ローカル線の旅 九州編 平成25年3月23日(月)〜3月27日(金)
母の四十九日で帰省

 1月25日、日光例幣使街道を歩いている最中に、兄から母が救急車で病院に運ばれたという連絡を受け、急ぎ帰省し病院に通ったが、意識が戻らないまま1週間が過ぎた。

医者の話では、血圧も脈も正常に戻ってきているということだったので、一安心して横浜に帰ったその晩に、母は突然亡くなってしまった。やぶ医者じゃないのと兄弟に言ってみたが、非難しても始まらない。

89歳までまったく頭脳明晰で、送ってあげた100冊以上の本もすべて読んだというし、足腰が弱ってきているのは誰でもそうだろう。一度でも意識が戻ってくれて最後の会話ができたらと思うが、ボケもせず、寝たきりにもならず、母親が望んでいたような見事な最期だった。


棺桶の中の化粧をした顔は本当にきれいで、最後に触れた頬は氷のように冷たかった。

〈たくさんの人が見送りに来てくれた〉
同級生と36年ぶりに再会

 年賀状のやり取りだけずっと続いているが、何十年も会っていない友達が何人かいる。

その中で小・中・高とずっと同じ学校の同級生だったOくんから今年の年賀状に「近くを通る時には是非連絡して」とあったので、思い切って電話をかけてみた。

結構シャイな性格で、自分からあまり積極的に付き合うタイプではないのだが、定年という年代は人恋しくなる年代なのだろう。


今回は、事情があって車で帰るのだが、兵庫県たつの市に住むOくんと会うために相生駅前のビジネスホテルを予約する。

〈車で帰る途中で寄ってみた東海道赤坂宿の大橋屋 昨年廃業したそうで寂しい〉
 その日の仕事を終え、相生のホテルまで来てくれたOくんと、近くの居酒屋で実に40年近くぶりの再会を祝して乾杯をする。

Oくんの住むたつの市は、古い武家屋敷や白壁の土蔵の街並みが残り、龍野藩5万3千石の城下町の面影から
「播磨の小京都」と呼ばれているのだそうだ。予定より少し早目に着いたので、車を観光客用の駐車場に止め散策してみる。
童謡「赤とんぼ」を作詞した三木露風は、このたつの市の出身なのだそうだ。

「男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け」
(昭和51年公開) は 旧龍野市がメインの舞台だ。
宇野重吉演じる高名な画家とひょんなことで知り合った寅さんは、龍野を歩いていた時に再会し、
桜井センリや寺尾聰演じる市の職員を手玉にとってやりたい放題。大地喜和子演ずる芸者ぽん太が
投資詐欺でだまされた窮地を救ってやる。全巻持っている寅さんの中でも好きな作品のひとつだ。
   
 父親が終戦間際に本土防衛のため鹿児島に駐屯していて、ぼくが中学生の時に25年ぶりにその時お世話になった人に会いに行ったことがある。

14〜5年しか生きていない中学生にとって25年の歳月は、途方もない彼方に感じられたが、この歳になってみれば40年近く会っていない友人でも同級生だからすぐに時間は超越してしまう。

あらためて思い起すと今日のようなプライベートな話をするのは初めてだろう。人生いろいろ、良いことも悪いこともひっくるめてお互い60年の人生を歩んできた。

3時間ほど旧交を温めて、翌日は岩国で四十九日の法要と納骨を済ませ、山口に住む弟宅へ一泊させてもらい、久しぶりに山口観光もさせてもらった。

〈山口市に残る国宝 瑠璃光寺 1442年建立〉

〈日本三名塔の一つで室町中期の最も秀でた建造物と評される ちなみに他の2基は、奈良県の法隆寺と京都府の醍醐寺の五重塔だそうだ〉

〈十朋亭(じっぽうてい)に行ってみる 1800年ころの建築〉

〈幕末 桂小五郎・高杉晋作・伊藤博文・久坂玄瑞などが訪れた〉
十朋亭

 攘夷戦を決意した長州藩主毛利敬親
(たかちか)は、萩では戦が長州藩全体に及んだ際に指揮するには不便であり、また萩城では外国艦船からの報復攻撃を受ける恐れがあるとして、藩府を萩から山口に移すことを決断しました。

萩城下の反対を懸念した敬親は、「湯田温泉に湯治に行ってくる」と言い残してわずかな共を連れ山口の御茶屋に入り、そのまま山口を藩府としました。

山口の町では役所や役人の住まいが大量に必要となり、豪商、豪農の屋敷や離れが藩士の住まいとして転用されました。堅小路で醤油業を営む萬代家の離れ「十朋亭」もその一つです。

(十朋亭案内パンフより)

〈吉田松陰の兄杉民治が塾を開いた場所でもある〉

〈旧山口県庁舎〉

〈旧山口藩庁門 明治4年の廃藩置県まで藩庁門として使用された〉
 
〈平成3年に焼失したサビエル記念聖堂を平成10年に建て替えたがモダンすぎて有難味がない 右は火事で焼失した旧サビエル記念聖堂〉
ローカル線の旅 九州編 3月23日 月曜日

 今回、母の法要で帰省するに当たり、一昨年秋、高千穂や桜島に行ったときに乗った「日豊本線」以外まったく乗っていない九州のローカル線をできるだけ乗りつぶしてやろうと計画を立てた。

車では数えきれないくらい訪れている九州だが、観光地への便を考えるとなかなか電車という選択は出来ない。

まず、山口駅から山口線で新山口駅まで。山陽本線の下関駅で乗り換えて、門司駅へ。さらに鹿児島本線に乗り換えて小倉から佐賀県鳥栖を目指す。鳥栖から長崎本線で肥前山口へ行き、佐世保線に乗り換えて佐世保駅へ、さらに松浦鉄道で伊万里へ行き一泊する予定だ

〈山口は中国地方だが九州圏〉

〈山口線で山口駅から新山口駅へ さらに山陽本線で下関駅へ〉

〈JR九州の沿線には菜の花が咲き誇る〉

〈長崎本線を走る817系普通列車〉

〈JR九州の普通列車はシートが豪華〉

〈佐世保に着いた 自分がしてほしいことを他人に行いなさい←その通り〉

〈佐世保港 左手には護衛艦も見える〉

〈佐世保と言えば佐世保バーガー〉

〈ということで港にあった店でさっそく注文 560円〉

〈佐世保駅から松浦鉄道 伊万里へ向かう〉

〈一両編成の松浦鉄道 列車はきれい〉
 
〈佐世保→伊万里2080円 佐世保中央から中佐世保間は距離わずか200m もとはJR松浦線 国鉄末期の昭和61年に33億円もの赤字だった鉄道が民営化後は収支トントンだという〉
 
〈鷹島口あたりからの玄界灘〉
伊万里へ到着

 長崎県は複雑に半島と湾が入り組み、松浦鉄道が走る北松浦半島には佐世保湾、伊万里湾の天然の良港と九十九島という風光明媚な海がある。

古代にあっては「魏志倭人伝」に「末廬國(まつろこく)」と記され、中世に「蒙古襲来」があった。そして近世の始め、オランダ人がやってきて平戸に商館を建てた。

JR九州松浦線は、四半世紀前に赤字を理由に廃止対象とされた。その赤字路線を継承した第三セクター松浦鉄道は、駅を増やし列車本数を増やすことで黒字経営を続けてきた。当時の国鉄の体質を物語る話だ。


日本最西端の駅「たびら平戸口」を経由して、本日はセントラルホテル伊万里で宿泊。

〈17:53 松浦鉄道伊万里駅へ到着〉
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