   

〈横浜スタジアムで実際に使われていた投手交代のリリーフカー〉
   

〈1933年 ダットサン12型フェートン〉
   
日産自動車のはじまり

 1911年創業の「快進社自動車工業」と1919年創業の「実用自動車製造」が合併してできた「ダット自動車製造」
へ、稀代の事業家・鮎川義介が出資し、大規模な自動車製造事業へ発展させました。

ダットサンの誕生と名前の由来

 「DAT」とは、ダット自動車製造のさらに前身の「快進社」の出資者である田健次郎(D)、青山禄郎(A)、
竹内明太郎(T)の頭文字を組み合わせたもので「DATSON-ダットソン」は「改進社」で生産された
「DAT CARの息子」という意味で命名されました。1932年には「SON」を太陽の「SUN」に変更し、以後
「DATSUN-ダットサン」が日本の自動車産業を牽引していきます。


それは1954年(昭和29年)、1台のクルマから始まりました。1933年(昭和8年)製ダットサン12型フェートン。
現在の日産自動車座間記念庫は、この歴史的なオープンカーの保管展示からスタートしたのです。以来、収集を
重ね、保管台数は約450台以上を数えるに至っています。
(日産ヘリテージコレクションパンフより)

ということで、永年日産自動車の仕事をさせてもらっていた身としてはすでに知っていたことではあったが、この
当時道路も整備されていない時期に、車に目をつけて出資するとはさすがに先見の明がある人たちだ。ちなみに
弥次さんは25歳から35歳まで日産担当として毎日のように銀座の日産本社に通っていたのであった。


ダットサン初の量産乗用車の説明をしてくれたお姉さんからのクイズ。1933年発売されたこの車の値段はいくら
だったでしょうか?①1,650円、②16,500円、③165,000円 ちなみにこのころの教員の初任給は45円でした。・・・
答えは①の1,650円。20人くらいのガイドツアーで正解は弥次喜多夫婦二人だけだった。

しかし、現在の貨幣価値で800万円を出して車を買える人などそうそういなかったに違いない。
   

〈ダットサン15型フェートン 1936年(昭和11年)発売 フェートンとは幌屋根を持つ4人乗りの車型を指す〉
   

〈ダットサン17型セダン 1938年(昭和13年) 戦時色が濃くなり翌年には生産終了〉
   

〈ダットサン17型フェートン 1938年 かつて成城大学自動車部が所有しレストアしたのだそうだ〉
   

〈ダットサンスポーツ 1952年(DC-3型) のちのフェアレディーに続く日本車で初めての「スポーツカー」〉
   

〈ダットサンブルーバード 女性オーナー向け1200ファンシーデラックス 1963年〉 
   

〈助手席のサンバイザーには化粧ポーチがついていた〉

〈室内には花瓶が・・・嘘みたい〉
   
ダットサンブルーバード

 1959(昭和34)年の発表会が動員12万人を記録した初代ダットサンブルーバード(310型)は翌年3月には累計2万台を達成し、対米輸出も始まります。

このクルマは1963(昭和38年)年、皇太子殿下と美智子妃殿下のご結婚を記念して横浜市内に建設中の「こどもの国」へ各都道府県の花の種子を届ける役割で、朝日新聞社と46道府県による「全国花の親善使節」の公式車「フラワーカー」を務めた実車です。ボディーには全国の県花と県知事のサインが書かれています。

ブルーバードもライバルのトヨタコロナもすでに名前は残っていない。

〈ダットサンブルーバード1200デラックス 1962年発売〉
   

〈ダットサンベビー 1964年 横浜に開園した「こどもの国」に登場した「こども自動車」 初めて見た〉
   

〈ダットサンブルーバード1300 1967年 メキシコ五輪の前年日本選手団に提供された車両でボディーに選手のサインが〉
   

〈ダットサンフェアレディ SPL213 1961年 1960年から北米輸出専用車として発売〉
   

〈ダットサンフェアレディ1500 1965年 1962年10月に日本初の本格スポーツカーとして発売〉
   

〈フェアレディ2000 1968年 最高出力145馬力 最高速度205km/hを記録 日本車初の200km/hオーバーカー〉
   

〈フェアレディZ 432 1969年 フェアレディZの初代モデルで今見てもかっこいい〉
   

 〈432ではないが発売の年に兄が19歳の時若気の至りで買ったのもこの色 当然維持できずすぐに手放す羽目に〉
   
 
〈セドリック スペシャル 1964年 東京オリンピックの聖火搬送車の大役を務めたクルマ〉
   

〈プリンス・スカイライン 2000GT 1965年 日産と合併する前のプリンス自工から発売された〉
   
初めて買ったクルマ

 実家が山口県の片田舎だったので、大学時代は帰省してもクルマがないことには身動きが取れない。大学1年生の夏休みに免許を取ったので、安い車を探していたところ、兄の友達に売りたい車があるという。ちょうどアルバイトで稼いだお金が11万円あったので、見に行くとこのプリンススカイラインGT-Aだった。10年落ちで後で考えるとずいぶん高い買い物だった。しかも東京にいる間は乗れず、改造していたので1年後には車検が通らず廃車だ。しかし、加速がものすごい車だった。セコで100kmくらい軽く出る車だった。

いままで買った中では、こんな走りのクルマは40代で買ったオペルベクトラくらいのものだ。

〈初めて自分で買ったクルマ〉
   

〈プリンスにはグロリアもあった〉
   

〈ダットサン14型トラック 1935年 日産自動車の前身「ダット自動車製造」が1932(昭和7)年に発売〉
   

〈パルサー エクサ コンバーチブル 1985年 リトラクトブルヘッドライトも流行った〉
   

〈ニッサン エスカルゴ 1989年 カタツムリをイメージさせるエクステリアデザイン〉
   

〈サニー 1500 EXサルーン 横浜に引っ越して初めて買ったクルマ いい車だったけどパワーがいまいち〉
   

〈フィガロ 1991年 バブルの末期に20,000台限定で発売された「バイクカー」第4弾〉 
   

〈ニッサンPAO キャンバストップ 1989年「バイクカー」シリーズ第2弾 バイクカーとは遊び心のある少量生産車〉
   

〈Be-1 キャンバストップ 1987年 第26回東京モーターショーで話題になった「バイクカー」第1弾〉
   
 
〈フェアレディ 2シーター280Z-L 1978年 初代から9年目で初のフルモデルチェンジ〉
   

〈フェアレディ240ZG ハイウェイパトロールカー 1972年 最高速度は当時日本最速の210km/h〉
   

〈シルビア 1966年 生産台数は4年間でたったの550台だそうだ 第三京浜での日本初のハイウェイパトカー〉
   

〈チェリー X-1 4ドアセダン 1970年 日本初のFF車としてデビュー 特に欧州市場で高評価〉
   

〈バイオレット ハードトップ1600SSS-E 1973年 サニーとブルーバードの中間を埋める車種 そういえばあったね〉
   

〈ニュー・シルビアLS タイプS 1975年 開発段階では日産初のロータリーエンジン搭載計画があったそうだ〉
   

〈ダットサンブルーバードU セダン 2000GTX 1975年 学生時代欲しかったクルマのひとつだ〉 
   

〈スカイライン ハードトップ2000GT 1974年 ケンメリと呼ばれ当時の若者のあこがれだったクルマだ〉
   

〈スカイライン2000GT-R 1973年 このケンメリはわずか4か月、200台足らずで終了したため幻のGT-Rと呼ばれる〉 
   

〈ガゼール ハッチバック ターボXE 1981年 シルビアの姉妹車 こんなクルマもあったね〉
   

〈シルビア Q’s 1988年 5代目だがこのボディーカラーには苦労した カタログやポスター制作を担当していたのだ〉
   

〈ニッサン180SX TYPEⅡ 1990年 シルビアのハッチバッククーペ 最初は北米・欧州市場モデル〉
   

〈ダットサンブルーバード4ドアハードトップ1800ターボSSS-X-Gタイプ 1982年 ターボエンジンが流行ったころだ〉
   

〈スカイライン 1989年 8代目R32型 だんだんとスカイラインらしさがなくなっていったころだ〉
   
 
〈プレジデント ソブリン 1980  トヨタセンチュリーとともに縁のないクルマだ〉
   

〈セドリックシーマ タイプⅡリミテッド 1988年 バブルを代表するクルマだ このころは都市部で軽自動車に乗っている人などいなかった〉
   

〈インフィニティQ45 1991年 米国市場での新ブランド レクサスほどには根付かなかった〉
   

〈フェアレディZ 2by2 Tバールーフ 1985年 3代目Z 会社の先輩が乗っていた〉
   

〈3代目はリトラクタブルヘッドライトになったが個人的には初代・2代目の奥目のほうが好き〉
   

〈フェアレディ 280Z-T 2by2 1981年 2代目フェアレディZは今でも欲しい〉
   

〈日産を担当していたからサニーに続いて買ったセフィーロ 1988年 井上陽水のみなさんお元気ですか~のCMが印象深い〉
   
 
〈ダットサン1000セダン 富士号 1958年 オーストラリア一周ラリーにおいて19日間で16,000kmを完走〉
   

〈歴戦のラリー車〉
   

〈モータースポーツ車は次元の違うクルマ〉
   
   

〈フェアレディZのラリー車 かっこいいね〉
   

〈過酷なレースを物語る〉
   

〈このフェアレディZは実際にエンジンをかけて音を聞かせてくれる〉
   
 
〈フェアレディ Z33 2002年 2000年(平成12年)にいったん途切れたZは2002年に復活を果たす〉
   
 
〈NISSAN GT-R ボルトスペシャル 2012年 R35型 ウサイン・ボルトの直筆サイン 世界に第3台のみだそうだ〉
   

〈圧倒される数のレース車〉
   
 
〈それぞれにドラマがあるのだろうが派手すぎて現実味に欠ける〉
   
   
   

〈SUPER GT  GT300 2010 No.3 HASEMI SPORT TOMICA Z〉
   

〈このクルマは2010年シリーズ優勝も果たした「HASEMI SPORT TOMICA Z」
   

〈フェアレディ 240ZG 1973年〉
   

〈初代フェアレディZは国内の2Lに対して輸出向けは2.4Lだった〉
 
 

〈FAIRLADY JGTC 2004#1XANAVI NISMO Z 2004年〉
   

〈スカイラインGT-R譲りのメカニズムで2年連続チャンピオンになったクルマ〉
   
   

〈日産リーフ 横浜スタジアムリリーフカー 2017年 喜多さんもリリーフカーに乗ってみた〉
   

〈ニッサン バン 1938年 商品搬送用に三越が使用 1965年ごろまで現役だったそうだ〉
   

〈ガイドツアー25分ののち自由見学時間は40分ほど〉
   

〈ゆっくり見ていたら時間になってしまった〉
   

〈ニッサン MID4(Ⅱ型) 1987年 東京モーターショーに出展されたが市販には至らなかった〉
   

〈お土産にフェアレディZチョコを購入 1,080円〉

〈中身はメリーチョコレートとのコラボ〉
   

〈クイズに正解したのでオリジナルせんべいをもらった〉

〈来るたびにポイントをためるとオリジナルグッズをくれるらしい〉
   
 約1時間半の見学だったが、じっくり見るには少し時間が足りなかった。平日限定でポイントカードにスタンプを押してもらうとオリジナルグッズをくれるらしいので、また今度は一人でじっくり見に来ようと思う。

日産の見学に行くのにトヨタ車では申し訳ないかなと思っていたら、見学用駐車場に停まっていた車は日産車以外が圧倒的に多かった。日産としても今度買うときには日産車をよろしくね・・・ということで納得しているのだろうと理解した。


来月には車で山口・九州に行く予定なので、長久手にある「トヨタ博物館」に立ち寄ってみようかと思っている。

〈スカGのピンバッジをもらった〉
   
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