〈3日目〉 平成23年6月10日(金曜日) 快晴 シャモニー〜エギーユ・デュ・ミディ〜ツェルマット | |
〈なんと晴れている 期待できるか〉 |
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・・・晴れている 朝目覚めてこわごわ外を見てみると・・・なんと青空が見えるではないか。今日はモンブランが見える 標高3,842mの「エギーユ・デュ・ミディ展望台」へとロープウェーを乗り継いで上がるのだ。晴れている のと、昨日のように雲で覆われているのとでは景色が全く違う。きのうの天への祈りが通じたか。早速朝食 前に昨日写真を撮った場所へと行ってみることにする。きのう厚い雲に覆われていた山頂が見えれば万歳だ。 モンブランの初登頂に成功したのは、バルマ広場に銅像があった水晶採りのバルマと医師のバカールだと 言われている。科学者のベネディクト・ド・ソシュールが初登頂したものには懸賞金を出すと宣言したから だ。ソシュールはモンブランの頂上に観測所を設けたかったらしい。しかし、一緒に登ったはずのバルマが、 バカールは実際には登っていない。自分が背負って登ったのだと言いふらしたため、バカールの名誉は 剥奪されてしまった。バカールの死後日記が発見され、バカールの登頂が確認されたため、再度初登頂の 栄誉を与えられたが、銅像となったのは、バルマから遅れること100年後だったということだ。初登頂は 1786年8月8日のことであった。 |
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〈モンブランはちょうど中央あたり シャモニーからは遠くになるため他の山より低く見えている〉 |
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〈この山が一番高く見えるのでモンブランと間違われるがドーム・デュ・グテというのだそうだ〉 |
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〈くっきりと山頂が見えている〉 |
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〈氷河は1cmの厚みになるのに1mの雪が必要だという〉 |
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〈きのうは指さす彼方に雲しか見えなかったがちゃんとモンブランが見えている バルマとソシュールも嬉しそう〉 |
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〈バカールも満足そうではないか〉 |
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〈川沿いに望遠鏡があったがユーロ硬貨が必要なので見られなかった〉 |
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〈モンブランは左側の低く見えている山 4,810m〉 |
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〈古いスキー板が飾ってあった〉 |
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〈温暖化で氷河の後退が著しいそうだ 厚さ3mの氷河ができるのに300mの雪が必要と言っていた〉 |
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〈シャモニーの麓の駅からロープウェーに乗る〉 |
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〈すれ違うロープウェーには、朝一番なので降りる人はまだいない〉 |
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〈雪山をイタリアからトレッキングしてきた人たち 後ろのとがった山はグランドジョラス〉 |
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〈エレベーターには高度を示す表示が 3,842m〉 |
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〈エギーユ・デュ・ミディ展望台 3,842mに着いた〉 |
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〈3,842mから見下ろす〉 |
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〈気温は氷点下2℃ 手袋を持ってきてよかった〉 |
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〈右の切り立った山がグランドジョラス〉 |
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〈グランドジョラス 日本人の冬季北壁単独初登頂は長谷川恒夫 1979年〉 |
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〈雲の下にシャモニーの街が見える〉 |
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〈サングラスも必需品 少ししかいなかったのに唇が日焼けしてカサカサ 顔には日焼け止めを塗っておいた〉 |
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〈空気が薄いので少しふらつく 動作が緩慢になったような気がする〉 |
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〈望遠鏡の向こうにはモンブラン4,810mが〉 |
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〈エギーユ・デュ・ミディ展望台 3,842mを見上げる〉 |
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〈ここも展望台になっている〉 |
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〈モンブランに雲がかかる〉 |
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〈遠くにマッターホルン4,164mやモンテローザ4,634mが見える〉 |
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〈シャモニーの街を見下ろす〉 |
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〈こんなところによく展望施設を作ったものだと感心する〉 |
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〈イタリアへ行く3連のロープウェー 右はテラスへ出る雪の道〉 |
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〈ロープウェーはほとんど垂直に上がってゆく 岩にぶつかりそう〉 |
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〈本当に晴れてくれてよかった〉 |
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〈弥次さんの指さす山がモンブラン〉 |
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〈シャモニーの街に降りると日本語の本当に上手なベルナデッドさんと一緒に 背の低い喜多さんを気遣って膝を曲げてくれている〉 |
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〈再びシャモニーの街で ベランダには人の絵が・・・〉 |
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〈シャモニーの教会 ステンドグラスが面白い 荘厳な音楽が流れていた〉 |
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〈昼食をとったレストラン 鹿の頭や古い道具が飾ってあった〉 |
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〈シャモニーの街を走るトロッコ自動車〉 |
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〈晴れてくれてありがとう〉 |
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〈ローヌ氷河が削ったローヌ渓谷の街〉 |
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シャモニーの町も、エギーユ・デュ・ミディから見るモンブランをはじめとする山々も素晴らしかった。わざわざ日本から来たかいがあったというものだ。 シャモニーは標高1,035mだから中軽井沢と同じくらいのものだ。しかしロープウェーとエレベーターで10分程度で上るエギーユ・デュ・ミディは3,842mだ。その標高差なんと2,800m以上。もう少し苦しい思いをするかと思ったが意外と平気だ。 |
〈運転手のピントさんと ポルトガルからの出稼ぎだそうだ〉 |
山頂の売店で記念のキーホルダーなどを買って、また10分ほどでシャモニーの町に降りていく。スイスに 出かける前に偶然NHKBSで「アルプスを歩く」という番組の再放送をやっていたのでじっくり見てきたが、 ロープウェーの案内所にいたベルナデッドさんが女優の石田えりとイタリアからトレッキングで、この エギーユ・デュ・ミディまで歩いてきたのだった。お願いをして一緒に写真を撮らせてもらった。非常に 気さくな人で「今度はトレッキングに来てね」と言ってもらったが、二度と訪れるのは無理だろう。 |
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〈どこまでも続くぶどう畑 スイスのワインはほとんど自国で飲んでしまうので輸出できるのは1〜2%だそうだ〉 |
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〈バスの車窓から シオンの町の古城〉 |
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〈スイスは非常時に高速道路が滑走路になる 道路の脇の格納庫には戦闘機が格納されているという〉 |
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〈スイスのヒツジは顔が黒い〉 |
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〈約144kmを走ってテーシュに着いた ここから登山電車で10分ほどのツェルマットに向かう〉 |
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〈ツェルマット駅 ツェルマットにはガソリン車は入れない 走っているのは電気自動車のみ〉 |
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ツェルマット テーシュまでバスで来たが、ここから先はガソリン車は入れないということなので、登山電車に乗り換え10分ほどでツェルマットの町に着いた。街を走っている自動車はすべて電気自動車のみだ。荷物はテーシュの専用タクシーでホテルまで先に運んでもらう。 ホテルは、マッターホルンが見える部屋確約ということで、期待していたのだがこの天気では難しそうだ。スイスの象徴、マッターホルンが見えないのは、日本に来て富士山を見ないで帰るようなもので残念極まるが、天候ばかりは如何ともしがたい。 |
〈駅からホテルまで歩く〉 |
〈ベストウェスタンアルペンリゾートホテル〉 |
〈室内は結構広い ロフトも付いている〉 |
〈ロフトから 4人で泊まれるようになっている〉 |
〈街を走る電気自動車〉 |
〈ホテルに荷物を置き夕食に出かける 今晩はフォンデュらしい〉 |
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フォンデュ 今晩は別のホテルのレストランで、2種類のフォンデュを食べるのだそうだ。ひとつはおなじみのチーズフォンデュ。もうひとつは牛肉のオイルフォンデュだという。 しかし、スイスに来て3日目だが、チーズとジャガイモとパンばかり食べているような気がする。さすがにご飯とみそ汁が恋しくなるところだ。 |
〈定番 チーズフォンデュ〉 |
こんなに大量のパンをチーズフォンデュだけで食べられるものではない。つくづく食べ物に関しては、 日本に生まれて良かったと、日本の食事のおいしさを再認識したのであった。スイスでは、小麦粉は 2年間国民全体が食べられるよう備蓄されているという。だから古い小麦粉からパンにしていくのだ という。ということで、スイスのパンはうまくないからフランス国境に近いスイス人はフランスまで パンを買いに行くそうだ。 |
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〈フォンデュを食べたレストラン〉 |
〈店内は山小屋風に作ってある〉 |
どこに行っても日本人はいるものだ。しかし、今回久しぶりに海外に出かけて、中国人と韓国人の台頭にはびっくりした。中国人は人口の1割が富裕層で、その人口は日本人全部に匹敵するといわれるが、どこの観光地に行っても中国人のわめくように話す大声が耳についた。中国の人には失礼な話だが、こんな人がスイスに観光に来るの?というような風体の人が目につく。例外なく首にはニコンやキヤノンの立派な一眼レフをぶら下げている。 日本人などはおとなしいものだ。かつては農協の団体などがこのような目で見られていたのかもしれない。 |
〈日本語の看板〉 |
〈カトリック教会〉 |
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明日は、登山電車でゴルナーグラート展望台(3,089m)へ登りマッターホルンを目の前に見て、帰りはローテンボーデン駅で途中下車し、マッターホルンを眺めながらハイキングをする予定だ。 見て回るだけの観光よりは、このハイキングを楽しみにスイスにやってきた。街道歩きの弥次喜多道中としては、是非とも歩いてみたいものだ。しかし、相変わらず天候はすぐれない。せめてホテルの部屋に飾ってあるマッターホルンの絵を見てこころを慰める。 |
〈ホテルの部屋〉 |
〈せめて部屋のマッターホルンの絵で慰める〉 |
〈明日このような風景が見られるといいのだが〉 |
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