〈3日目〉 平成27年5月16日 土曜日 曇り時々雨 八木宿〜梁田宿〜天明宿 | |
ビジネスホテル 8年前に街道歩きを始めるまで、ほとんどビジネスホテルに泊まることなどなかった。 出張もほとんどない仕事だったし、会社の規定では出張の際の宿泊費は10,000円まで認められていた。出張先に10,000円以下のホテルがない場合は領収書さえあれば、それ以上でも認められたからいわゆるシティーホテルに泊まることが多かった。 |
〈街道歩きではおなじみのホテルルートイン〉 |
自腹で泊まるには、昨今のビジネスホテルの数の多さと料金は本当にありがたい。今回泊まった ホテルルートイン足利第二も、前日ネットで予約したが、朝食付きでひとり4,450円、しかもルート インは大風呂を設置しているので、部屋の狭いユニットバスと違ってくつろげる。もっと田舎に行け ば、3,000円前後で泊まれるこぎれいなビジネスホテルもある。旅好きにとって大きな味方だ。 |
|
〈ようこそ八木節のふるさとへ〉 |
〈旧例幣使道八木宿本陣跡〉 |
〈例幣使そば 荒川屋 まだ開いていない〉 |
|
〈八木節会館があった〉 |
〈旧日光例幣使街道八木宿碑〉 |
〈上州名物やきまんじゅう 助平屋 ここも朝早すぎて開いていない 助平とは「好き」の変化した「好け」を擬人化したものだそうだ〉 |
|
〈相変わらず多い麦畑 歩き疲れたらバスもと言っていたが1日2便だけ〉 |
|
〈ついに雨が降り始めた〉 |
〈例幣使街道の文字はあちこちで見かけるが・・・〉 |
〈川崎橋のかかる渡良瀬川を渡る 河川敷はゴルフ場になっている〉 |
|
〈渡良瀬川の水量は少ない もとの例幣使道あたりは歩いてでも渡れそうだ〉 |
|
〈足利市重要文化財 日光例幣使道道標〉 |
〈正面に日光道・佐野道 左面に江戸道・館林道、右面に善光寺道・太田道〉 |
〈こんなところに俳優座劇場の倉庫が〉 |
〈地図通りに行くと川で分断されている〉 |
〈仕方ないので県道の橋を渡って佐野市に入る〉 |
〈ここが佐野市側の旧道跡 喜多さんは川を渡りたがっていた〉 |
〈道の脇にカラスの子どもが・・・〉 |
〈見上げると電線にカラスの巣が あそこから落ちたようだ〉 |
〈700年前に始まったという芦畦(あしくろ)の獅子舞〉 |
〈めったに見ない常夜灯があった〉 |
〈例幣使は221年にわたってこの道を日光東照宮に幣帛を奉納するために行列を組んでいたのだ〉 |
|
〈両毛線の踏切を越える 車両は東海道線のお古みたいだ〉 |
|
〈もうすぐ本日の終点天明宿〉 |
〈旧道は右に〉 |
佐野ラーメン 麺:竹を使って麺をうつ、青竹打ちの平麺が特徴。これは青竹に脚をかけ、竹之下に麺の材料となる練った小麦粉の塊を置き、体重をかけて伸ばしていくというもの。麺はコシが強く、太さは中太から細麺、平打ちなど店によって異なる。スープ:コクのある醤油味が特徴とされるが、店によって鶏がらであったり豚骨であったり、東京ラーメンに近い透き通った醤油スープ、醤油が若干入った塩ラーメンのようなもの、味醂で甘味を付けたものが存在する。具材:具材についてはチャーシュー、刻み長ネギ(白ネギ)が入ることが多い。(ウィキペディアより抜粋)ということで、何度も食べた佐野ラーメンだがあっさり系の醤油ラーメンだ。 |
〈ちょうどお昼なので佐野ラーメンを〉 |
〈例幣使道のすぐ近くに佐野厄除大師があったので立ち寄る) |
〈さの丸 「ゆるきゃらと思えば愛し肥えた妻」という川柳があった) |
〈今年は家康没後400年らしく日光のある栃木県は盛り上がっている〉 |
|
〈昭和30年生まれは前厄だそうだ〉 |
〈こんなものは信じないが喜多さんは厄除けのお守りを購入〉 |
〈それでも一応お釈迦様に甘茶をかけて拝んできた〉 |
|
〈商売上手な佐野厄よけ大師だが人間だれしも災厄はよけたい〉 |
|
ポータルサイトに戻る | |