■五街道
 江戸時代の5つの主要道路のことで、いずれも江戸日本橋を起点としていた。
慶長6年(1601)に徳川家康が全国支配のために江戸と地方を結ぶ5つの街道の整備を始め、
四代将軍家綱の代になって基幹街道に定められた。

万治2年(1659)以降は、新たにに設置された道中奉行の管轄に置かれ、五街道の正式名称が定められたのは
享保元年(1716)である。
現代の国土交通省の管轄のもと、「国道」や「道の駅」が整備されるようなものだろう。

五街道には、一里ごとに「一里塚」が設けられ、宿駅が整備された。
参勤交代のときなどに大名クラスが泊まる「本陣」、それに次ぐ「脇本陣」や庶民の泊まる「旅籠」が整備された。
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街道名 終点 宿場数 距離 沿線の主な鉄道 沿線の主な国道
東海道 京・三条大橋(注1) 53 約495km 東海道本線、名古屋鉄道、関西本線、草津線 15号線、1号線
中山道 京・三条大橋(注2) 69 約535km 高崎線、信越本線、中央本線、東海道本線 17号線、18号線、142号線、20号線、19号線、21号線、8号線、1号線
甲州街道 下諏訪 44 約219km 京王電鉄、中央本線 20号線、411号線、52号線
日光街道 日光坊中 21 約144km 東武伊勢崎線、東武日光線 4号線
奥州街道 陸奥白河(注3) 27 約233km 東北本線 4号線、293号、294号、461号
他に県道25号、48号、72号、74号、114号、125号、181号など
(注1)伏見・淀・枚方・守口の4宿を加えて57次とする説もある
(注2)草津〜京・三条大橋までは東海道と同じ道
(注3)日本橋から宇都宮宿までは日光街道と同じ道
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