平成24年9月30日 日曜日 晴れのち雨 近所を散歩
やじさんぽ

 8月31日に富士登山をして以来、ほとんど歩いていない。もちろん、生活のための歩行はせざるを得ないが、あまりの暑さにどこにも出かける気がしなかった。9月も最終日になったので多少暑さも和らいだかと、喜多さんと二人で近所を散歩することにした。ところが日差しはまだ夏のままだ。台風17号が近づいてきており、東京にも暴風雨警報が出たようだ。

雨が降り始める前にと、朝8時半には家を出て午前中に戻ってくる予定だ。昭和30年代にはぶどう狩りのためのぶどう畑があったという高台から、根岸の米軍住宅わきを通って元町までを歩いてこようと思う。地井武男さんの「ちい散歩」は好きでよく見ていたが、残念なことに今年の6月に亡くなられてしまった。弥次さんとしては「弥次散歩」を続けていきたい。

〈昭和30年代には観光ブドウ園だったという丘陵には住宅がびっしり〉

〈横須賀街道(国道16号線)に沿って造られた運河「掘割川」〉
掘割川

 この横浜市磯子区の「掘割川」は全くの人工の川で、明治3年から運河の掘削が始まり、明治7年に完成したそうだ。その後、関東大震災(大正12年) により被災し、大正15年から昭和3年にかけて復興工事が行われた。現在の堀割川の姿は 震災復興事業によるもので、今も石積み護岸や物揚場、橋の親柱などに昔の面影を残している。

堀割川は、平成22年度土木学会選奨土木遺産に認定されたそうで、当時としては大土木工事だっただろう。その掘割川に沿って、根岸台のふもとを中村橋まで行き、稲荷坂を米軍住宅方面に上ってゆく。横浜は坂の多い街だ。

〈稲荷坂の中腹から登ってきた道を振り返る 実際はかなりの上り坂〉

〈稲荷坂の突き当りはアメリカ 日本人は入れない〉
神奈川県は沖縄、青森に次ぐ「基地県」だった

 神奈川県の米軍基地の面積は20.8ku、基地数は14カ所で、沖縄、青森に次ぐ「基地県」でもあるらしい。

横浜市内には現在のところ@鶴見貯油施設、A横浜ノース・ドック、B上瀬谷通信施設、C深谷通信所、D根岸住宅地区、E池子住宅地区及び海軍補助施設の6カ所の米軍施設があるそうなのだが、もともと基地の街岩国で生まれ育ったからあまりアレルギーはない。しかし、戦争に負けたことが今に続いていることを実感する瞬間でもある。

〈米軍住宅は日本人立入禁止〉

〈狭い土地に建てこんでいる日本人の住宅に比べて米軍住宅は芝生の庭が広々〉

〈米軍住宅に隣接する増徳院の聖観世音像 大正12年高村光雲先生の作とある〉

〈みなとみらい方面 ランドマークは大阪に日本一の高さを持って行かれた〉

〈打越橋からのみなとみらい方面〉

〈山手の高級住宅街 喜多さんはこの辺りに住みたいというが・・・〉

〈かつては沢田研二や千昌夫も住んでいたところ そんな甲斐性はありません〉
高級住宅地

 かつてのバブルのころには、横浜では田園都市線のたまプラーザあたりに地価で抜かれたこともあるようだが、なんといっても横浜と言えば山手が一番の高級住宅地だろう。

ま、分相応ということばもあるので、大それたことは考えずに散歩を楽しむだけにしよう。

〈カトリック教会〉

〈正面はフェリス女学院 日本で初めての女子校〉

〈汐汲坂 干拓前はこの辺りまで海だったのだろう〉

〈末日聖徒イエス・キリスト教会〉
 軽井沢にしても、この横浜山手にしても西欧人が目を付けた場所はどうしてしゃれた感じになるのかね。

1859年
(安政6年)の開港の後、1864年(元治元年)にイギリス領事が横浜村の人口を調査したそうで、開港前は半農半漁の寒村であった横浜村が、この調査によると日本人の人口は12,000人に達し、居留外国人も1861年(文久元年)の段階でイギリス人54人、アメリカ人38人、オランダ人20人、フランス人14人までになっているそうだ。さらに、外国商館で働く中国人も多数来日し、この街は世界の人々が交流する場所になっていくことになる。それが、いまの横浜中華街にもつながってゆくのだろう。

〈イエス・キリスト教会の長老たち〉

〈ベーリックホール〉

〈エリスマン邸〉

〈山手十番館〉
外国人墓地

 キリスト教徒の墓は、お寺の墓と違ってどうしてもしゃれた感じがしてしまう。なぜかと考えるまでもなく墓石が優雅だ。一つ一つのスペースがちゃんとあるし、卒塔婆がない。

ずっと前に岩国から中学生の姪が横浜に遊びに来てここに連れてきたことがあるが、「人のお墓を見て何が面白いん?」と聞かれたことがある。確かにその通りなのだが、この墓の一つ一つに大変な歴史があるのだろう。この墓地に葬られた人たちは外国から遠くの日本まで来て、この横浜で亡くなり葬られた人たちだ。弥次さんの祖父も今から110年くらい前にハワイとアメリカに渡り働いていたそうだが、アメリカで死なずに日本に帰って来れたからこそ今の弥次さんがいて子どもたちもいる。

〈この左に外国人墓地はある〉

〈それぞれのスペースは人が埋葬できる広さ〉

〈マイケルジャクソンのスリラーではこんなところからゾンビが出てきた〉

〈やはり西欧人が似合う街だ〉

〈外国人墓地沿いに石段を降りてくると生麦事件の被害者リチャードソンの墓がある〉

〈元町ではチャーミングセール最終日〉

〈右手には中華街の門も見える〉

〈ハマトラの元祖フクゾー 右はバッグのキタムラ〉

〈突然の雨に傘屋さんは大繁盛〉

〈元町入口のモニュメント 元町は居留地の西欧人のための商店が発展したショッピングストリート〉

〈地元の岡村天神経由で帰る〉

〈縁起では鎌倉時代に京都の北野天満宮から分霊〉

〈地元出身の「ゆず」の絵は伊勢佐木町の横浜松坂屋から岡村天神に移された〉

〈大正時代には横浜三大縁日として大いににぎわったという〉

〈同じ部位を撫でれば患部の苦痛がやわらげられるという〉

〈岡村天満宮 子どもの七五三はこの神社でお願いした〉
 台風17号が近づいているので天候が不順だ。突然の雨に降られたりしたので帰りはバスで帰ってきた。ただ元町方面からのバスはふもとまでしか行かないので、えっちらおっちらと坂道を登って岡村天満宮経由で丘の上の自宅に戻ってきた。岡村公園のテニスコートや野球場ではスポーツの秋にふさわしく汗を流す人がたくさん。

久しぶりの散歩で足も少し元気になってきたようだ。3時間の散歩で約13,000歩。10月20日〜21日は、甲州道中のゴールを目指して歩いてくるつもりだ。

〈岡村少年野球場 まだ無名時代のゆずのコンサートをここで聴いた〉
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