平成29年5月8日(月)~11日(木) ローカル線の旅 四国編
 
   
シルクロード

 コムラード・マンドリン・アンサンブルに参加させて頂き、7月16日(日)2000人以上入る、「府中の森芸術劇場 どりーむホール」で鈴木静一の交響的大幻想曲「シルクロード」を演奏できることになった。全八楽章、50分に及ぶ大曲でその第三楽章が「緑の都 サマルカンド」だ。母親の形見代わりに平山郁夫さんの「月下シルクロードを行く」というリトグラフを買ったこともあり、盛り上がりついでに、シルクロードのサマルカンドを見に行くことにした。

サマルカンドは、中央アジアのウズベキスタンにある都市で、青いタイルが美しいことから「青の都」とか「シルクロードの真珠」と言われてきた都市なのだそうだ。

〈羽田から松山空港へ〉
   
ついていない

 4月18日の出発日を目前にして、ウズベキスタンは生水が飲めないというからサントリーの天然水を大量に買った。脂っこいナンと羊肉料理が多いというから、、軟弱な胃のために非常食用のおかゆやカップヌードルも用意した。

お湯も出ないホテルがあるというから、世界中で使える湯沸かしも買ったし、スマホを充電するために日本では見慣れないヨーロッパCタイプのプラグも買った。


集合が朝8時半と早いので成田のホテルも予約し、あとはウズベキスタン航空の飛行機に乗り込むだけと思っていたら義母が風呂で転んで救急車で病院に運ばれたという。

〈平山郁夫さんの代表作「月下シルクロードを行く」〉
   
泣く泣くキャンセル

 さすがに、けがの母親を放っておいて海外旅行に出かけるわけにいかないので、直前で旅行会社にキャンセルの電話を入れた。ま、縁がなかったということだろう。

母親は幸いにも骨に異常はなく、その後の経過も順調な様子なので、もともと春に行こうと予定していた「ローカル線の旅 四国編」に一人で出かけることにした。


こういう時のためにANAの株主になっているので、直前でも半額で飛行機を利用することができる。特に四国の路線は新幹線と競合しないので、早割の割引率も強気なのだ。

〈松山空港に向かう 下界の南アルプスは絶景〉
   
松山~内子~宇和島

 羽田9:30発松山行きのANA585便は約10分の遅れで出発した。JR松山駅でJR四国と土佐くろしお鉄道のグリーン車が4日間乗り放題の「四国グリーン紀行」を買う予定だが、事前に立てたスケジュールでは松山駅で10分しか余裕がない。

しかし、松山空港には5分遅れ位で着き、バスは定刻に出たので予定通りJR松山駅に11:30に着いた。今回の旅は四国のローカル線を乗りつぶす目的なので、内子線にも乗るために、とりあえず予讃線で伊予大洲を目指す。

〈11:40発 予讃線で松山駅から伊予大洲へ向かう〉
   

〈松山駅のとなり市坪駅の坊ちゃんスタジアム 正岡子規にちなんで(野球 の・ボール)の表記が〉
   

〈駅のホームの目の前には伊予灘が広がる予讃線下灘駅 瀬戸内海の向こうは周防大島(山口県)だ〉
   

〈北海道と同様、四国のローカル線も乗客が少ない この日は平日の昼間だがたったの4人〉
   

〈JR予讃線は次の伊予長浜から伊予灘を離れ山間部に入る〉
   

〈内子線にも乗るために伊予大洲で特急宇和海16号に乗り換える〉
   

〈単線のため内子駅で12分の通過待ち〉
   

〈内子駅で特急宇和海の通過を待って伊予市へ向かう〉
   

〈向井原~新谷間のJR内子線も乗りつぶすために伊予市までを往復する〉
   

〈伊予市駅からもう一度内子駅へ向かう〉
   

〈高架の下のこじんまりとした内子駅 隣の観光案内所で観光用の地図をもらう〉
   

〈内子駅前にかっこいい蒸気機関車が〉
   
内子町並保存地区

 「町並み保存地区には江戸時代後期から大正時代にかけて建てられた町屋や豪商の屋敷が軒を連ねています。懸魚(げぎょ)、鏝絵(こてえ)、出格子(でごうし)、鳥衾(とりふすま)などの意匠が見られるほか、淡い黄色の漆喰で塗りこめられた重厚な大壁や平入りの建物が特徴で、家と家との間には「せわだ」とよばれる小道や水路があり、大壁や石積みと相まって独特の路地空間を現出しています。」(案内パンフ)

ということで、今まで東海道の関宿や、中山道の妻籠宿など、古い街並みを地域ぐるみで保存してきた宿場を歩いてきたが、伊予にも阿波の美馬地区同様古き良き時代を感じさせる街並みが残されていた。

〈内子町並保存地区〉
   

〈まず重要文化財「内子座」に立ち寄る〉
   

〈入場料400円を払って中に入ってみる〉
   

〈なんでも鑑定団の収録もここで行われたそうだ〉
   
内子座

 この木造劇場は、木蝋や生糸などの生産で栄えていた時代、芸術・芸能を愛してやまない人々の熱意によって建てられた。 農閑期には、歌舞伎や文楽、また時には映画や落語などが演じられ、この劇場は当時の人々の心の糧、文化的な拠り所として愛された。その劇場名を「内子座」という。

内子座は、大正5年2月(1916)、大正天皇即位を祝い創建。木造二階建て、瓦葺き入母屋造り。ホールとして活用後、老朽化のために取り壊しになるところを、町民の熱意により復元。昭和60年10月、劇場として再出発。現在では年間5万人の人々が訪れ、60日近くを劇場として活用されている。定員は650。
(内子座パンフより〉

〈風情のある客席〉
   

〈舞台の袖には義太夫席が〉
   

〈客席の二階正面にある低料金の席を大向(おおむこう)という 常連や劇通が多いので「大向をうならせる」とは芝居が上出来のこと〉
   

〈内子座を出て街並みを散策 ビジターセンターは元警察署だった建物らしい〉 
   

〈当時の薬屋さんを復元〉
   
 
   

〈重要文化財 本芳我家住宅〉
   

〈本芳我家は庭のみ一般公開している〉
   

〈車で来た場合はこのあたりから町並保存地区散策をスタート〉
   

〈虫籠窓の家〉
   
 
〈重要文化財 木蝋資料館上芳我邸〉
   

〈重要伝統的建造物保存地区を小学生が下校する〉
   
内子の木蝋

 『明治時代半ば、内子町が全国木蝋生産高の30%を占めるまでになった木蝋産業。その製蝋町としての佇まいを今に伝える重要文化財上芳我家住宅は、地場産業と住宅のかかわりを示す貴重な遺構です。』ということのようだが、木蝋資料館には立ち寄らなかった。

木蝋
(もくろう)とは、ハゼノキの実から絞り出た植物油のことをいい、搾ったままの状態を「生蝋(きろう)」、さらに精製し乳白色になった「白蝋(はくろう)」または晒蝋(さらしろう)」を総称して「木蝋」と呼び、当時は、鬢付け油や織物のつや出し、軟膏類などに使われました、とあるが、いずれにしても過去の栄光だ。

〈内子駅に戻って宇和島をめざす〉
   

〈地方のローカル線はほとんどが一両編成だが派手なラッピングが多い〉
   
宇和島

 JR予讃線の特急終着駅である「宇和島」には、特急宇和海21号で18時前に着いた。

2年前には宇和島城にも行ったので、今回は特に観光もしない。宇和島駅前の「宇和島ターミナルホテル」にチェックインし、駅前の商店街を散策してみるが、ほかの地方都市と同様ほとんどの店がシャッターを下ろし寂しい限りだ。

明日は、JR予土線と土佐くろしお鉄道を乗り継いで高知まで行く予定だ。

〈宇和島駅〉
   
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