平成27年8月24日 月曜日 羽田空港〜宗谷岬〜稚内
ローカル線の旅 北海道・東北編 1日目

 JRの「青春18きっぷ」を使ったローカル線の旅を始めてから6年経つ。東海道を歩き始めたころに、そのような便利な切符があることを知って、世の中には情報不足で損してることが多いのだろうと思った。

今年の春には、山口の弟の家から佐世保・長崎・島原経由で鹿児島県枕崎市まで行き、帰りは宮崎空港から飛行機で帰って来るという「ローカル線の旅九州編」を敢行した。

今回は、まったく逆の日本の最北端まで飛行機で飛び、5日間かけてまだ乗っていないローカル線を乗り継いで横浜まで帰ってくる計画を立ててみた。

わずか半年足らずで、日本の最南端と最北端のJRの駅を制覇するというささやかな満足感を得る旅だ。

〈羽田空港第2ターミナルはそんなに混んでいない〉

〈稚内はあまりに遠いのでANAで一気に飛ぶ 東京湾の向こうにはスカイツリーも見える〉
稚内に到着

 さすがに飛行機は早く、10時半に羽田を定刻に出発したANA571便は、12時15分ころには稚内空港に到着した。

12時50分に出発する宗谷岬経由、稚内フェリーターミナル行きのバスは一律2,000円だ。宗谷岬まで40分程度、宗谷岬では観光時間を40分ほどとって待っていてくれる。その後1時間近くかけて、JR稚内駅経由でフェリーターミナルまで運行の観光バスだ。

観光バスだから、運転手さんは「左にトドの群れが見えます」とか、「右に鹿がいます」とか案内してくれる。

飛行機で隣に座った若い女性も一人旅のようで、このバスでも稚内駅でも顔を合わせた。バスに乗ったのは12〜13人。おじさんの一人旅3人、若い女性の一人旅4人、おばさんの3人組、ペア一組で、圧倒的に自分を含めて一人旅が多いのであった。

〈稚内空港に到着 宗谷岬行バスに乗り込む〉

〈北海道の最北の地宗谷岬 ローカル線の旅は稚内から始まる〉
 
〈バスは宗谷丘陵をゆっくりと走る 丘陵には草を食む牛が見える この海はまだ日本海なのだろうか 小さくて見えないがトドの群れが〉
 
〈穏やかな宗谷丘陵 冬には厳しい寒さが来るのだろう〉
宗谷岬

 日本政府の実効支配の及ぶ範囲で、一般人の行く事のできる日本最北端の地である。

日本政府が領有権を主張する範囲における最北端の地は、北方領土・択捉島にあるカモイワッカ岬であり、また、現在日本政府の実効支配が及ぶ範囲における日本最北端の地は、宗谷岬の西北西の沖合い1kmに位置する弁天島という岩礁である。

〈ウィキペディアより抜粋〉

ということで、本当の意味での日本最北端の地ではないようだが、細かいことは言わないでおこう。観光でやってこれる最北の地はここなのだ。

〈このバスの行きの終点は宗谷岬だが全員宗谷丘陵で降りる〉
 
〈宗谷丘陵 祈りの塔と日本最北端が売りの食堂 間宮堂〉

〈あけぼの像 北海道の牛乳生産量100万トンを突破と、飼育乳牛50万頭突破を記念して、昭和46年(1971)に建てられた〉

〈欧州人で初めて宗谷海峡を通過し、同海峡の国際名にその名を残すフランスす海軍の軍人・探検家のラ・ペルーズを顕彰する碑〉

〈宗谷海峡を望む日本最北端の碑〉
 
〈大岬 旧海軍望楼 宗谷海峡における日露の緊張の高まりに明治35年(1902)宗谷岬に望楼を設置〉

〈宗谷丘陵から望む宗谷岬 岬は丸い〉
 
〈平和の碑 昭和18年(1943)ここ宗谷岬の沖合で日米の5時間に及ぶ戦いが繰り広げられた 日米ともに多数の犠牲が〉
 
〈宗谷海域海軍戦没者慰霊碑 昭和20年(1945)7月アメリカ海軍潜水艦の魚雷攻撃から連絡船「宗谷丸」を守るため身代わりとなって爆沈した第112号海防艦乗組員の慰霊碑〉
 
〈間宮林蔵は1809年に間宮海峡を発見して樺太(現サハリン島)が「島」であることを確認 この発見は当時の世界地図の空白を埋める大事業であった〉

〈日本最北端の地碑〉
 
〈北極星を象徴した三角錐をデザイン 中央のNは北を 台座の円形は平和と協調をあらわしているのだそうだ〉

〈九州地方は台風で大変らしいが天候に恵まれた〉

〈キタキツネが悠々と横切る〉

〈宗谷岬音楽碑 宗谷岬という歌があるらしいがたぶん聞いたことはない〉

〈最北端到達証明書を100円で売っているが中学生ではないので買わない 横の売店でホタテ焼き450円を食べた〉

〈ノシャップ岬35km サハリン43km 北方4島早く返せ!!!
 
〈日本最北端の線路 北と南の始発・終着駅 稚内⇔枕崎の看板が 枕崎は3月に訪れた〉

〈日本最北端の駅 稚内駅〉

〈レンタサイクルを探したがないのでノシャップ岬まで歩く〉
 
〈稚内のホテルに荷物を置き約5kmを歩く 宗谷湾を行くのは利尻島へのフェリーだろう 昆布を干す敷石が続く〉


 
〈稚内灯台 北海道一高い灯台 明治33年(1900)点灯 全国で2番目に高い灯台なのだそうだ〉
ノシャップ岬

 野寒布岬(のしゃっぷみさき)は、北海道稚内市ノシャップにある岬、「ノシャップ岬」とカナで表記することも多い。日本海から宗谷湾を区切る。

岬の最北端には稚内灯台があり、晴れた海霧の立たない日には利尻島(利尻富士)、礼文島が望める。灯台の南西よりにある恵山泊漁港公園には「ノシャップ岬の碑」の他、「イルカのモニュメント」が設置されているが、これはイルカが宗谷海峡を通過したという昔話に基づいている。灯台・漁港公園に隣接して稚内市立ノシャップ寒流水族館、青少年科学館、みやげ物店などが居並ぶ。

読み方が似ている納沙布岬は根室市にある北海道本島最東端の岬である。(ウィキペディアより抜粋)


〈稚内にノシャップ岬 根室に納沙布岬 知らなかった〉

〈ノシャップ岬恵山泊漁港公園から利尻富士を望む〉
 
〈利尻島は富士山の裾野から山頂までが島になったような形をしている 霧でめったに見られないのだそうだ〉
 
〈普通灯台は白く塗られているが雪で見えなくなるため赤と白に塗り分けてあるのだそうだ〉

〈航空、陸上、海上自衛隊の情報本部の分遣班が共同使用 実力部隊は配備されておらず、通信の傍受や宗谷海峡での船舶監視などを主な任務としている〉
 
〈漁船の船体に「宗たこ○○号」とか「ホクかに刺○○号」とかあるので漁の対象は船ごとに決まっているのだろう〉
 
〈稚内港北防波堤ドーム 稚内港の防波堤としての役割および、桟橋から駅までの乗り換え通路を兼用するため、昭和6年(1931)から5年間をかけて建設された〉

〈北海道と樺太を結ぶ鉄道連絡船(稚泊連絡船)の桟橋など港湾施設の保護および、桟橋を利用する乗客の便宜のために作られた〉

〈建設後、稚内駅からドームの手前まで国鉄の線路を延長し、同駅の構内仮乗降場扱いで「稚内桟橋駅」が開設された〉

〈終戦を迎えたことから稚泊連絡船は消滅し、これとともに稚内駅から桟橋駅に続く線路も消滅した〉
稚内

 地名の「わっかない」は、アイヌ語で「冷たい飲み水の沢」を意味する「ヤム・ワッカ・ナイ」に由来する。

日本最北の市で、宗谷総合振興局の所在地である。松前藩が宗谷場所を開設した江戸時代初期以降、港湾として恵まれた地理条件を備え、良質な魚場に恵まれたため漁業の街として発展した。

江戸時代中期頃からは国防上の北の要衝として重視されている。日露戦争後には樺太(現在のサハリン)航路を開設、大正時代には鉄道建設も行われ、旭川以北最大の都市となる。

戦後、北洋漁業基地としてさらに発展するが、旧ソ連の排他的経済水域設定後は、基幹産業である漁業が衰退し人口減少が続いている。

(ウィキペディアより抜粋)

〈稚内駅に戻ってきた あちこちで最北端をアピール〉
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