平成30年6月5日 火曜日 曇りのち小雨 山の辺の道 天理編
 
   
山の辺の道

 街道歩きを始めて間もないころ、日本で一番古い道と言われる「山の辺の道」の存在を知った。古事記や日本書紀にその名が残るというから、少なくとも記録に残る日本最古の道ということになる。

「山の辺の道」は小高い山に囲まれた奈良盆地の東側の山すそを縫うように、三輪山のふもとから奈良へ通じる南北に連なる道だ。そのころの奈良盆地は沼地で歩くことはできず、第10代崇神天皇陵・第12代景行天皇陵や日本一古いとされる大神
(おおみわ)神社への官道として成立したのだろう。


〈新横浜から京都へ新幹線で移動〉
   
 当然人が生活する以上、けもの道のような道はそれ以前にもあったであろうが、人が移動するために整備された道というものは、日本においては「山の辺の道」が記録に残る最古の道で、聖徳太子も歩いたという。いつか歩いてみたい道のひとつであったが、なかなかきっかけがなく、今回やっと相棒の喜多さんとの調整もでき、歩きに出かけられることとなった。

スケジュールを組むにあたっては、車か新幹線か、どこに泊まるか、ネットでいろいろ調べていたらJR東海ツアーズの、新幹線と宿泊がセットになったプランを見つけた。乗れる新幹線の制約はあるがかなりお得な値段で奈良に行ける。

〈京都駅からJR奈良線みやこ路快速で奈良に向かう〉
   
 どのくらいお得かというと、正規料金では新横浜~京都の新幹線代と横浜市内~奈良の乗車券代で片道13,280円。往復で26,560円。宿泊はピンキリだが、だいたい素泊まりで1泊数千円というところだろう。JR東海ツアーズのパックは、往復の交通費と2泊の宿泊込みで27,600円だからほぼ交通費だけで宿泊はサービスという計算になる。その代わり、ANAの早割と同様、乗り遅れると新たにきっぷを買わなければならない仕組みだ。

予定通り12:34に京都駅に着いた弥次喜多道中は、13:03発のJR奈良線みやこ路快速で奈良に13:48に到着。本日泊まる駅前のホテルに荷物を預けて、奈良駅14:08発のJR桜井線で天理駅に向かう。

〈奈良駅からはJR桜井線で天理駅へ〉
   
 
〈14:22に天理駅に到着 天理駅から山の辺の道までは1km以上の商店街を抜けていく〉
   

〈天理駅前から続く天理本通〉

〈このようなりっぱなアーケード街が1kmも続く〉
   

〈この立派な建物は天理教に修行に来た人たちの待機所のようだ〉

〈天理教グッズもたくさん売っている〉
 

〈天理教の教会本部を撮影していたら若いお兄さんが中を案内しましょうか?と寄ってきた〉
   
天理教

 江戸時代末期に成立した新宗教の一つで、中山みきを教祖とする。天保9年(1838)に長男の足の病の原因究明と回復のために山伏に祈祷を依頼したが、この時、中山みきが憑依状態に入ったという。

はっきり言って、世にあまたあるこのような宗教は理解もできないし、まして入信など考えたこともない。しかし180年ばかり前に、中山みきさんが神がかりになったことで、今では天理市という自治体にもなり、その信者は最盛期で500万人にもなったという。アーケード街を歩いて「山の辺の道」に向かう途中にも、天理教の法被を着た老若男女とたくさんすれ違う。外国人もいたのには驚いた。

〈信者にされたらたまらないのでさっさと退散〉
   

〈このような信者のための施設がたくさん〉

〈2km近く歩いてやっと石上(いそのかみ)神宮に到着〉
   

〈石上神社は日本最古の神社の一つ 物部氏の総氏神〉
   

〈日本にはこのような大木が希少なのでカナダから輸入したとテレビ番組で言っていた〉
   

〈文保2年(1318)建立 山形有朋の木額(万古猶新)のある楼門 重要文化財〉〉
   

〈鶏が神の使いと大事にされたくさんいる 拝殿は国宝 白河天皇が永保元年(1081)に寄進されたものと伝えられる〉
   

〈娘と息子は社会人だが2人とも仕事上の試験を控えているので、ピンチをチャンスに変えるというお守りを購入 日本一かっこいいお守りとして有名〉
   

〈山の辺の道は奈良から天理を経由して桜井までだが、天理~桜井間が一般的らしい〉
   

〈石上神宮から山の辺の道をスタート〉
   

〈僧正遍昭の歌碑〉
 
〈野菜などの直売らしいが何もない〉
   

〈山の辺の道には道標があちこちに それでも何回か迷った 大きなカメも歩いていた〉
   

〈芭蕉句碑 うち山やとざましらずの花ざかり〉
   

〈内山永久寺跡 かつては西の日光と言われるほどの大伽藍だったというが明治の廃仏毀釈で廃寺に〉
   

〈このあたり一帯は壮大な伽藍だったようだが跡形もない〉
   

〈このような歴史を見ると明治維新はあらゆる面でクーデターだったと言える〉
   

〈奈良盆地はかつて沼沢で道は山沿いに造られた〉
   

〈山の辺の道にはミカン畑が多い〉
   
   

〈石畳もあるがきれいすぎるので最近のものだろう〉
   

〈天理観光農園 一休みしようと思ったが開いていない〉
   

〈夜都伎(やとぎ)神社〉
   
 
〈夜都伎神社は水の神を祀るそうだ〉
   

〈お願いすることはたくさんある〉
   

〈右手に奈良盆地を見ながら山の辺の道を行く〉
   

〈休憩所があったので一休み 712年編纂の古事記、720年編纂の日本書紀に崇神天皇陵は山の辺の道の上の陵と記されている〉
   

〈山の辺の道は古墳の密集地帯〉
   

〈波多子塚古墳と柿本人麻呂の歌碑〉
   

〈西山塚古墳 発掘調査は行われていないそうだ〉 
   

〈いかにも古墳 しかし3~5世紀ころにこのような大土木工事を行えたとは〉
   

〈2000年の歴史 最古の御社 大和神社御旅所と由来〉
   

〈天の神・天照大神と地主神・倭大国魂の二神を皇居の内に祀ったが、天皇は二神の神威の強さを恐れた〉
   

〈いま天照大神は伊勢神宮内宮に倭大国魂神は大和神社に鎮座される〉
   
   
 
〈ふすまぢを引手の山に妹を置きて山路を行けば生けりともなし 柿本人麻呂〉
   
 
〈この辺りは卑弥呼の陵と言われる箸墓古墳がある〉
   
 
〈黒塚古墳 きれいに整備されている〉
   
 数日前の予報では、6月5日から3日連続で雨マークだったが、今日は何とかもってくれて助かった。午後から歩き始めたので、本日はちょうど中間地点のJR柳本駅で終了し、奈良駅まで戻ることにする。

長岳寺に着いた時には、すでに5時を過ぎていたので境内には入れない。明日は長岳寺からスタートすることにする。

〈JR奈良線柳本駅から奈良駅へ戻る〉
   
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