平成25年7月8日 月曜日 晴れ 猛暑 高尾山登山
 このところ暑くて日光道中は歩く気にならないので、趣向を変えて久しぶりに高尾山に上ってみることにした。夏休みを利用して平日に行けば空いているのではないだろうか。ミシュランに登録されて以来、高尾山は山ガールや外国人や定年後のおじさんおばさんで超混雑しているらしい。

横浜駅から横浜線で八王子駅へ、中央本線に乗り換えて高尾駅、さらに京王電鉄に乗り換えて高尾山口駅へ着いたのは11時ころであった。展望台まではケーブルやリフトがあるが、地図をじっくり見て一番自然が豊かそうな6号路をふもとから山頂まで歩くことにする。

〈京王電鉄 高尾山口駅〉

〈ふもとから山頂を歩いて目指すには1号路、6号路、稲荷山の3コースがある 他にも分岐道が〉

〈ふもとの清滝駅〉

〈ケーブルカーが高尾山駅に向けて出発する〉

〈6号路は川に沿って登る 一番自然に親しめるコース〉

〈熟年の人が多いが若い人もたくさん歩いている〉

〈いつの時代からあるのだろうか〉

〈岩屋大師〉

〈修行の水行者しか立ち入り禁止の琵琶滝〉

〈自然路には大きな木の根がむき出しになっている〉

〈樹が生い茂りほとんどトンネル状態〉
硯石

 昔むかし、高尾山は海の底でした。砂や泥のたまった海底が大きく盛り上がって現在の高尾山となったものです。粘板岩とは自然の力で砂や泥が固められてできたものです。黒色粘板岩は、とてもかたくて磨くと表面がツルツルになるので、硯石ともよばれ、硯や碁石に利用されます。 (高尾ビジターセンター)

ということで、このあたりも昔は海の底だったのだそうだ。

〈硯石〉

〈6号路はこのような自然豊かな道を登ってゆく〉

〈目の前にかわいい小鳥がやってきた〉

〈人を恐れず逃げない〉

〈高尾山頂までもう少し〉
高尾山の歴史

 高尾山縁起によれば、ここを開いたのは遠く聖武天皇の時代にさかのぼるらしい。この時代は、日本古代史の中で最も華やかな奈良時代であり、奈良の都には東大寺の大佛殿などが造営され、日本全国六十余州の各々の国には、国分寺が建立された。

真言宗智山派大本山である高尾山薬王院は、奈良時代の天平16年
(744)に聖武天皇の勅命を受け、東大寺大仏の建立の悲願のため諸国に国分寺造営を命じた天皇の願いを達成すべく薬師の像を刻んだ行基菩薩が東国鎮護の祈願寺として、道を開いたと言われている。

〈3.3km 約1時間半で山頂に到着〉

〈天気はいいのだがかすんで東京方面が良く見えない 江戸時代には十三州が見渡せたそうだ〉

〈高尾山頂の高さは599.03m〉

〈平成21年9月には旧甲州道中を高尾駅(駒木野宿)から相模湖駅(小原宿)まで歩いた〉
帰りは薬王院経由で1号路を下る

 正式名称「高尾山薬王院有喜寺」は今から1260余年前の天平16年(744)に、聖武天皇の勅令により東国鎮守の祈願寺として、高僧行基菩薩により開山されました。薬王院の名は創建当初、薬師如来をご本尊とした事に由来します。現在は真言宗智山派の大本山として「成田山新勝寺」「川崎大師平間寺」「高尾山薬王院」が三大本山として知られております。

 

〈昭和六十一年四月〜昭和七十六年三月〉
 南北朝時代の永和年間(1375)には京都醍醐山より俊源大徳が入山し八千枚の護摩供養秘法の後、
今のご本尊「飯縄大権現
(いづなだいごんげん)」を奉祀し中興されました。戦国期、飯縄大権現は戦国
武将の守護神として崇敬され、上杉謙信や武田信玄の兜表にも奉られ、また北条家の手厚い保護も
受け江戸期に入ると徳川家
(特に紀州家)との仏縁により隆盛をむかえます。

古来、高尾山は修験道のお山といわれております。修験道を修める人のことを山に臥し野に臥しながら
修行することから「山伏」と呼ぶようになりました。高尾山には、今もなお「琵琶滝」と「蛇滝」の
二つの滝を擁し、滝修業の道場として、一般の方にも門戸を開いております。
(HPより)
   

〈東京都指定有形文化財 高尾山不動堂〉
高尾山と天狗様

 天狗様は飯縄大権現様の眷属(随身)として、除災開運、災厄消除、招福万来など、衆生救済の利益を施す力を持ち、古来より神通力をもつとされ、多くの天狗伝説や天狗信仰があり、神格化されています。この様に高尾山は、飯縄信仰と共に天狗信仰の霊山としても知られております。

また、高尾山は修験道根本道場として知られており、山伏修行が随時行われ、昔は山伏が深山幽谷に籠もって難行苦行を重ね、やがて高尾山の霊気と融合して、呪力、験力を体得して大先達となり、山伏の姿が天狗と同一視されることも多いのであります。
〈HPより〉

〈浅間神社〉

〈御本社に奥の院方面から入る〉

〈紅葉のシーズンにまた来たいね〉

〈薬王院御本社〉

〈日光東照宮のような鮮やかな彫刻が〉

〈御本社を側面から〉

〈高尾山の象徴 カラス天狗〉
 
〈薬王院御本堂〉

〈仁王門のカラス天狗〉

〈仁王門の天狗〉

〈外国人の若い女の子があちこち撮影していた〉

〈仁王門を通って山門へ〉

〈薬王院山門〉
六根清浄 石ぐるま

 懺悔とは心を迷わせる貪り(自分最優先の心)、怒り、愚痴(諦めたり怠けたりする弱い心)、の三つの煩悩を悔い改め、反省の心を起こす意味で、六根清浄とは人間の大切な感覚器官を指し、物事を見つめる眼、匂いをかぐ鼻、音を聴く耳、味覚を味わう舌、感触を感じる身、以上の大切な情報を判断する意(心)が清らかになる願いを神仏に祈る意味があります。

懺悔懺悔、六根清浄とお唱えしながらお回しいただき、自らの心を見つめなおしたうえで、身も心も新たな気持ちで明日からの人生を精一杯御精進ください。

〈懺悔懺悔 六根清浄と唱えながら廻す〉

〈あじさいが花盛り〉

〈大杉原を通って帰路に〉
天狗の腰掛杉

 高尾山に住むと伝えられる「天狗様」が腰掛けて物見をしてござると語り伝えられるのがこの大杉。天狗様は高尾山の精霊とも言うべき存在で、御本尊飯縄大権現の信仰の霊域を護るため、この大杉の高みの枝に腰掛けて登山参詣の人々を見守ってござる、と云うのである。

天狗様は高尾山の生きとし生ける物を代表する正義の見方。それを宿す御霊木である樹齢700年以上と言われる注連縄の懸けられた杉の木を大切に守っていきたい。 
高尾山薬王院 高尾山武相講

〈天狗の腰掛杉〉

〈高尾山の杉並木 樹齢700年以上の大木が並ぶ〉
たこ杉

 樹高37m、目通り約6m、推定樹齢450年の「たこ杉」。昔、飯縄(いづな)大権現参詣の人々のために、天狗衆が参道を整備していた。ところが、根を四方に張った大杉に至り、思案の末に翌朝、これを引き抜くことを決めた。それを知った杉はあれ!一大事とばかりに一夜にして根をくるくると縮めてしまったそうです。そして、この盤根が「たこの足」に似ていることから命名されたという。
また、この「たこ杉」にはもうひとつの話が伝わっている。今からおよそ600年ほども前のこと。17日の水行を終わった俊源大徳が、高尾山に登る道に大きな霊杉が根を張って通行のじゃまであったのを見て、般若心経を唱えると一本杉はたちまちくるくると根を巻いて道は開かれたといいます。以来たこ杉、または道を開いたところから開運杉とも呼ばれています。

〈たこ杉 開運ひっぱり蛸〉

〈ケーブル 高尾山駅〉

〈高尾山駅から圏央道を望む〉

〈帰りは1号路を下る〉

〈1号路は車も上る舗装された急坂〉
 という訳で、約4時間のハイキングを楽しんできたが、下界は観測史上初めてという猛暑が
続いている。首に巻いた厚手のタオルを絞ると吸い込んだ汗がザザザと落ちる。サウナで
汗を流し過ぎた時のように声がかすれている。
番外編に戻る
   
ポータルサイトに戻る  
inserted by FC2 system