平成24年8月10日(金)〜14日(火) 出雲玉造温泉〜宇部〜岩国の旅
4年ぶりの同窓会に出席

 今年(2012年)は、オリンピックの年だ。今から38年前に岩国高校を卒業したひつじ年とさる年生まれの我々は、羊猿(ようえん)会と名付けた学年の同窓会をオリンピックの年の4年ごとに途切れることなく開催してきた。厳密に言えばひつじ年は未年で、さる年は申年だから未申会が正しいのだろうが、そんな細かいことはどうでもよい。息子にこの話をしたら、息子の代は巳年と辰年だから蛇龍会となるから、まるで中国マフィアの名前だねと大笑いとなった。

そんなわけで、基本的には同窓会に出席する為に岩国に帰るのだが、ただ帰るのではつまらない。そこで何かイベントをとプランを練っていたが、喜多さんが玉造温泉に行ってみたいという。

〈岡山駅で新幹線から特急やくもに乗り換え玉造温泉駅へ〉
玉造温泉

 弥次さんも玉造温泉は行ったことがないので、では行ってみようじゃないのと、新横浜8:49発のぞみ17号に乗り込み岡山駅に11:55に到着。岡山からは特急やくもに乗り換え、山陽本線・伯備線で米子・松江経由で玉造温泉駅に着いたのが、予定通り14:43のことだった。

玉造温泉は有名な温泉だから、駅前もそれなりににぎやかなのかと思っていたら、何もない。ホテル街まではタクシーで5分程度らしいので、駅前にいたタクシーに乗り込むと720円でホテルに着いた。本日の宿は、昭和天皇が二度宿泊されたという「湯之助の宿長楽園」というところだ。日本一広い混浴露天風呂があるらしい。

〈玉造温泉駅はさみしい駅〉
湯之助の宿 長楽園

 出雲風土記にも、豊かな効能が謳われている玉造温泉。かの「枕草子」にも記された日本屈指の名湯です。その湯元に、広大な庭園に包み込まれるように静かな佇まいを見せるのが「湯之助の宿 長楽園」。「湯之助」とは、江戸時代に松江藩より玉造温泉を預かり、一切を取り仕切るために、私共に与えられ、大切に受け継いできた役職の名前です。百二十坪の大露天風呂に滔々と湧きだし流れる源泉にゆったりと身体を浸し、心ゆくまで贅沢な時間をおすごしください。』・・・・とパンフレットにはある。

確かに予想以上に良い宿だった。

〈湯之助の宿 長楽園〉
 銀座のJTBで予約した時は、風呂付と風呂なしがあります、部屋の広さは12畳と10畳と8畳がなどというものだから、温泉があるのに部屋の風呂には入らないし、部屋なんて二人だから8畳もあれば十分と言って一番安いプランにしたのに、通された部屋は10畳の次の間付の風呂のある部屋だった。

フロントで部屋をグレードアップしておきましたと言っていたが、ありがたく好意に甘えることにする。それにしても気持ちの良い旅館だった。部屋もきれいに掃除が行き届いているし、露天風呂も庭も素晴らしい。料理も期待していなかったが、出てくるもの一つ一つがちゃんと仕事がしてある感じで、熱いものはちゃんと熱く、冷たいものはちゃんと冷たく出てくるしすべておいしくいただいた。生ビールと地酒の冷酒がおいしい。

〈これが昭和天皇が泊まられた別館らしい〉

〈素晴らしい庭園〉

〈庭を一周するのも結構時間がかかる〉

〈大国主と須勢理比売〉

〈根の国で須佐之男命に試練を与えられる大国主命〉

〈刮貝比売(きさかいひめ)と蛤貝比売(うむかいひめ)〉

〈大やけどで死んだ大国主命は両姫の治療で生き返る〉

〈大国主命と因幡の白ウサギ〉

〈助けた兎は八上比売はあなたと結婚するでしょうと予言する〉

〈八岐大蛇(やまたのおろち)から櫛名田比売(くしなだひめ)を救う大国主命〉
玉造温泉街を散策

 部屋で一休みした弥次喜多道中番外編は、ホテルの下駄を借りて近所を散策に出かける。久しぶりの下駄が素足に心地よい。

弟に玉造温泉に泊まるというと、「何もないところじゃ」と言っていたが、何もないのがいいと思う。温泉地にありがちないかがわしそうな店とか射的屋などは何もない。川沿いには出雲神話にちなんだ像が設置してあり、端から端まで歩いても数百メートルの道を楽しく散策した。

〈姫神の像〉

〈三種の神器(八咫鏡・八尺瓊勾玉・天叢雲剣)〉

〈恋山神話 タマヒメを恋うワニは岩で川をふさがれてしまう〉

〈大国主命の妻問い神話 沼河比売(ぬまがわひめ)〉

〈大国主命はあちこちで妻を娶っている〉

〈古代に玉造を行った場所 忌部神戸(いんべのかんべ) 玉造温泉のすぐ横の丘にある〉

〈勾玉をモチーフにした橋と玉造温泉街〉
玉造温泉夏祭り

 『奈良時代初期に開かれた、日本でも最古の歴史をもつ玉造温泉は、大国主命とともに国造りをした少彦名命が発見、神代の頃からあったという言い伝えがあります。出雲風土記(西暦733年)には「ひとたび濯げば形容端正しく、再び浴すれば万の病ことごとに除こる」[訳]一度洗えばお肌もしっとりすべすべ、二度入ればどんな病気や怪我も治ってしまう。その効能が効かなかったという話は聞いたことがないので、世の人々は「神の湯」と呼んでいるのである。とあり、そのため「神の湯」とも呼ばれ川辺に湧き出す湯に老若男女が集い、市の様な賑わいだったと書かれています。』 〈玉造温泉HPより)

そのひとたび入浴して形容端正しくなった弥次喜多道中は、おいしい食事をいただいて、ホテルの目の前でやっている夜の夏祭りに出かけることにした。あまり期待はしていなかったが、本日の演目は地元の若者のアカペラグループと島根と言えばドジョウすくいの安来節。すごくうまい。堪能した。

〈地元の若者のアカペラグループ〉

〈さすがのドジョウすくい リアルで面白い〉

〈女性の安来節もかわいい〉

〈こうして玉造温泉の夜は更けてゆく〉
混浴露天風呂

 夜の夏祭りから戻った弥次喜多道中は、日本一広い120坪の混浴露天風呂に行ってみることにする。昼間の明るいうちはちょっと照れくさいが暗くなればなんてことないだろう。女性はタオル地の入浴着が用意されているが、男は特に何もない。ま、隠すほどのものでもないので、薄暗い混浴露天風呂で喜多さんと並んで湯につかる。

玉造温泉の湯は、化粧水に匹敵するほどの保水成分が含まれているそうで、こころなしかお肌がすべすべになった気がするのであった。

〈これが日本一広い混浴露天風呂〉
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