〈2日目〉 平成23年6月9日 木曜日 曇り ベルン〜グリュイエール〜モントルー〜シャモニー
早朝のベルンを散策

 例によって朝早く目覚めた弥次喜多道中は、朝食前にベルンの町並みを偵察に出かけた。ベルンは首都でも
あるし、ビジネスマンがスーツ姿で出勤していく。電車や自転車で出勤する人も多い。旧市街はユネスコの世界
遺産に登録されている美しい街。石造りのアーケードが6kmにもわたって連なり、個性的な噴水があちこちに
点在する中世のたたずまいを色濃く残す街だ。それにしても相変わらず天気が悪い。日本を出るときにスイスの
天気予報はずっと雨マークだったが、頼むよホント。

〈相変わらず天気が良くないが、東京で言えば大手町のような場所だからスーツ姿が多い〉

〈コルンハウス橋より見るアーレ川と大聖堂〉

〈ベルンの語源はベア(熊)のドイツ語からとか スイスには赤が似合う〉

〈街には高いビルがなく落ち着いた雰囲気 ホテルの朝食は内容が充実していておいしい〉
バラ公園

 一度ホテルに戻り朝食を食べた後、迎えのバスにスーツケースを積み込んで市内観光に出かける。基本的にスーツケースはドアの外に出しておけばポーターと運転手さんがバスに積み込んでくれるので楽だ。朝食はバイキング形式だが、パンの種類は多いし、ハム・ソーセージ・ベーコンなどの肉類や、チーズや果物なども豊富でおいしかった。ただ、今ヨーロッパではO157だかO111だかの被害が伝えられているので、生野菜は食べないことにする。

最初に訪れたバラ公園は220種類のバラが咲く美しい公園だが、この程度のバラ園なら横浜にもある。ただこの公園は市内が一望できる高台にあるので、景色は抜群だ。


〈バラ公園〉
 
〈バラ公園から見る世界遺産のベルン旧市街〉
   

〈バラ公園からベルン市内を一望する 連邦議会・時計塔・牢獄塔が見える〉

〈〈バラ公園の猫 日本と変わらない 菩提樹(リンデンバウム)並木〉

〈左:アーレ川と大聖堂 右:ニーデック橋のたもとの熊公園 熊はベルンの象徴〉

〈アーレ川と街並み〉
時計塔へ

 ベルンの旧市街は歩いても30分あれば端から端まで行けるほどの小さな街だから、弥次喜多道中だけならブラブラと歩くのだが、団体ツアーなのでまたバスに乗り込む。今度は時計塔を見学に行くらしい。この時計塔は1191年〜1256年まで市の西の境界を示した門で、1405年に火災に見舞われたが、基盤の部分はベルン最古の建物だという。

毎時4分前には、カスパー・ブルンナーによって作られた天文時計とからくり人形が動き出す。
ガイドさんの説明を聞きながらしっかり動画を撮ってきた。

〈バスの車窓から〉

〈時計塔のからくり時計 1500年代から動いているのだそうだ〉
 毎時4分前に、まず一番下の熊や馬が行進を始め、次に左のニワトリが羽根を動かしながら鳴く。空気で音を出しているので、お世辞にもコケコッコーとは聞こえないが、それなりに聞こえている。ちょうどの時刻になると、王様が右手に持つ砂時計をひっくり返し、口をあける。それに連動して右の獅子が首を振る。さらに塔の一番上にいる4mの鐘つき男が鐘を時間の数だけたたくというからくりだ。

このからくり時計が作られたのは1530年だとガイドの人が言っていた。信長の生まれる前からベルンの人々はこのからくり時計を見ていたのだと。すごいものだね。

〈からくり人形のアップ〉

〈ベルンの旧市街にはあちこちに特徴的な噴水がある〉

〈右は若き日のアインシュタインが住んだアパート〉
 ベルンはドイツ語で「熊」の意味だというから、日本ならさしづめ「熊本市」のようなものだろう。ベルンの創設者、デューク・ベルヒトルド・V・フォン・ツェリンゲンが、狩をして最初に捕れた動物の名前を付けることにしようと、最初に仕留めた熊にあやかったのだと言うが、ま、このような伝説は後から作ったものも多い。

1983年に世界遺産に登録され、街並みは何百年も前からのままだ。ただし、家の中はびっくりするほど近代的に作りかえられているらしい。

〈屋上には何百年も前の木造住宅が残る〉

〈大聖堂のみごとな彫刻〉

〈大聖堂のステンドグラスは息をのむほど美しい〉

〈聖書に題材をとった構図が多い〉

〈しかし大きなヒョウが降って大部分が割れたので、作り直したのだとガイドさんが言っていた〉

〈キリスト教徒はリアルを好む〉 

〈モーゼの噴水〉
グリュイエールへ

 ベルン市内の観光を終えて、約67km先のグリュイエールという村にバスで向かう。チーズには詳しくないが、グリュイエールチーズで有名な村なのだそうだ。

昼食はこのグリュイエールで、スイス名物のチーズ料理「ラクレット」を食べることになっている。
しばらく走ると、車窓にはやっとスイスらしい田園風景が広がってきた。

〈ベルンからグリュイエールに向かう〉


〈バスの車窓から スイスで初めて牛を見る〉

〈丘の上にグリュイエール村が見えてきた〉
ラクレット

 ラクレットとはフランス語で「削るもの」「引っかくもの」を意味する。チーズの断面を直火で
温め、溶けたところをナイフなどで削いでジャガイモなどにからめて食べることからこの名がついた。
ヴァレー州を中心としたスイス全土、スイス国境に近いフランスのサヴォア地方などの伝統料理の
1つである。
チーズにはラクレットチーズやグリュイエールチーズなどが使われ、ピクルスなどを
つけあわせにする。家庭でラクレットを食べる場合は、ラクレットグリルを用いることもできる。
(ウィキペディアより抜粋)

小学生のころ姉の持っていた「アルプスの少女」を読んで以来ずっと気にかかっていたことがある。
テレビでアニメの「ハイジ」が放映されるずっと前のことだ。山小屋でおじいさんがたき火でチーズ
をあぶって、溶けたところをうまそうに食べるシーンが出てきたのだ。そのころの田舎では、プロ
セスチーズとかベビーチーズしかなくチーズを火であぶって食べるなど想像もできなかった。どん
なものかと思っていた疑問が50代半ばにして解決した。
しかし、うまいかと言われれば、「う〜ん」
と答えざるを得ない。ま、好みの問題だからね。

〈ラクレットを食べたレストラン〉

〈これがラクレット〉

〈グリュイエール村は本当に小さいが美しい 一瞬買おうと思ったニワトリの置物〉

〈グリュイエールの古城〉

〈青空が見えない〉
レマン湖へ

 グリュイエールチーズを溶かし、ゆでたジャガイモにかけて食べた弥次さんは、首をかしげながらバスに再び乗り込みモントルーへ向かう。「ラクレット」という大層な名前がついているが、専用の電熱器まであり、このあたりでは各家庭でチーズを熱で溶かす道具をみんな持っているのだろう。大阪ではタコ焼き器のない家はないというが、そんなものだろうか。

スイスらしいといえばまさにそのような料理だが、ゆでたジャガイモに溶かしたチーズをかけたものが料理と言えるだろうか・・・と弥次さんは首をかしげるのであった。約1時間走ると前方に湖が見えてきた。あれがレマン湖だ。

〈車窓からレマン湖が見えてきた〉

〈レマン湖 大きい〉

〈レマン湖のほとりのシオン城 幼稚園くらいの子どもが遠足に来ていた〉
シオン城

 この城についての最古の記録は1160年のものであるが、城が建っている場所の岩は原始時代に住居とされていたことが判明している。12世紀にサヴォワ伯が領有してから拡張が行われ、13世紀から14世紀に最盛期を迎えた。バイロンによる1816年の詩「シヨンの囚人」、「シヨン城詩」は、16世紀にこの城に幽閉されたジュネーブの宗教改革者フランソワーズ・ボニヴァルのことをうたったものである。ロート製薬の胃腸薬「シロン」(1954年発売開始)は、「Chillon」の英語読みに由来している。当時の社長が本城郭を訪れた際、その美しさに感銘したことから名づけたものである。
(ウィキペディアより抜粋)
とのことで、1000年近く前からの古城なのであった。


〈囚人が幽閉されていた場所〉

〈柱の四角はバイロンが名前を落書きしたらしい〉

〈囚人がつながれていた柱?〉

〈この壁の向こうは処刑部屋 遺体を湖に流す窓もある〉
 このレマン湖に浮かぶ要塞のように見えるシオン城は、9世紀にイタリアからアルプスを越えてやってくる商人に通行税や物品税をかけるための関所として作られたらしく、外見も屋内も華やかな雰囲気はない。

ということは、王様や王妃が住んだわけではなく、代官とその家族、使用人が住んだということなのだろう。また、囚人を何十人も幽閉していたようで、つないだ柱や処刑の部屋も残されている。
 その頃のベッドが展示されているが、ずいぶんと長さが短く思える。かつては、寝るときに横にはならずに後ろの背もたれに寄りかかって背は起こして寝ていたのだそうだ。

人間、横になるのは死んだ時だけだ・・・というのが当時の考え方だったらしい。そういえば、映画「グラディエーター」でそのようにして寝ていた国王を見たような気がする。しかし、それでは疲れがとれなさそうだ。昔に生まれなくてよかった。



〈当時のベッド〉

〈シオン城から見るレマン湖〉
 それにしても天気が良ければ、レマン湖の水の色もきれいだったろうに。青空は少し見えてきたが、まだ雲が多い。壁には1794 1797とか、それぞれの年代が書かれた紋章が一面に描かれている。当時赴任した代官の紋章なのだろう。

下の写真はトイレなのだそうだ。穴からのぞくと十数メートル下にはレマン湖が広がっている。究極の水洗トイレだ。当時は、ヨーロッパではトイレの概念がなく、パリあたりでも排泄はバケツにして、外の道にぶちまけていたそうだから、画期的なものだそうだ。


〈城主用のトイレ〉

〈保存が悪く壁画は消えかかっている〉
 

〈シャモニーへ向かう途中の町〉
シャモニー

 モントルーは「ジャズフェスティバル」で有名だが、「シオン城」を見学しただけで、フランスのシャモニーへ向かう。シオン城では、ここだけしか売っていないというワインを買ったが、日本に帰りつく前に飲み干してしまった。

それにしてもこの天気。せっかくスイスにやってきたというのに、日ごろの行いの報いなのか。だれか雨男か雨女でもいるのか。それでも国境を越えてフランスに入り、シャモニーに近づくと雪をかぶったアルプスらしき山が見えてきた。

〈やっと雪山が見えてきた〉

〈シャモニーの町並み 氷河の雪解け水は白く濁っている〉

〈シャモニーの町近くまで氷河が それでも温暖化でかなり後退しているそうだ〉

〈バルマ広場の水晶採りバルマと科学者ソシュールの像 バルマの指さす先にはモンブランがある・・・はず〉

〈こちらはバルマに嘘を言いふらされて死後に本当に登ったことがわかった医師バカールの像〉
まだ十分に明るいがもう夜の9時ころだ。明日は何とか山頂が見えてくれることを祈ってホテルに戻って寝る。
日本ではまだ午後が始まったばかりの時間なので、そう簡単に体は順応してくれない。
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