〈7日目 最終日〉平成28年9月30日 金曜日 晴れのち曇り 鹿沼宿~文挾宿~今市宿追分
   
 
   
宇都宮

 宇都宮宿は日光道中の通過点だ。ごく最近のような気もするが、HPを振り返ってみると、日光道中の宇都宮宿を歩いたのは、雀宮宿から宇都宮宿まで平成25年9月29日、宇都宮宿から今市宿まで歩いたのは同年12月13日のことだった。あれから3年も経ったとは・・・

前回は宇都宮には泊まらずに日帰りで歩いたが、今回は喜多さんも一緒なので宇都宮駅前のチサンホテルを予約した。喜多さんはサンマの塩焼きが食べたいと言ったが、海のない栃木県でサンマもないものだろうと、ホテル近くの居酒屋で、焼き鳥や餃子でビールを飲んで、翌日の20kmに備える。

  

〈ホテルの9階から見た宇都宮駅〉
   
鹿沼宿

 昨日は鹿沼宿で歩き終え、JR鹿沼駅まで歩くつもりであったが、予想外に距離があり途中で乗ったバスがたまたま宇都宮駅行きであったこともあり、630円を払って鹿沼~宇都宮をバスで移動した。

テレビ東京の「ローカル路線バスの旅」のファンで、太川陽介とブラック蛭子のバス旅をもれなく見ているが、とてもまねできそうにない。街道歩き旅以上の忍耐力が必要だ。
意外にかかった時間とバス代に懲りて、本日は予定通り宇都宮~鹿沼間はJR日光線で移動。わずか15分、210円で到着だ。さらに鹿沼駅から鹿沼宿までの1.5kmはバスで100円だった。

〈JR鹿沼駅からバスで例幣使道に戻る〉
   

〈鹿沼宿の壬生街道(例幣使道)で日光に向かう〉

〈石をくりぬいて作ってある道標〉
   

〈高野山真言宗朝日山宝蔵寺〉

〈弁財天 この道筋は意外と神社仏閣が少ない〉
   

〈古民家だがよく見ると不動産屋さんだった〉

〈延命 塩なめ地蔵尊 松源寺 塩なめ地蔵は全国各地にあるようだ〉
   

〈黒川を渡って左折 日光方面へ〉
   

〈やっと杉並木らしき風景が〉
   

〈かぬま特産物・農産物 例幣使街道直売所〉

〈直売所にはオリに入った熊のはく製が〉
   
環境とエネルギーについて

 この日光例幣使道を歩いているだけで、広大な敷地に設置されたソーラーパネルを何度も見かけた。「ソーラーパネル設置反対」の看板も見かけた。

福島の原発事故以来、自然エネルギーを利用する発電が注目されているが、やはり効率と安定性を考えると不安が残る。現実問題として、ソーラーパネルが新たな公害をもたらしているケースもあると聞く。
いずれにしても落ちない飛行機はないし、沈まない船もない。極力落ちないよう、沈まないよう工夫して原発も利用していかざるを得ないだろう。

〈ひまわりをかたどったソーラーパネルが〉
   

〈やっと杉並木の例幣使道を歩ける〉
   

〈鹿沼こんにゃく 中條商店 一休みさせてもらった〉

〈例幣使街道 日光20kmの標識が〉
   

〈例幣使杉並木街道 並木寄進碑〉
   

〈このあたりは側道にちゃんと歩道が整備されている〉
   

〈天気も良く気温も快適 気持ちよく歩く〉
   
救急車を呼ぶ

 JR文挾駅を通り過ぎようとしたら、道の脇でうずくまっているおじさんがいる。木の枝を持っていたので何か掘っているのかと思ったが、立ち上がろうともがいていたらしい。喜多さんは熊がうずくまっているかと思った、と言っていた。それくらいかぎりなくホームレスに近いいでたちに思われた。

大丈夫ですかと声をかけたが、要領を得ない。救急車を呼びましょうかと聞くとかろうじてうなずいたので、スマホで119番し、状況を伝えた。そうこうするうちに、車で通りかかった近所の人や、たまたま通りかかったという消防の車が来てくれた。しばらく救急車を待ったが、こんなにたくさん地元の人がいるのだから大丈夫だろうと、失礼して続きを歩くことにする。

〈JR日光線 文挾駅〉
   

〈文挾町 二荒山神社〉
   

〈文挾宿郷倉 江戸末期に栗材で建てられた〉

〈飢饉で餓死者や倒産の家が多発、不作の時に困らないよう貯穀した〉
   

〈岩見重蔵の碑とあるが・・・ この辺りでは水が地表を流れるが地下水となっているところが多い〉
   
 119番に救急車を依頼すると、警察にも通報されるらしく、スマホに栃木県警から電話がかかってきた。発見した時の状況を教えてほしいという。「座ってましたか、倒れてましたか」というから、「倒れてましたよ」「酒の匂いはしませんでしたか」と聞くから、「そんなに近寄らなかったのでわかりません」、「何というか・・・横浜から来てますが、横浜だったら浮浪者に間違われるような風体だったので・・・」と言ったら納得したようだ。

また、お尋ねすることがあれば連絡さしあげますと言っていたが、それきり連絡もないので事件性もないと判断したのだろう。
中国では、うかつに人助けすると逆に乱暴されたとか、物を取られたとか訴えられることがあるという。いやな国だね。

〈先ほどのおじさんを乗せた救急車が行く〉
   

〈歩道がだんだんと整備されていなくなり、ズボンには寄生雑草がびっしり〉
   
板橋宿

 板橋宿といえば、中山道の最初の宿が有名だが、この宿も板の橋がかかっていたのだろうか安易な宿場名だ。ここまでJR日光線と並行して歩いてきたが、この先で左折し雰囲気の残る旧道に入る。右は国道121号線で日光市街や日光宇都宮道路の土沢ICに通じるとあるから、ほとんどの車は右折していく。

歩き旅の弥次喜多道中は、車のほとんど通らない例幣使道をわがもの顔で歩く。
この道路は車の通行も少ないせいか、側道も歩道が整備してなく、片側にわずかに広く取ってある歩道を歩くしかないのだが、車の通行が少ないので全く支障はない。
 

〈板橋宿から左の旧道に入る〉
   

〈お~ いい雰囲気の例幣使道だ〉
   

〈丸い石の石垣は東海道金谷宿や島田宿でも使ってあった〉
   

〈白いキノコがびっしり さすがに無視〉
   
 
   
  
   
 
〈地震坂 昭和24年大地震の地滑りにより杉並木が移動した坂 別名地滑り坂〉
   

〈この先の蕎麦屋さんで昼食と休憩 湯葉そばを食べておばさんと談笑〉
   

〈例幣使街道 室瀬一里塚〉
   

〈左:杉の大木の根が石垣に食い込む 右:4本の杉が1本になろうとしている〉
   

〈さあ、もうすぐ終点の日光道中との追分に着く〉
   

〈平成26年1月4日に通過した追分地蔵尊に再び到着 道中の無事を感謝する〉
   

〈右が歩いた日数は7日間であるが1年8か月もかかってしまった例幣使道 左は日光道中〉
   
 例幣使道を歩き終えて、車の置いてある東武下今市駅方面に向かっていたら、うしろから「うらやましいね~」と
いう声が聞こえてきた。地元の60代後半と思われる女性が「夫婦で歩けるとはうらやましい」 「うちは誘っても全く
ダメ」「70過ぎても働いているけど、どこか歩きに行こうなど考えもしない」などと愚痴をこぼされる。


たしかに弥次喜多道中は、似たような価値観で二人して街道歩きを続けてこられたおかげで、旦那は一人でゴルフ、
奥さんは友達と旅行というような、世間にありがちな関係ではないのでリタイア後も楽しく過ごせている。
うらやましいと思われる関係をいつまでも続けられれば幸いなのだが・・・・・
   
 
   
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