平成22年 7月9日(金)〜11日(日) 網走〜知床〜釧路湿原の旅
 
〈ラッキーなことに霧の摩周湖を見ることができた〉                              〈摩周湖の近くで出会ったキツネ 逃げない〉
 番外編だが北海道の写真も載せておく。

女満別空港に無事に着いた弥次喜多道中+平塚母は、さっそくレンタカーで屈斜路湖と摩周湖へ向かう。美幌峠では想像を絶する霧で、さすが「霧の摩周湖」というだけのことはある。

しかし日頃の行いが報われたのか、「摩周湖」に着いたらなんと晴れて湖面が見えるではないか。
中央の島は火山の頂上で、噴火の後空洞になったところに山が落ち込んで水がたまったカルデラ湖なのだそうだ。

摩周湖を出発してすぐ、車道を悠々とキツネが歩いていたのでカメラに収める。興味深そうに弥次さんを見つめて全く逃げようとしない。さすがに北海道の野生動物は違う。


この後は、硫黄山経由で網走に戻り網走監獄を見学。

〈川湯 硫黄山 地面が熱い〉

〈硫黄が噴出する〉

〈網走の定番 網走監獄を見学〉

〈網走監獄に移送される囚人〉

〈囚人と一緒に食事?〉

〈放射状の獄舎と監視所〉


〈零下20℃でも暖房は廊下だけ〉
二日目 小清水から知床へ

〈どこまでも続くジャガイモ畑〉

〈小清水原生花園 オホーツク海の向こうは知床半島〉
 残念なことに2日目も天気がいまいちだ。

それでも予定通り小清水原生花園に立ち寄ってから、知床クルーズ船に乗り込む。喜多さんと二人だけなら知床五湖のトレッキングもよいのだが、今回は母親のために来たのでなるべく歩かないで済むところを選ぶ。

晴れていればもっと知床の景色を堪能できたのであろうが、知床半島の山々は雲に隠れてほとんど見えない。


観光船からおりて知床峠経由で羅臼に向かう。
道路のすぐわきでエゾシカが一心に食事中だ。横浜から来た旅人はカメラを向けるが、地元では珍しくもないのだろう。テレビのニュースで羅臼の町中にエゾシカが出現して困っていると言っていた。

硫黄山のレストランでは、喜多さんはエゾシカのハンバーグカレーを注文していた。

〈ウトロのゴジラ岩〉

〈知床観光船 オーロラ号〉

〈カムイワッカの滝〉

〈エゾシカが食事中〉

〈地元の人には珍しくもないのだろう〉
 しれ〜とこ〜の岬にはまなすの咲くころ〜

と、加藤登紀子の歌う「知床旅情の歌」が流行ったのは、弥次さんが中学か高校生のころだったと思う。どちらかというと森重久弥の歌のほうが味があって好きだったが。

あの頃は、大きなデイパックを背負った髪の長い若者がたくさん跋扈していたのだろう。今にして思えば、金はなくても貧乏旅行をしてみればよかった。
その思いを胸に知床に来てみればこの濃霧、残念。

はる〜か国後に白夜は〜あける〜

の歌とともにロシアに不法占拠されている「はるか国後」を見たかったのだが、それもかなわない。

〈知床峠は濃い霧の中〉

〈阿寒湖畔のアイヌコタン〉

〈アイヌコタンのゲート〉
釧路湿原をノロッコ号で走る

 最終日の今日は、釧路駅からノロッコ号に乗って釧路湿原を走る。

途中阿寒湖畔のアイヌコタンに寄り、多少の土産を買う。弥次さんは子ども二人に鹿の角のストラップを買ったが、喜多さんはどうしても「毬藻」を買うのだそうだ。
瓶の中に3個のマリモが入って1000円なり。

本物は天然記念物なので買えないが、ロシアの養殖ということだった。家に帰ってから喜多さんはこれは作りものに違いないという結論に至って怒ること。

ま、みやげ物というものはそんなものだろう。

〈釧路湿原ノロッコ号〉
 
〈カヌーでの川下りは気持ちよさそう〉
 
〈前日の大雨で釧路川も濁っている〉
 釧路フィッシャーマンワーフで「花咲ガニ」を購入。氷詰めにしてもらい、持って帰ることにする。
釧路空港にレンタカーを返し、釧路空港を飛び立って3時間後には、羽田空港に駐車していた車で平塚の母親の家に着いた。

飛行機はさすがに早いよね。いつもの歩く旅では10kmを進むのがやっとだけどね。
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