■スペイン
   

中学生のころからスペインに行ってみたかった。

ギターを弾き始めた頃から漠然と憧れに似た感情を持ち続け、それはなかなかこころの奥底に
おりのようにたまったまま解消することはなかった。

アンダルシア地方、アルハンブラ宮殿、セビリア、バルセロナ、マドリッド
その昔山海塾の森田にもらったドン・キホーテの木彫りの人形、ピカソ、ダリ、ゴヤ
スペインの美女、フラメンコ、いい加減な性格に違いないスペイン人たち・・・


〈アルハンブラ宮殿 ライオンの噴水〉
 結婚25年で銀婚というわけだが、それをだしに海外旅行をしようという話が夫婦のあいだに持ち上がった。
平塚のお母さんが「カナダに行ってみたい」と言っていた、という話も聞いていたので、
誘ってみたがどうも体力に自信がないという。

ならばと、前から一度行ってみたかったスペインはどうだということになり、
喜多さんも異存はないらしく、話はとんとん拍子に進んだ。
地元のJTBで、「スペインに行きたいんだが」ともちかけると、カウンターのおじさんも
スペイン好きだったらしく、見どころを説明しながらお薦めツアーを選んでくれた。

安いツアーもあったが、「移動がバスばかりで、若い人でないとつらいですよ」と
まっとうな意見を述べる。
「確かにね〜。安いのはありがたいけど、せっかくスペインまで行ってつらい思いをするんもな〜。」
と、おじさんお薦めのひとり35万円くらいのツアーをその場で申し込んだ。
   
    
〈ジプシーのフラメンコ〉

 二人の子供にも一応「一緒に行かないか?」と声はかけてみたが、留守番しているという。
これ幸いと、二人の子供には九日間留守番してもらうことになった。

親は二人分のツアー代が助かったが、しかしもったいないね。
僕のこどもの頃には、海外旅行に連れて行ってやるという親がいるとは信じられなかったけどね。

そうして、平成16年8月、長い間夢だった「スペイン旅行」に喜多さんと二人で出かけることになった。


実は平成16年は昭和56年3月28日に結婚式を挙げてから23年目であり、銀婚式にはあと2年あった。
娘が高校2年生、息子が高校1年生で、一番精神的にものんびりした時期であった。

来年になれば娘が、再来年には息子が大学受験で、親が大手を振って海外に遊びに行くのは
気が引けたものだから、少し早目の銀婚旅行とすることにした。

奥さんはこども2人分、9日分の食事を作り冷凍庫に保管した。
献立スケジュールも作り、その献立表の通りに温めればとりあえず食事の心配はない。

子どもたちは子どもたちで、親の束縛を離れそれぞれの開放感を楽しんでいるようであった。
親の心配をよそにまったく平気な顔をしている。

〈一日目 出発の日〉

8月21日(土曜日)前日にタクシーを予約しておいたので、上大岡駅まで大きな旅行用スーツケースを
二つ積み込んでいざ出発。


タクシーに乗り込むと、運転手さんが「俺を知らない?」みたいなことを言う。
ぼくは、誰だかわからなかったが、なんと二軒となりのIさんのご主人だった。
どうもアルバイトで、タクシーの運転手さんをしているらしい。


「旅行か〜、いいなー。」みたいな話をしながら上大岡駅まで送ってもらった。
少しでも倹約しようということで、成田まで普通電車を乗り継いでいくことにした。
上大岡から品川までは京浜急行、品川から青砥までは都営地下鉄、青砥からは京成電鉄に乗り継ぎ
成田を目指す。

土曜日だし、通勤客もいないので、電車は全くすいている。
JRの成田エキスプレスや、京成のスカイライナーを利用するより時間はかかるが、なんてことはない。
出発時間の二時間くらい前に、成田空港に到着した。

JTBカウンターで旅券その他を受け取れば、あとは飛行機に搭乗し出発を待つだけだ。
待合室の窓から、日本航空のジャンボ機が見える。

「きっとあの飛行機だよ。」といいながら写真を撮る。
果たして、その通りに目の前のJALのジャンボジェット機に乗り込んだ。

一度乗ってしまえば
オランダのスキポール空港に到着するまで、10時間もの間ちょっとおろしてくださいというわけにはいかない。


〈鶴のマークもなくなったがその後会社更生法を経て復活〉

席の目の前には、ナビゲーターや映画やゲームがそれぞれ楽しめるように、テレビ画面が据えてある。
八年前にハワイに行ったときには、まだこんな個人用の画面などなかった。
映画を見るにしても、前方のスクリーンで見るしかなかった。


カーナビ同様、自分がいまどこを飛んでいるか、目の前の画面で確認することができる。
画面の地図には、関東、北陸からロシアまで映っている。
成田を出発したJAL機は、まっすぐに北に向かっている。関東と北陸を抜け日本海を北上し続けると、そのうち日本海も終わり、広大なロシア大陸の上空を飛び始め、やがて進路を西に向ける。


一路、ヨーロッパを目指す長時間の旅が始まった。


〈マドリッドから旅は始まる〉

飛び立って何時間がたった頃だろうか。
ロシアの平原に川が見えてきた。
手元の機内誌の地図と見比べながら、「アムール川かな」などと、喜多さんと二人で盛り上がる。

ジェット機は、西へ太陽を追いかけながら進むので、いつまでたっても日が暮れない。

散々、退屈な思いと、エコノミークラスの狭いいすにお尻を痛くしながら、飛行機は降下を始めた。


〈飛行機からロシアの大地を見下ろす〉

オランダ、アムステルダムのスキポール空港に到着だ。
降下する飛行機から見る風景は、高層ビルなど全くない緑ばかりが一面に広がった想像通りのオランダの景色だった。
風車は見えなかったけどね。
成田の、平地の少ない日本独特の風景とは、根本的に違う。海抜の低いことで有名なオランダは、ちゃんと区画整理が整った牧場見たいな、緑ばかりの国であった。

このスキポール空港で、スペインのイベリア航空機に乗り換えるため、マドリッド行きの搭乗ゲートまで歩く。
何年か前までは、イベリア航空が日本にも乗り入れていて直通便もあったのだが、乗客が少なかったのか撤退してしまったそうで、今はスペインへの直通便は一便もないそうだ。


〈オランダの平野〉
 それでも迷わずに、15分くらい空港内を歩き、マドリッド行きのゲートまでたどり着く。
念のために、カウンターのスペイン人らしきお姉さんにチケットを見せて、
片言で「このチケットは、このゲートで間違いないか?インディアン ウソ ツカナイ」というと、
大きくうなずいたので、一安心する

やがて、搭乗の時間となり、イベリア航空機に乗り込む。
外国の飛行機は、日本のバスの感覚なのか、ろくに掃除もしてない感じで薄汚れている。
機内誌もあるにはあるが、もう何週間も取り替えていないようで、汚いことおびただしい。
日本の飛行機の機内がきれい過ぎるのかもしれないが。

2時間半くらいの搭乗時間が過ぎ、もう深夜になったマドリッドの空港にジェット機は降り立つ。
オランダのスキポール空港とは違い、夜になったせいで住宅の明かりがきれいに見える。日本の蛍光灯の明かりと違い、電灯の赤っぽい色が暖かい感じがする。


〈マドリッド空港の夜景〉
   
 実は、このツアーは成田で顔合わせをするわけではなく、マドリッドで集合して初めて一緒の
ツアー参加者がわかる仕組みになっていた。
成田からの参加者と、関空からの参加者の合計で10数人いたであろうか。
関空からの参加者は、パリ経由でマドリッドに到着したそうだ。
年寄りだけだとちょっと不安なツアーだなと思ったが、それでも全員、現地時間の夜11時ころ出口で集合することができた。

ミチさんという現地のJTBガイドさんに引率されて、我々にわかツアー集団は、深夜12時頃のホテルに到着。
深夜にもかかわらずホテルのロビーで、ミチさんに明日の朝の予定とか、明日のオプショナルツアー
への参加とか、セキュリティーの案内とかの説明を受けてやっと部屋に入ることができた。

もう成田を飛び立ってから15〜6時間たっているはずだから、日本では朝の10時くらいじゃなかろうか。
眠いのやら、眠くないのやら良くわからない。
   
戻る 2日目へ
inserted by FC2 system