平成26年8月20日(日曜日) 晴れ 熊本城〜霊厳洞〜鯛生金山
熊本城

 龍くんと弟とで大津島の回天記念館を見学した後、これで3度目になる国民宿舎「あいお荘」の温泉でゆっくりし、弟の「社宅」に泊めてもらうことにする。

防府署に勤める弟は車で20分の山口市に自宅があるのに、警察の制度では同市内に住まなければならないらしい。


国民宿舎あいお荘の露天風呂
この「あいお荘」の露天風呂からは目前に雄大な瀬戸内海の景色が見られ、天気が良ければ九州や四国まで
が見渡せる。ちょうど夕日が沈む時間で、身を乗り出してみていた青年から「夕日がきれいですね」と声を
かけられた。話をすると千葉から奥さんと二人で車で山口観光に来て、日帰り温泉に入りに来たらしい。
圧倒的に横浜にいる時間の方が長くなったのに、山口県に観光に来てくれる人がいるのはうれしい。

弟と居酒屋で食事をし、明日はどこに行こうかと相談する。熊本城はどうだということになり、行った
ことがないから是非と決定。弟は最近母親と姉を連れて行ったのに、良かったからと勧めてくれたのだ
がいい弟だね。弟が定年になった暁には一緒にあちこち旅行したいと思っている。
   

〈熊本城を訪れる〉

〈慶弔12年(1607)清正新城落成 隈本を熊本に改称〉

〈西大手櫓門〉

〈阿蘇には何度も訪れているが熊本城は初めて〉

〈特別史跡 熊本城 加藤清正が慶長6年(1601)から7年の歳月を費やして完成したと伝えられているそうだ〉

〈明治10年(1877)の西南戦争で多くの建物を焼失〉

〈現在の天守閣は昭和35年(1960)に再建されたもの〉

〈慶弔6年(1611)清正50歳で病死 せっかくこんな立派な城を作ったのに加藤家改易 さびしい〉

〈加藤清正が手植えの銀杏と伝えられているそうだ〉

〈平成20年(2008)に復元された本丸御殿大広間〉

〈寛永9年(1632)豊前小倉の細川忠利入封〉

〈そして現在も熊本の殿さまは細川家ということになっている〉

〈今の当主はおとなしくしてればいいのに小泉さんと一緒に反原発活動〉

〈奥さんの佳代子さんは知的障碍者のスポーツ大会に熱心〉

〈寛永17年(1640)宮本武蔵 細川家の客分に〉

〈寛永20年(1643)武蔵「五輪書」を著す〉

〈天守閣から お〜でかいクマもんがいる〉

〈明治10年(1877)西南戦争 開戦3日前に原因不明の出火で天守閣等の主要な建物が焼失〉

〈武者返しの石垣〉

〈昭和35年(1960)天守閣再建〉

〈平成10年(1998)熊本城復元整備事業始まる〉

〈それにしてもすごい石垣 加藤清正は家康の仕打ちを知らずに死んでいった〉

〈帰りに辛子レンコン専門店によって1本購入 レンコンコロッケも買ってみる〉
霊巌洞(れいがんどう)

 拝観料200円を払ってもらったパンフには以下のように書いてある。寛永17年(1640)、宮本武蔵は細川家の客分となり、寛永20年(1643)この霊巌洞にこもって「五輪書」を著した。武蔵は「五輪の書」の巻頭にこう記している。「寛永二十年十月上旬の此九州肥後の地岩戸山に上り、天を拝し、観音を礼し、仏前に向かい(中略)天道と観世音を鏡として、十月十日の夜、寅の一てんに筆をとって書初もの也」と。

霊巌洞という名前は聞いたことがあるようなないような、熊本城を後にして車を走らせていたら、案内が出ていたので立ち寄ってみた。肥後熊本の細川家の客分となった宮本武蔵が、この霊巌洞にこもって「五輪の書」を書き上げたのだそうだ。

〈勝ち運を呼ぶ武蔵像〉

〈五百羅漢)

〈熊本の商人 渕田屋儀平の願により安永8年(1779)から享和2年(1802)まで24年間かかって奉納したという〉

〈永年の風雨による自然崩壊や明治初頭の廃仏毀釈、1889年の大地震の破損等で完全なものは約半数に減っているという〉

〈閻魔洞と閻魔さん〉

〈武蔵がこもっていたころにはまだ五百羅漢はなかった〉
二天一流の由来

 二天一流は世に言われている二刀流ではない。剣聖・宮本武蔵は生涯を行雲流水の求道の旅で終わり、30歳の前半を諸国の兵法者と戦い、51歳に至る約20年は史実的に全く空白で、東西に剣客の旅を続け、寛永17年に肥後の細川忠利侯に招かれ、細川藩軍事顧問として肥後千葉城に居住し、忠利侯の命を受け「兵法35箇条」を献上した。

その2年後に兵法35箇条を骨子とした五輪書を霊巌洞に籠り執筆し、正保2年5月12日寺尾勝信に伝授、寺尾信行には35箇条を授与し、師範家相続の証とした。


〈二天一流の由来碑〉
 以来、二天一流は五輪書で確立し、師範家は5流派に分かれ藩外不出として栄え、江戸末期には、
野田、山尾、山東の3流派のみ継承され、その後明治から昭和に渡り断絶或いは再興し、県外流出の
流派もあり、現在では師範家は野田派のみ連綿として熊本に現存している。
野田派では毎年5月19日
の武蔵の命日に霊巌洞で、6月12日の寺尾信行の命日に寺尾信行の墓前で、五方の形、二刀太刀、
一刀太刀を奉納し先師の霊を弔い、道場では朝鍛夕練の精神で二天一流の鍛練を続けている。
   

〈秘仏の観音様は一般公開はしていないそうだ〉
天水町名誉町民 笠 智衆

 霊巌洞を見学して熊本から帰る途中、食事のため「草枕温泉天水」というところの道の駅風の施設に立ち寄ったら、笠智衆さんの名誉町民がでかでかとアピールされていた。そうか、笠智衆さんはこの町の出身なのかと感慨深い。実は笠さんのファンで、あのじいさんぶりが何とも心にしみる。

古くは小津安二郎監督の「東京物語」の広島から東京の息子のところに遊ぶに行くお父さん、山田洋次監督の「家族」の九州から北海道へ息子のせいで仕方なく移住するおじいさん、寅さんシリーズの御前様、どれも何とも味わい深い役者さんだった。

〈天水町名誉町民 笠 智衆〉

〈小津安二郎監督 麦秋〉

〈なぜか懐かしのミゼットが〉

〈日本映画史上不朽の名作 二十四の瞳〉

〈おなじみ「男はつらいよ」全作品のDVDを持っている〉
馬刺し

 馬刺しを始めて食べたのは大学生の時だった。友達に川崎の居酒屋でだまされたと思って食ってみろと言われて、イナゴの佃煮ともども食べてみた。どちらも生前の姿を想像すると食欲が起きないのだが、食べてみたらうまかった。

熊本では馬肉は、桜肉とか蹴とばし等といわれ、戦前から庶民の食べ物だったらしい。広大な阿蘇山麓の放牧地は軍馬の生産地であった為、牛や豚より安価な馬肉を求めたのだそうだ。馬肉が料理屋で提供されたのは昭和30年代といわれ、今では脂肪分が少ない上に身体も温まり、コレステロールの心配がないと全国で食べられている。
ということで、弟が馬刺し専門店によって最高級の100g3500円という馬刺しを買った。ついでにたてがみも一袋。この最高級の馬刺しと先ほど買った辛子レンコンとで「社宅」で一杯やろうということだ。

〈馬刺し専門店〉
鯛生金山(たいおきんざん)

 弟が鯛生金山があるから寄って行こうという。なにそれ、聞いたことがないというよ感想だったが、大分県の中津江村にある有名な金山跡だった。

中津江村といえば、2002年のワールドカップでカメルーン選手への異常ともいえる歓待ぶりが有名になった村だが現在は日田市に編入合併されている。


〈かつての金山は地底博物館になっている〉
 鯛生金山は明治時代に発見された金鉱山で、最盛期の1934年(昭和9年)から1938年(昭和13年)にかけては年間産出量が佐渡金山を上回る2.3tに達した。昭和初期の全盛期には、全国から約3,000人の人が集まり、周囲には鉱山町が形成された。鉱山は1972年(昭和47年)に資源枯渇のため閉山された。現在は旧坑道の一部が地底博物館がとして、また周辺に家族旅行村などが設けられ、道の駅として整備されている。(ウィキペディアより抜粋)

竹下首相のふるさと創生で配られた1億円で金の鯛を作ったが盗まれた話を知らない?と弟は言うが、本当に知らなかった。当時は結構話題になったのだろう。地底博物館は年間を通して18℃ということで、半そででは寒かった。

〈これかもちろん本物ではないよ〉

〈今もカメルーンを応援している 村人の素朴さはすごいね〉

〈金山は閉山しても砂金採り体験ができる〉

〈東洋一の金山坑道 近代化産業遺産の看板が〉

〈江戸時代の佐渡金山と違って機械化が進んでいる〉

〈地下510mから巻上機で金鉱石を引き上げる〉

〈見る人が見れば金がどこにあるかわかるのだろう〉

〈明治から昭和初期までの採掘の様子が展示してある〉

〈シュリンケージ採鉱跡 もっとも金銀の含有量が多い〉

〈鉱石1トンの中に金20g 銀100gが含まれる〉

〈金のためならエンヤコーラ〉

〈矢印の先の黒い線が金鉱脈〉
 
〈しゃれたイルミネーションともちろんダミーだが1本欲しいぞ金のインゴットもある〉

〈こちらは明治時代の穿子(ほりこ)と手子(てこ)〉

〈夫婦で協力して掘って選別していたようだ〉

〈本当に盗られたらしい〉

〈いくらなんでも本物をさらしておいてはまずいだろう〉

〈あくまでもカメルーンを応援する中津江村の人々〉
 夕刻、鯛生金山を後にした兄弟は、大分県・福岡県をひた走り関門大橋を渡って山口県防府市まで戻ってきた。

今晩は、先ほど熊本で買った「辛子レンコン」と「最高級の馬刺し」と「たてがみ」を肴に弟の「社宅」で内食だ。
この鯛生金山跡は道の駅にもなっていて、野菜が安かったから大分名産のシイタケや、10個くらい入って100円の
ピーマンや、梨なども買ってきた。男二人でこれらを調理して食べたが、非常に美味であった。

明日からは、横浜に向かって徘徊の旅に出る予定だ。
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