平成20年8月7日(木)〜15日(金) 山口〜松山〜徳島〜香川 中・四国ローカル線の旅 | |
〈横浜駅に23:46発 大垣駅行き快速ムーンライトながらが入線する〉 |
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今年の夏は4年に一度、オリンピックの年に開催する高校の同窓会がある年だ。前回の4年前、アテネオリンピックの 年はスペインに行ったから出席しなかった。ことしを逃すとまた4年後ということになるので久しぶりに高校時代の仲間 の顔を見てくるつもりだ。 ただ帰るのではつまらないから、やはり青春18キップでローカル線を乗り継いで帰ることにした。子どもに留守を頼み 電車での弥次喜多道中が始まる。 青春18キップは一日乗り放題で2300円だが、日をまたぐと一日分がふいになる。そこで横浜から日が変わって停車 する最初の駅「小田原」までのキップ950円を購入しておく。大垣までは指定席でリクライニングも付いているが、そんな にぐっすり眠れるわけもない。大垣に5:55に着いた「ムーンライトながら」から乗り継ぐために、一斉に乗客が次の米原 行きに殺到する。 |
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米原では乗り継ぎに1時間ばかりあるので、改札から出て町中を探索する。そういえば、米原駅前に高校の部活で仲の良かった「かーも」という女の子が喫茶店をやっているということを思い出した。「プレクトラムアンサンブル」というマンドリンクラブで一緒にギターを弾いていたのだ。ぶらぶら駅前を歩いて「さんとれいん」という店を探していたらあった。まだ朝の6時半過ぎだから、当然店も開けていない。喜多さんは、「せっかく来たんだから訪ねてみれば・・・」というが、こんな非常識な時間に訪ねるわけにはいかないだろう。また今度ということにして駅に戻る。 この後は、神戸9:29、相生10:27、岡山11:38、白市13:53、広島14:43、と乗り継いで岩国に15:37予定通りに到着。今晩は兄のおごりで兄妹みんなそろって岩国米軍基地でステーキを食べる予定だ。 |
〈かーもの店「さんとれいん」 無断で載せてごめんね〉 |
〈大島大橋 今は無料だがかつては片道600円の高い橋だった 山陽本線から〉 |
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〈フェリーからの大島大橋と周防大島〉 |
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8月9日、山陽本線で岩国駅から柳井港まで行き、柳井港と伊予松山三津浜港を結ぶ防予汽船のフェリーに乗り込む。一人3500円なり。 久しぶりに見る「周防大島リゾートホテル大観荘」は客室も増え、立派になっているようだ。しかし、高速道路の割引などで経営が苦しくなった防予汽船は民事再生法を申請したと聞いた。厳しいね。 |
〈懐かしの大島リゾートホテル大観荘〉 |
〈松山からの防予汽船のフェリーとすれ違う〉 |
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無事に防予汽船で松山に着いた弥次喜多道中は、松山ワシントンホテルに荷物を置き、さっそく観光に出かける。 二人とも司馬遼太郎の「坂の上の雲」のファンだから、まず秋山好古、真之兄弟の生誕地を訪ねる。明治の軍人というものはなんと偉い人がいたものだと驚嘆する。真之が生まれた時、子沢山のため寺にやろうとした親に、好古は「あしが今におとうふほどのお金をこしらえるけん、寺にやるのはやめとくれ」と頼んだという。この二人の力だけで日露戦争に勝ったわけではないが、この二人がいなかったらこうも鮮やかにロシアに勝つことができただろうか。 この後は、松山といえば「道後温泉」と「坊ちゃんだんご」。路面電車に乗って「道後温泉」に入りにゆく。 |
〈坂の上の雲 秋山兄弟の生誕地を見学〉 |
〈道後温泉と坊ちゃん列車〉 |
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道後温泉 松山に着いたその日の夕方、さっそく道後温泉に行ってみた。個室で休める「霊の湯」は満室で入れなかったので、一般の浴室「神の湯」で我慢した。翌日、朝一番で再度道後温泉を訪ね、「霊の湯」と個室を申し込むと今度はOK。昨日と違うお湯に入り、浴衣に着替え三階の個室でお茶と坊ちゃんだんごをいただく。 道後温泉は、日本最古の温泉と言われ、この本館は明治27年(1894)に完成。夏目漱石が「坊ちゃん」の中でも絶賛している。中には、皇室専用の風呂もあるが撮影禁止のため写真は撮れなかった。 |
〈道後温泉霊の湯の個室で坊ちゃんだんごをいただく〉 |
〈道後温泉 霊(たま)の湯 1500円払うと、個室で浴衣になって休むことができる〉 |
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〈坊ちゃん列車から見る松山城〉 |
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〈坊ちゃん列車に乗り込む〉 |
〈終点での方向転換は手動で行う〉 |
〈リフトで松山城へ〉 |
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〈春や昔 十五万石の城下かな 子規〉 |
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〈松山城から瀬戸内海を望む〉 |
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〈三津浜港に花火を見に行く〉 |
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松山の二日目は道後温泉に始まり、松山城、坂の上の雲ミュージアム、子規記念館、三津浜港の花火で終わった。 | |
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