平成24年12月22日(土)〜24日(月) 岩国錦帯橋空港再開港 横浜大雨〜岩国晴れ〜雪
岩国空港の歴史

・昭和13年(1938)4月 、 大日本帝国海軍の飛行場として建設を開始。
・昭和15年
(1940)7月 、岩国海軍航空隊が開設。以後主として教育隊、練習隊の基地として使用。
・昭和18年
(1943)11月、海軍兵学校 岩国分校が開設。
・昭和20年
(1945)、米英軍を中心とした連合国軍機より空襲や機銃掃射を受け、基地の施設の多くが損害を受けた。最後の空襲は8月14日。翌日終戦、その後アメリカ海兵隊により接収される。

〈ANA羽田発岩国行633便 13:20発〉
 ・昭和21年(1946)2月 、連合国の1国として中国・四国の占領に当たったイギリス連邦占領軍の空軍基地
となりイギリス空軍やオーストラリア空軍、ニュージーランド空軍、インド空軍などのイギリス連邦占領軍、
およびアメリカ空軍が駐留した。
・昭和23年
(1948)、 オーストラリア空軍へ移管。3月19日、英国海外航空(BOAC)が定期乗り入れを開始。
その後昭和39年
(1964)まで、民間機の定期便が就航していたのだ。その頃の国際空港は羽田と岩国の2か所
だったのだよ。
   
・昭和25年(1950)6月25日、朝鮮戦争勃発。本飛行場も国連軍の中枢をなすアメリカ軍とイギリス軍により使用される。
・昭和27年
(1952)4月1日、日本の占領解除と同時にアメリカ空軍へと移管。
・昭和29年
(1954)10月1日、アメリカ海軍へと移管。
・昭和32年
(1957)3月 、航空自衛隊とアメリカ海軍の共用基地となる。
・昭和33年
(1958)7月20日、アメリカ海兵隊へと移管。

〈羽田は大雨〉
・昭和42年(1967)12月1日、航空自衛隊から海上自衛隊に移管。
・昭和45年
(1970)12月 、極東放送 (FEN-TV)が岩国基地に設立
・昭和51年
(1976)10月 、ベトナム戦争終結後の海兵隊再編に伴い、第1海兵航空団司令部が普天間飛行場
近郊キャンプバトラー〈沖縄県中城村)に移駐。
・平成24年
(2012)12月13日、民間機による定期便が48年ぶりに再開される。
ということで、敗戦後の長い歴史を経て、岩国空港は再開港されることになり、12月13日に48年ぶりに羽田
からの定期便が飛び立ったのだ。
   

〈予定通り約90分で岩国錦帯橋空港に到着〉

〈お出迎えの人がすごいと思ったら里帰りした安倍総裁がいた〉
 中学生のころ見に行った映画「トラ・トラ・トラ」(だったと思う)では、この岩国飛行場で、山本五十六さんが隊員に訓示を垂れていた。ぼくが岩国にいた昭和49年ころには、飛行機などとんでもなく贅沢な乗り物で、飛行機に乗って東京に行くなど考えてもみなかった。

初めて飛行機に乗ったのは、広島空港がまだ江波・観音地区の海沿いにあった昭和55年のころだ。その後、広島空港は手狭になったのか、とんでもない山奥に移転してしまった。広島駅までバスで1時間もかかるのだが、それでも何度も利用して岩国に帰った。霧で羽田からの飛行機が着陸できず、福岡に行ってしまったので、広島空港から広島市内の姉の家に引き返し泊めてもらったこともある。これからは、羽田を出発すれば2時間後には実家に到着しているという、夢のような便利さになった。

〈こじんまりとした売店 食事する場所もない〉
宮島へ

 3月には弟の次男の結婚式でまた山口に行くので、帰るつもりはなかったのだが、ネットでANAの状況を見てみると早割がまだ残っていた。片道1万円程度で帰れるので、親孝行に帰ってみようとPCで予約をした。

ひそかに帰って、ほかの兄弟とは3月の結婚式で会うし連絡するのはやめておこうと思ったのだが、12月の「笹子トンネル」事故で会社の若い社員が亡くなったことを受けて、会えるときに会っておいたほうが良いなと、兄に召集をお願いした。22日は、母親と兄夫婦で「寿司清」という料理屋へ。翌日は兄と久しぶりに宮島の弥山山頂へ行ってみようと思う。

〈宮島に渡る連絡船〉

〈本州の宮島口から10分で宮島に着く カキの筏がたくさん〉

〈今年のNHK大河ドラマは平清盛だったが過去最低視聴率だったそうだ〉

〈宮島の大鳥居は清盛造営から8代目という 高さ16m 長さ24m〉

〈重要文化財 五重塔と豊国神社千畳閣〉

〈日本三景碑と宮島のシンボルの鹿〉
宮島(厳島)

 広島湾に浮かぶ厳島は一般に「安芸の宮島」とも呼ばれ日本三景の1つに数えられている。平家が信仰したことで有名で、平清盛により現在の海上に立つ大規模な社殿が整えられた。社殿は現在、本殿・拝殿・回廊など6棟が国宝に、14棟が重要文化財に指定されている。そのほか、平家の納めた平家納経を始めとした国宝・重要文化財の工芸品を多数納めている。当社の平舞台(国宝:附指定)は「日本三舞台」の1つに数えられるほか、海上に立つ高さ16mの大鳥居(重要文化財)は「日本三大鳥居」の1つである。また、夏に行われる祭礼は管弦祭として知られる。〈ウィキペディアより抜粋〉

ということで、近くにいてすごさがわかっていなかったが、日本有数の歴史遺産なのだ。

〈鹿は人に慣れきっている〉

〈宮島といえばしゃもじ 日本一の大しゃもじ〉

〈宮島はアナゴが名物〉

〈子供は鹿に触れてうれしそう〉

〈屋根の下の内部は空洞で多くの経石が納められており、総重量は5tにも及ぶ〉
 小学生の遠足と言えば宮島だった。横浜でいえば江ノ島といったところだろう。余りに近いから宮島のすごさも分かっていなかったが、改めて歴史を見ると厳島神社の鎮座する厳島(宮島)は「神に斎く(いつく=仕える)島」という語源のように、古代から島そのものが神として信仰されたと考えられている。厳島中央の弥山(標高535m)山頂には巨石が連なっており、山岳信仰の対象であったとされる。


〈入場料300円を払って国宝の本殿に入る〉
 社伝では、推古天皇元年(593)、当地方の有力豪族・佐伯鞍職(さえきのくらもと)が社殿造営の神託を受け、
勅許を得て御笠浜に社殿を創建したのに始まるとされる。文献での初出は弘仁2年
(811)まで下る。平安時代
中期の『延喜式神名帳』では「安芸国佐伯郡 伊都伎嶋神社」と記載されて名神大社に列したほか、安芸国
一宮とされた。その頃には神職は佐伯氏が掌握した。この社格が昇っていく過程で祭神が整備されていった
と考えられており、祭神の市杵島姫命が明記されるのは『一宮記』以降になる。
(ウィキペディアより抜粋)
   

〈国宝回廊 海の水が浸水しても大丈夫なようにわざと隙間が作ってある〉

〈鏡の池〉

〈1996年 ユネスコ世界文化遺産に登録〉

〈干潮になると大鳥居まで歩いてゆける〉

〈国宝回廊と重要文化財五重塔〉

〈高舞台からの大鳥居〉

〈重要文化財 反橋は弘治3年(1557)の毛利元就・隆元による再建。〉

〈重要文化財 天神社〉

〈平安衣装が盛り上げる〉

〈弥山に向かう途中にも鹿が遊ぶ〉

〈弥山は535m ハイキング姿も多い〉

〈ロープウェーを乗り継いで頂上を目指す 1,800円〉

〈瀬戸内海の島々が美しい〉

〈山中に小鹿が〉

〈誰にもいたずらされたことがないのだろう 逃げない〉

〈霊火堂 消えずの火 弘法大師開基以来1200年消えていない火だというが〉
弥山の七不思議

◆消えずの火  

 『大同元年
(806年)、弘法大師が弥山山頂で百日間に及ぶ求聞持(ぐもんじ)の秘法を修して以来、今日まで途絶えることなく燃え続ける霊火。この火で沸かした霊水は万病に効くと言われています。また、明治34年(1901年)に操業を始めた八幡製鉄所の溶鉱炉の種火や広島市の平和記念公園の「平和の灯」の元火にもなりました。』

ということで、50年前に来たときにも煙っていたが多分二度や三度は消えたことがあるに違いない。たぶん・・・。

〈重要文化財の鐘〉

〈平安時代の大同元年(806)に空海(弘法大師)が弥山を開山し、真言密教の修験道場となったと伝えられる〉
弥山

 山頂付近には御山神社は(みやまじんじゃ)、山頂付近から山麓にかけては大聖院の数々の堂宇、裾野には厳島神社を配し、信仰の山として古くから参拝者が絶えない。山名については、山の形が須弥山に似ていることからという説や、元は「御山」(おやま、みやま)と呼んでいたのが「弥山」となったという説などがある。なお、山頂にある三角点の名称は「御山」である。』

ということであるが、日本の各地の山には空海
〈弘法大師)や行基が開山したという言い伝えが残されている。この宮島の弥山もいかにもという地形だ。

〈弥山山頂から西を望む〉

〈頂上まで鹿が来て観光客に餌をねだる〉

〈対岸の広島方面〉

〈頂上にこのように丸くなった巨石があるのが不思議〉

〈岩国の地名も万葉の時代に岩が多いので付けられたのだそうだ〉
宮島で遭難事故

 廿日市市の宮島にある弥山(標高535m)の山中で、23日午後5時50分ごろ登山をしていた呉市の会社員の女性(31)から「下山中に道に迷った」と110番通報があった。廿日市署や地元消防などが女性を捜索。24日まで見つからなかったが、捜索3日目の25日午後0時ごろ、島南部の青海苔神社の北約1.5キロの山中にいるところを消防団員が発見し、保護した。衰弱していたが外傷などはなく、意識もはっきりしており命に別条はないという。廿日市署によると、女性は弥山に単独で登頂後、島内の神社を巡ろうとして、登山道を外れたとみられる。(産経ニュースより)

遭難した女性が無事でよかったが、ちょうど宮島の弥山に登ったこの日、このような事故があった。低い山だからといってなめてはいけない。

〈神の島だから人の手が入っていない〉

〈宮島にはお墓がない お産も対岸の町でするのだそうだ〉

〈帰りに宮島名物あなご飯を食べてみる〉

〈たまたま入った店は安くておいしかった〉
 岩国に生まれて57年、小さいころから何度となく訪れた宮島ではあるが、弥山の頂上まで行ったのは初めてのことだ。伊藤博文は「日本三景の一の真価は頂上の眺めにあり」と絶賛したというが、宮島を訪れて鳥居と回廊だけ見て帰るのはもったいない。是非頂上まで歩いて登ってほしいものだ。

そして参道で揚げもみじまんじゅうや焼きカキやあなご飯を食してもらいたい。どれも最高の味でおいしい。

〈母親と兄弟全員集まって宴会〉

〈姪のKちゃんと娘のMOCA〉
 もうすぐ正月だというのに、広島から下の姉と小野田から弟が来てくれて、兄と上の姉全員で夜は豪華な宴会になった。一番大変なのは長男の嫁さんだから、外に食べに行こうといったのだがごちそうを作ってくれた。幸いなことに我が家の兄弟はみんな仲が良いから本当にありがたい。

夜の11時過ぎまでさんざんおしゃべりをして、翌日は全員で岩国錦帯橋空港まで見送ってくれた。小さいころは兄弟が多いと生存競争が厳しかったけど、本当に兄弟がたくさんいてありがたいと思っている。

〈岩国錦帯橋空港〉

〈母親と兄弟姉妹たち〉
 ふと思いついて帰省したが、楽しい三日間だった。やはり遠く離れていても家族はいいね。岩国に空港が再開したおかげで、早割を使えば往復2万円ちょっとで帰れるから、これからもちょくちょく帰ることにしようと思う。

母親ももう87歳だ。来年には父親の17回忌もある。

〈羽田からの便が到着した〉

〈岩国空港出発ロビー〉

〈展望デッキでお見送り〉

〈米軍基地はまだまだ拡張するのか〉

〈米軍・海上自衛隊と共用空港だから軍用機も駐機〉

〈雲の下には高知県の室戸岬も見える〉

〈四国を横切る川は吉野川だ〉

〈三重県鳥羽市あたり〉

〈渥美半島伊良湖岬 3年前にはここからフェリーで鳥羽に渡った〉 

〈アクアラインと海ほたる 東京は快晴だ〉
 どうにも子供のようだが乗り物が好きだ。車の運転も好きだが電車も船も飛行機も好きだ。特に飛行機
から見る地上の景色は、地図そのもので面白い。今回初めて岩国からの飛行機に乗ったが、瀬戸内海上空を
飛ぶので四国が一望できた。上空1万メートルから見る四国は小さく、室戸岬の先には太平洋も見える。
広島空港からは山陰を飛ぶので鳥取砂丘や松江あたりが見えるが、岩国からの航空路は瀬戸内海から
淡路島、紀伊半島、渥美半島から浜名湖、伊豆半島を越えて千葉県からアクアラインを右に見て羽田に到着。

年甲斐もなくずっと窓から景色を見ていた。
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