平成23年3月11日 午後2時46分 宮城県沖で大地震発生
初めて経験する揺れ

 午後3時少し前のことだった。
ちょっとややこしいプロジェクトのリーダーに指名されてしまって、気の重い依頼メールを10人ほどに送ったところだった。

突然揺れを感じたが、いつもの通りすぐにおさまるだろうと、タカをくくって仕事を続けていた。弥次さんの勤める会社は東京都中央区でも地震に対する危険度では区内の3本指に入ると言われているビルに入居しており、昭和40年代に丹下健三氏が設計した、いかにも重そうなビルだ。


10階の自席の揺れはますますひどくなる。今まで地震の時にテーブルの下にもぐったことは一度もなかったが、今回ばかりは本気で会議用テーブルの下にもぐりこんだ。同室の女性たちも一斉に机の下にもぐりこんでいる。

〈こんなビルがゆらゆら揺れている〉
 経験したことのないほどの揺れが一旦おさまったところで、一斉避難の指示が出た。エレベーターは止まっているので全員階段で一階まで降り、屋外に避難する。

室内や階段の壁のあちこちに亀裂ができている。それから1時間以上も外で待機し様子を見たが、その間も余震が続く。15階建ての会社のビルがゆらゆら揺れているのがはっきりとわかる。空にはたくさんのヘリコプターが飛んでいる。

1時間半後やっと社内に戻る許可が出たので、席に戻って仕事を続けるが、その間も余震はおさまらない。退社時刻前に部員を先に帰すが、ニュースではすべての電車が止まっている。みんなどうして帰るのだろう。今のところ歩くしかないではないか。それでも大田区とか品川区とか葛飾区とかに住んでいる人は2〜3時間で帰れるだろう。

横浜住まいの弥次さんは考えた。

〈会社のビルの外に避難する人たち〉
やはり歩いて帰ることにする

 東京の電車はすべてストップしているが、うまくすれば途中で動き始めるかも知れない。東海道を歩いたおかげで道は熟知している。京急線沿いに歩いて帰れば、電車が動き始めた時に近くの駅から乗れるという寸法だ。

先ほどからまったく家族への連絡が取れていない。かろうじて娘から無事のメールが届いた。喜多さんと子ども二人には、無事でいることと、歩いて帰るつもりだというメールを送っておく。

5時半に築地の会社を出た弥次さんは、銀座から新橋を経て、かつて何度も歩いた旧東海道を西に向けて歩き始めた。経験からすると、電車に乗れなくても夜中の2時には家にたどり着けそうだ。

銀座で朝日新聞の号外を配っていたので、もらって読む。想像をはるかに越えた大惨事がおきている。それにしても、道路は通勤ラッシュ並みの人の多さだ。みんな一斉に自宅を目指して歩き始めている。


〈銀座で配っていた号外〉

 歩道だけでは足りないので、車線まで人の波だ。車は全くと言ってよいほど動けない状態なのであまり車を気にせずに車道を歩ける。
今日は運よく、ウォーキングシューズを履いていたし、このところリュックで通っているため、ビジネスシューズとビジネスバッグで歩くよりは格段に歩きやすい。

それでも、外気温は4℃でかなり冷え込んでいる。花粉症なのでマスクでガードしてとりあえず品川駅を目指す。
品川駅の手前で、会社の同僚のIさんに声を掛けられた。
こんなにたくさんの人がいて、しかもマスクをしているのによくわかったね、と感心したがこのIさんの自宅は藤沢だ。横浜の自宅まで30数kmあるが、藤沢はさらに20km近く先だ。とても歩ける距離ではあるまい。

Iさんは、品川プリンスホテルでトイレ休憩して帰るというので、品川駅で別れたが、ホテルのロビーで朝まで休むのが正解だろう。

〈号外〉
 品川駅では、「本日の電車の運行は一切ありません」とアナウンスしている。これはもう自宅まで歩くしかない。
道路の車は明らかに歩いた方が早いほど動いていない。タクシーに乗っている人もいるが、まったく進まないままにメーターだけ上がっていることだろう。
後日ニュースで見たが、10m進むのに4,000円かかった人がいるそうだ。会社でも1〜2km進むのに7,000円払った人がいる。バスを待つ人がバス停にあふれているが、これではいつまで待ってもバスは到着しないだろう。

心配してメールをくれた山口の姉に、歩いて帰る途中だというメールを返信しておく。すると、会社に泊った方が安全だから引き返すようにメールが届くが、すでに10km近く歩いている。今更会社に引き返すわけにもいかないだろう。

メールもすぐに届くとは限らない。この頃喜多さんに送ったメールが翌日の3時ころに届いた。


〈東京タワーの先端も壊れた〉
 道路わきの自転車屋さんで自転車を調達している人がいた。しかし、歩いている人が多すぎ自転車を走らせるのも大変な状況だ。

蒲田を過ぎ、多摩川をわたったのは、9時過ぎだった。多摩川を徒歩で渡るには、歩道につながる階段があるのだが、歩いている人はみんな無視して車道を歩いている。

大変なのは若い女性だ。ハイヒールで歩いている人がいる。胸の開いた薄着で歩いている人がいる。中には、会社でもたされたのだろう。白いヘルメットをかぶっている若い女性もいる。銀色の非常持ち出し袋を背負っている女性もいる。

〈国道15号線の車は全く動かない〉
 川崎で、初めて食事を兼ねて休憩する。ラーメンを食べる20分だけが本日の休憩時間だ。
こんなに休まずに歩いたことはない。さすがに足に疲れがたまっている。

鶴見、子安、東神奈川を過ぎて横浜駅に近づいたところで公衆電話があったので、試しに自宅に電話をしてみると通じた。
「もうすぐみなとみらいに着くので、ランドマークタワーあたりまで迎えを頼む」と喜多さんにお願いする。

みなとみらいまで約30kmを歩いたところで、迎えの車に乗り込む。
こんなに歩かないで済むことがありがたいと思ったことは、街道歩きの時にはない。
街道歩きは楽しみながら歩いているが、今日はひたすら自宅へ帰るために足を動かしただけだ。

娘は同僚と会社に泊ることにしたそうで、大正解だ。

ほぼ予定通りの1時半に自宅に着いて、改めてテレビを見ると東北地方はとんでもないことになっていた。
東京から歩いて帰るくらいで、不満を言っていてはいけない。
亡くなった方や、家も家族もなくした被災者の皆さんは本当にかわいそうだ。

一昨年の夏には、石巻や塩釜港にも観光に行ったが、町は津波で跡かたもなくなっていた。

亡くなられた方と、被災者の方に心からお悔やみを申し上げます。
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