〈1日目〉 平成23年6月8日 水曜日 雨模様 横浜〜成田〜チューリッヒ〜ベルン 

〈モンブラン 4,810m 富士山の方が美しいけどね〉
2日目 ベルン〜グリュイエール〜モントルー〜シャモニー(フランス)
3日目 シャモニー〜エギーユ・デュ・ミディ展望台(3,842m)〜バスでテーシュへ〜ツェルマット
4日目 ツェルマット〜ゴルナーグラート展望台(3,089m)〜ハイキング
5日目 ツェルマット〜氷河特急でアンデルマットへ〜バスでフルカ峠越え〜グリンデルワルト
6日目 登山電車でスフィンクス展望台(3,571m)へ
7日目 グリンデルワルト〜インターラーケン〜ブリエンツ湖クルーズ〜木彫り・オルゴール博物館〜ルツェルン
8日目 ルツェルン〜チューリッヒへバスで移動 チューリッヒ空港発
9日目 成田着

〈JTBのパンフより〉
節目の年

 今年は、偶然にも自分にとってあらゆる面で節目の年となる。いつまでも若いつもりでいたが、この6月
に56歳という歳になり自分でもびっくりしている。完全なアラ還世代突入というわけだ。就職したころの
定年は55歳だったけど、今から思うととんでもなく若い年代だね。会社でも39歳で課長の辞令をもらって
以来、部長・次長・室長・センター長と何となくそれなりの役職を仰せつかってきたが、中身は未熟の
ままだな〜。25歳のころから少しも進歩していないような気がする。

 25歳で結婚したから今年で30周年を迎えるのもその一つだ。30年・・・、あれからそんなに経ったこと
が信じられないくらい、あっけなく過ぎ去ったように思える。ところで結婚25周年は銀婚式で、50周年が
金婚式であることは知っていたが、30周年はなんというのだろうと調べたら「真珠婚式」というらしい。


 下の子が無事に大学を卒業し、ちゃんと就職してくれたのが二つ目。これで、高校・大学と、容赦なく
取立てられた二人分の学費とこづかいから完全に解放された。・・・・うっ うれしい。27歳から払い続
けてきた住宅ローンを完済したのが三つ目。払い終わったころには建て替えが必要だとはよく言われるが、
何とかもう少しは持ちそうだ。結婚と同時に入った自分と喜多さんの保険が、二つとも満期を迎えるのも
うれしい。この30年もしものことを想定して、せめて僕が死んだり病気で入院しても、子ども二人は大学
くらい学費の心配をせずに済むようにとせっせと払い続けてきたが、一度も使わずに済んだことはおめでた
いことなのだろう。

これだけのことが重なったおめでたい年に加えて、会社から永年勤続の表彰があり、7日間の特別休暇と
10万円の「ご苦労さん代」をもらったから、これは思い切ってどこかに記念の旅行に行ってもバチは当た
らないだろう。ということで喜多さんと二人どこに行こうかと検討してきた。まず最初に候補に挙がった
のがペルーのマチュピチュだ。しかしさんざんマチュピチュの映像を見ていたら行く前に堪能してしまった。
タヒチもグランドキャニオンもイグアスの滝も行きたいところはたくさんあるが、何となく小さいころから
気になっていた「スイス」はどうだろうということになり、
ルックJTBのツアーを申し込むことにした。
スイス旅行を申し込む

 3月11日のお昼休みに、会社の近くのJTB銀座支店に行き「ヨーロッパ3大名峰と氷河特急 爽快!感動!スイス大自然紀行9日間」とやたら!が多いツアーを申し込んだ。記念の年だから、ひとり50万円くらいのちょっと豪華なツアーだ。

少し前のニュージーランド地震で亡くなった人がたくさんいるし、スイスでも氷河特急の事故で亡くなった人もいる。JTBのお姉さんと「人間どこで何があるかわからないよね」とそのような話をし、会社に帰って仕事をしていたら、2時46分東日本大地震が発生した。

〈成田からスイスへの直行便〉
 浮かれている場合でもないのでキャンセルすべきか、それとも自粛もほどほどにということで
予定通り行くべきか・・・。ずいぶん悩んだけど、これも何かの縁だ。特別休暇の利用期限は1年間
だし、来年に延期したら行く気力がなくなるかもしれない。この時期に10日間も休めるのは二度と
ないだろうと、思い切って「ハイジのふるさと」スイスに行くことにした。
   
スイスフラン

 ヨーロッパの主要国の中では、スイスやイギリスなどはユーロに加盟していない。スイス・フランは従来より、
国際金融市場において、イギリス・ポンド、ドイツ・マルク、フランス・フランと並ぶ重要な通貨であった。
欧州連合統一通貨ユーロの誕生後は、ユーロ圏に浮かぶ孤島のような状態になってしまったが、現在もなお、
国際社会におけるスイスの地位により、「金よりも堅い」といわれるように、世界で最も安定した通貨として
知られており、その重要性はいささかも変わっていない。外国為替市場における取引量は、アメリカ合衆国ドル、
ユーロ、日本円、イギリス・ポンドに次ぐ取引規模を有し、また国際決済通貨のひとつであるため、自国
の通貨が不安定な国では海外との貿易にスイス・フランが使われることも多い。

現在流通しているのは第8次型紙幣で、10・20・50・100・200・1000フランの6種類である。これらの紙幣は
世界で最も偽造が難しい紙幣といわれるほど、様々なハイテク技術を使った偽造防止策が施されている。また、
縦長のデザインも最近では徐々に採用する国が増えてきたが、先進諸国においては非常に珍しい物となっている。
スイスでは第6次紙幣の裏面で初めて縦長のデザインが採用されたが、現行第8次紙幣では裏表共に縦長の
デザインとなった。
〈ウィキペディアより抜粋)

たった780万人の国でドルやユーロや円に匹敵するか、それ以上の国際的な信用を得ているというスイスフラン。
偉いものではないか。ユーロに参加しなくて大正解だ。今やユーロは、ギリシャやスペイン・ポルトガルなどの
ラテン系ヨーロッパの怠慢によって大きく信頼が揺らぎ始めている。


しかし会社の隣の三菱東京UFJ銀行に行って、円をスイスフランに両替しようとしたら扱っていないのだそうだ。
仕方ないので、JTB銀座支店にお願いして10フラン紙幣と20フラン紙幣に両替してもらった。
初めて見るスイス
フランは縦長の珍しいお札だった。
ちなみに両替した5月末では1スイスフラン92.5円くらい。昨年秋までは80円
代前半で3月の震災後は急激に円が安くなっているようだ。手数料込みで約100円なので計算が非常にしやすい。

〈10フラン ル・コルビュジエ スイスの建築家 1,000円札相当〉

〈20フラン アルテュール・オネゲル 作曲家 2,000円札相当〉
スイスへ向け出発

 ということで、会社の皆さんにも甘えて、平成23年6月8日水曜日、成田に向け家を出たのは早朝の6時前だった。
出発便は10時20分のスイスインターナショナルエアラインズ(LX161便)なのだが、集合時刻に指定されたのは2時間前の8時20分だったから、少し余裕を見て7時半には着くように車を走らせる。

今回は荷物もあるし成田に9日間車を置いていくつもりで、USAパーキングという駐車場に予約をしておいた。9日間預けておいて4,200円だ、安い。予定通り7時には駐車場に車を預け、空港まで送ってもらう。時間通りに受付カウンターに行くと、添乗員の高田さんという女性が待っていて、航空券を受け取り出国審査へと向かう。

〈チューリッヒ空港に到着〉
ベルンへ

 約12時間の長いフライトを無事終えて、予定通り現地時間の16時ころチューリッヒ空港に到着。機内では、機内食が2回、途中でビールやワイン、おにぎり、アイスクリームと身動きできないエコノミークラスで食べ物を詰め込まれる。まるでブロイラーだねと喜多さんと笑う。

チューリッヒ空港に迎えに来たバスに乗り込み一日目の宿泊地ベルンへと向かうが、ぱっと見では日本の高速道路とそんなに変わった印象はない。右側通行と真昼間から全車がライトを点灯していることが日本と違うところだろう。バイクはすでに30年くらい前から点灯走行が日本でも当たり前になっているが、車もこれからこうなるのだろうか。

〈チューリッヒ空港からベルンへと向かう〉
一泊目 ベルン

 夕方6時過ぎに着いたチューリッヒからベルンまでは約125kmで、1時間半くらいのものだ。スイスの面積は九州とほぼ同じくらいで人口は780万人なのだそうだ。ということは、九州を8日間かけて観光すると思えば結構贅沢な旅行と言えるだろう。到着したベルンは、スイスのほぼ中央にある小都市で、スイス連邦の首都でありベルン州の州都でもある。

スイスでは夜10時くらいまで明るいため、街に散歩に出かける余裕はあったのだが、日本時間では夜中の2時近いため眠いし小雨も降っている。街に出かけるのはやめて部屋でゆっくり過ごすことにする。今晩の食事はツアーに含まれないため、外に食事に出てもよいのだが機内で食べすぎたためお腹も空いていない。添乗の高田さんから「おにぎりを買っておくと良い」と勧められたので成田で買ってきたおにぎりで済ませることにする。
 

〈本日の宿 ホテルアレグロ〉

〈割とこぎれいな部屋〉

〈ベッドにはチュッパチャップスがサービスで置いてあった〉
 スイスはドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語の4カ国語が公用語になっているのだそうで、ま、日本で言えば東北弁と広島弁と鹿児島弁と土佐弁みたいなもので、言語発生的には親戚みたいなものだろう。テレビもチャンネルは何十もあるが、ドイツ語番組、フランス語番組、イタリア語番組など言葉で選んで見ているようだ。

地図で見ると、北はドイツ、東はオーストリア、南はイタリア、西はフランスと大国に囲まれている。島国の日本とは外国との付き合い方もまったく違ってきただろう。だからこそ、「永世中立国」という、「だれの味方もせんけんね。ほっといてくれんね。」的な生き方を選んだのだろう。
とまれ、スイスでの一日目は無事終了。

〈テレビの画面にはWelcomeメッセージがあるが名字が違う〉
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