平成23年8月3日(水曜日)〜8月6日(土曜日) 伊勢神宮〜那智の滝〜高野山
お伊勢参り

 今から17年前に鳥羽に家族旅行した時は、子どもがまだ小学生にもなっていなかった頃で、子どもにはつまらないだろうと伊勢神宮に参拝する機会を逸していた。

東海道五十三次や中山道六十九次を旅する庶民の大部分は、お伊勢参りのために長い距離を歩いていたのだから、弥次喜多道中としても一度はお伊勢参りに出かけておかなければ恰好がつかないところだ。
今年の夏休みはどこに行こうかと思案していたが、日本中で和歌山県だけ足を踏み入れていないので、伊勢神宮→那智の滝→高野山と日本の三大パワースポットとでもいうべき伊勢・南紀の旅へ出かけることにした。息子は一人旅に出かけるというので、喜多さんと娘の三人で車で出かけることにする。

〈日本の象徴 伊勢神宮へ出発〉

〈東名を豊川で下りて伊良子岬からフェリーに乗船〉

〈伊良子岬から鳥羽まで55分間で到着 らくちん〉

〈高速道路1000円施策でフェリーはどこも苦境に立たされた この伊勢湾フェリーも廃業の危機に〉

〈もうすぐ鳥羽港に到着 すぐとなりが鳥羽水族館なので娘のリクエストで立ち寄ることに〉
伊勢神宮外宮

 『豊受大御神(とようけおおみかみ)はお米をはじめ衣食住の恵みをお与えくださる産業の守護神です。今から千五百年前
に丹波国から天照大御神
(あまてらすおおみかみ)のお食事をつかさどる御饌都神(みけつかみ)としてお迎え申し上げました。
御垣内の御饌殿では、毎日朝夕の二度天照大御神に神饌をたてまつるお祭りがご鎮座以来一日も絶えることなく行われて
います。』・・・ということのようだ。


外宮には豊受大神宮の他に「多賀宮」「土宮」「月夜見宮」「風宮」があるが、いづれも古代のお社はかくやあらんと
思われる質素な造りで、二十年に一度遷宮されるから、同じ広さの敷地が隣にある。実際に見るとなるほどと納得。この
あたりが西洋の永遠を目指す思想と根本的に違うところだろう。

〈下宮には豊受大神宮(とようけおおみかみ)が祀られている〉

〈豊受大神宮は食物・穀物を司る神〉

〈神宮では御神体は見えない 屋根も苔むしているが2年後には新築のお社に遷宮される〉
8月4日 木曜日 伊勢神宮内宮へ

〈翌日皇大神宮(内宮)へ〉

〈宇治橋を渡る〉

〈神苑〉

〈五十鈴川は澄み切っている 手を洗って身を清める 江戸時代には川に入って全身を清めたそうだ〉

〈参集殿〉

〈皇大神宮 写真はここまで〉

〈皇大神宮は霊気に満ちている・・・ような気がする〉

〈神楽殿〉
皇大神宮〈内宮)

 天照大御神は皇室の御祖神(みおやがみ)であり、歴代天皇が厚くご崇敬になられています。また私たちの総氏神でもあります。約二千年前の崇神天皇の御代に皇居をお出になり、各地をめぐられたのちこの五十鈴川のほとりにお鎮まりになりました。二十年ごとに神殿をお建て替えする式年遷宮は千三百年続けられて来ました。

とのことで、やはり日本人は一度はお参りするべきところだ。

〈風日祈宮御橋(かざひのみのみやみはし)〉

〈お祭りの情報を得ていたので待って見学〉

〈神宮では年間千数百回ものお祭りがおこなわれているそうだ〉

〈宇治橋を渡りおかげ横丁へ〉
那智勝浦へ

〈那智の滝〉

〈さすがに迫力がある 落差133m〉

〈那智の滝は滝自体が御神体となっている〉

〈那智熊野大社への古道〉

〈三重塔と那智の滝〉

〈西国三十三所霊場の第一番札所 那智山青岸渡寺〉

〈熊野那智大社と足が3本ある八咫烏(やたがらす)〉

〈熊野古道 大門坂を少し歩く〉

〈しかし今日は歩く格好ではない〉

〈いつかちゃんと歩いてみたい熊野古道〉
熊野古道

 旧街道を歩く前から熊野古道は歩いてみたかったが、今回は娘も一緒だしほかに伊勢神宮や高野山も観光する予定だ。残念ながら歩くコンディションではない。

本日は勝浦駅前のビジネスホテルに泊るのだが、連絡船に乗って対岸のホテル浦島の風呂に入りに行くことにする。風呂は露天の『忘帰洞』ほか9つも源泉があるのだという。たっぷり入浴を楽しんだ。そのあとホテル内の居酒屋で夕食。ホテルの中の店にしては値段も良心的で非常にいい仕事がしてありおいしかった。喜多さんはイルカのお造りを注文していた。

〈ホテル浦島への連絡船〉
8月5日(金) 太地町〜白浜〜高野山へ

〈太地町はクジラの町 早朝なのでクジラ博物館も開いていない〉

〈イルカを追い込む入江 クジラやイルカを食べて何が悪い〉

〈串本市の橋杭岩 弘法大師と天邪鬼の伝説が残る〉

〈本州最南端 潮岬〉

〈波が打ちつける潮岬〉

〈地球は丸いことを実感〉

〈串本海中公園 この日は海が荒れて休館 波が通路を洗う〉

〈水族館のウミガメ〉

〈高野山へ向かう途中のあじさい園 8月だというのにまだこんなに咲いている〉

〈紀州の山々〉

〈今晩の宿房 一乗院 車は門をくぐって境内へ〉

〈金剛峯寺へ参拝 秀吉が亡き母堂の菩提を弔うために建立〉

〈門徒が集団で般若心経を唱えている〉

〈みごとな石庭〉

〈蟠龍庭 雄雌の一対の龍が表現されているのだというが・・・〉
霊宝館の仏像

 新別殿という大広間でお茶の接待を受け、お坊さんの説教を聞いた。毎朝、毎晩「私は怒らない、ねたまない、愚痴を言わない」と唱えて人間ができ、夫婦円満、会社でも人間関係が良くなった人の話だ。

その後『霊宝館』で高野山のお宝を拝観。600円の入場料であったが、ほとんど貸し切り状態で国宝、重要文化財の仏像などを見ることができた。東京の国立博物館などで見ようと思うと人の頭ばかり見ることにになってしまうが、ゆっくりと仏教美術を堪能した。
それにしてもこれだけ観光客がいるのに、こんなお宝を見ないで帰るのはもったいないね。

〈一乗院の庭 平安時代に開基されたという〉

〈江戸時代 狩野派絵師による襖絵と朝の勤行僧〉

〈一乗院 精進料理の夕食 すごくおいしい〉

〈精進料理の朝食 質素に見えるがおいしい〉

〈おいしく頂く〉

〈普賢菩薩像と文殊菩薩像 お宝らしい〉

〈奥の院へ参拝〉

〈薩摩 島津家墓所〉

〈山口 毛利家墓所〉

〈信州松本 水野家墓所〉

〈武田信玄 勝頼墓所〉

〈周防岩国 吉川家墓所 うちの殿様もいた〉

〈伊達正宗墓所〉

〈石田三成墓所〉

〈明智光秀墓所〉

〈長州萩 益田家墓所〉

〈このような歴史上の有名人の墓所が2kmも続く〉

〈長州 毛利家墓所 あれさっきもあったけど・・・〉

〈一番大きい墓石は江姫の墓所〉

〈ロケットは新明和工業〉

〈しろありの慰霊碑もある 日本人はやさしいね〉
奥の院

 まさか、石田三成や明智光秀など本当のお骨が眠っているわけではないだろう。大名クラスの墓ばかりではなく、一般の人の墓もたくさんあったが、どうしても高野山にお骨を収めてほしい人がいるのだろう。少し横道に入ると、忘れ去られた墓石が手入れされることもなく朽ち果てていた。やはりお墓は子孫がいなくなるとこうなってしまうのだろう。

姿見の井戸は覗き込んで顔が映らなければ、3年以内に死ぬのだという。試しに覗き込んでみたらちゃんと顔が映ったので、あと3年は大丈夫だ。

〈手入れされずに荒れ果てた墓石もある〉

〈顔が映らなければ3年以内に死ぬという姿見の井戸〉

〈弘法大師が腰かけたという石〉

〈高野山の入り口の大門〉

〈帰りに奈良を通って帰ったので石舞台に立ち寄る〉
 今回の旅は、日本最大のパワースポットをめぐる旅だった。
日本人の総氏神「天照大御神」が祀られる『伊勢神宮』、滝そのものが神様の『那智の滝』、
弘法大師が創建した『高野山』、いずれも訪れたことがなかった聖地だ。

多少はパワーをもらえたであろうか。
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