平成24年8月11日 土曜日 曇りのち晴れ 玉造温泉〜宇部 | |
〈山陰本線の車窓から@〉 |
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〈山陰本線の車窓からA〉 |
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〈山陰本線の車窓からB〉 |
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山陰本線各駅停車の旅 弥次喜多道中は街道歩きも好きなのだが、ローカル線を各駅停車でゆく旅も実は結構好きなのだ。新幹線は時間の効率ばかりでトンネルが多く、きれいな景色を眺めながらのんびり旅をするというわけにいかない。 |
〈益田駅で乗り換え〉 |
寅さんが旅をするように、なるべくローカル線に乗って旅をしたいと思う。それには青春18きっぷが便利 なので、玉造温泉駅で買おうとしたら扱っていないのだそうだ。横浜で買ってこなかったのが悔やまれるが、 玉造温泉駅発9:10に乗らないと4時間後でないと特急以外は止まらない。ま、とりあえず次の乗換駅益田 駅まで行って買うしかないなと思ったが、ダメ元で益田駅の駅員さんに事情を話すと、益田駅で買っていた だきスタンプを押しますと言ってくれた。この後山陰本線で山口県の長門市まで行き、美祢線に乗り換えて 厚狭経由で宇部新川駅まで行くから二人で5,000円くらい助かった。 |
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柿本人麻呂伝説 『歌聖・柿本人麿の生涯はナゾに包まれています。唯一はっきりしていることは、日本最古の歌集・万葉集に、人麿さんがつくった多くの長歌、短歌が集録されていること。時代でいえば持統天皇の681年から文武天皇の700年までとなります。その前と後、つまりどこで生まれ・育ったのか、どこで死去したのかなどは一切ナゾのままです。このことが日本各地に、さまざまな人麿伝説を生んできたのでした。ところが島根県益田市戸田町には古代から連綿と続く語家(かたらい)が現存し、この地を柿本人麿生誕・成長の場所として今に語り継いでいます。その語家というのは綾部家で、いつの頃からか人麿さんを神として戸田柿本神社にお祀りし、激動の歴史の流れを越えて平成の今日に人麿誕生説話を伝えてきました。』とのことで、駅の近くには柿本神社がある。この益田駅で乗り換えに1時間以上あるので、駅前で昼ごはん。 |
〈益田は柿本人麻呂の出生地という言い伝えが・・・〉 |
〈山陰本線の一両編成ディーゼル車 益田駅〉 |
〈益田駅からこのディーゼル車で長門市に向かう〉 |
〈長門市駅に着いた 美祢線で厚狭駅に向かう〉 |
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〈このディーゼル車は下関へ向かう〉 |
〈厚狭駅に到着 この駅は新幹線も停まる〉 |
宇部に弟を訪ねる 三歳年下の弟は、小野田市の警察署に勤めていて単身赴任中だ。前から一度遊びにおいでと誘われていたので、山陰に行ったのを幸い訪ねることにした。実は赴任しているのは宇部とばかり思っていたが隣の小野田市だったらしく、宿は宇部新川駅にほど近いANAクラウンプラザホテルにとってしまった。警察の寮に泊まれと言ってくれたのだが、エアコンをつけていないらしいので遠慮することにする。 それでも同僚におすすめの店を聞いて、ホテルの近くの居酒屋を予約してくれていたが、魚の非常にうまい店だった。さんざん喜多さんと三人で話に花が咲いて、リタイアの暁には昔のようにまた三人で旅行に行きたいねと盛り上がる。今から30年前の新婚時代には、まだ学生だった弟と、上高地や佐渡など三人で旅行したものだ。 |
〈本日の宿 ANA宇部クラウンプラザホテル〉 |
〈魚がうまい店 べにや〉 |
〈生きたままのイカの刺身 この後の天ぷらがまたうまい〉 |
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