奥州道中〈3日目〉 平成26年6月3日 火曜日 晴れ時々曇り 大田原宿〜鍋掛宿〜越堀宿〜芦野宿
大田原宿続き
 昨夜はホテルの1階にあるレストランで食事をして、レジでお金を払おうとしたら、ライターを2個50円で売っていた。

タバコをやめて10年近くなるので、ライターにはもう用はないのだが、平塚の母親が軽い力でも点けられるライターを探しているのを思い出した。


〈三日ぶりの朝のコーヒー でも薄すぎて自分で入れるコーヒーのほうがうまかった)
 子どものいたずらで火災が多発して以来、ライターはかなりの力で押さなければつかないように改善されて
いる。母親は仏壇のロウソクや線香に火をつけるのに苦労しているらしい。横浜でかなり探し回ったが、昔の
タイプのライターはどこにも売っていなかった。レジのおばさんに聞けばこれは昔のライターで、軽い力でも
つくライターらしい。さっそく2個50円で購入して、喜多さんに連絡すると二度と手に入らないかもしれない
から、もっと買ってきてという。再びレストランに行って2個追加で買ってきた。
   

〈芦野まで22km 大田原信金前の那須与一像)

〈旧奥州道中 大田原宿 金燈籠 戦争末期の金属供出で姿を消したとある 今は再建されている〉
奥の細道 元禄二年

 月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらえて老いを迎うる者は、日々旅にして旅を住処とす。古人も多く旅に死せるあり。余もいずれの年よりか、片雲の風に誘われて、漂泊の思いやまず。


〈高校1年の夏の補習で奥の細道をやったがあのころはなんのこっちゃだった〉
那須野 芭蕉
 那須の黒羽というところに知る人あれば、これより野越にかかりて、直道(すぐみち)を行かんとす。
遥かに一村を見かけて行くに雨ふり日暮るる。農夫の家に一夜を借りて明くればまた野中を行く。
そこに野飼いの馬あり。草刈るをのこになげきよれば、野夫といえどもさすがに情け知らずにはあらす。
「いかがすべきやされどもこの野は縦横に分かれて、うひうひしき旅人の道踏みたがへん。あやしう
侍れば、この馬のとどまる所にて馬を返し給へ。」と貸し侍りぬ。小さき者ふたり、馬の跡したひて走る。
ひとりは小姫にて
名をかさねといふ。聴きなれぬ名のやさしかりければ、
かさねとは八重撫子の名なるべし 曽良
やがて人里に至れば、あたひを鞍つぼに結び付けて、馬を返しぬ。
   
 
〈蛇尾川(さびがわ〉 普段の蛇尾川の水は地下に潜んでいて大雨が降れば暴れ出すという〉

〈由諸ありそうな立派なお宅〉

〈徳川家康が五街道を定めるまでは東山道 奥州に向かう義経も通ったことだろう〉

〈東山道 旧奥州街道 右陸奥の国へ出羽の国へ 左奈良の国へ〉

〈平家の豪族瀬尾家居館跡(中田原城)〉
平家之豪族瀬尾家居館跡(中田原城)

 古来九世紀前半 當地より西に 二〇〇間の地に 瀬尾家居館跡 瀬尾家宮跡 居館跡の回りに十社の神々の鎮座の跡が見られる  平成二十一年十月吉日
瀬尾家本家 四十一代當主 隆志書


四十一代当主とはすごい

〈かさねとはやえなでしこのななるべし 曽良〉
東山道 旧奥州街道

 北 陸奥の国へ・出羽の国へ 南 奈良の国へ
天喜五年
(1057)源義家が勅令を蒙り父頼義とともに奥羽領国として下向の途次、 秋葉山瀬尾(せのお)
神社(市杵島姫神)當家は平家であるため脇名秋葉神社に滞陣して戦勝を祈り、東山道を通り當地に向う
豊臣秀吉、天正十八年八月(1590)奥州鎮定のとき、脇名秋葉神社で那須資晴の子藤王丸が会見し、
この道を通り當地に向う
   

〈中田原一里塚 セブンイレブンの脇に残っている〉

〈弘法大師の碑 蓑に添う 市野沢辺の ほたる哉 実際には江戸時代によまれたものらしいと正直に書いてある〉

〈麻疹地蔵 小学1年生の時に麻疹で1週間入院したことがある〉

〈カラスが田圃で何を探しているのだろう〉

〈旧奥州道中道標 右奥州道 永代常夜灯とある〉

〈たんぽぽの若者〉

〈たんぽぽの老人〉
鍋掛宿

〈明治天皇御駐輦記念碑を過ぎると那須塩原市に入った〉
那須塩原市

 那須塩原といえば、バブル時代に何度かゴルフコンペに来たことがある。あのころは東京近郊では7-〜8組のコンペはなかなかとれなかったのだ。

コンペ参加費とゴルフ代、宿泊代、宴会代、交通費で1回のコンペに6万円もかかったことがある。それでも別に高いとも思わず参加していたのだから、時代が狂っていたとしか思えない。


〈那須塩原市に入ると途端に歩道がなくなった〉
 この近くのゴルフ場でコンペに参加するため、買ったばかりのエスティマを走らせていた弥次さんは、
このような道の十字路で地元のおじいさんが運転する乗用車と衝突して、双方が廃車という大変な事故を
起こしたことがある。幸いなことに双方人的被害はほとんどなかったのでラッキーとしか言いようがない。


那須塩原市に入ると、道路わきに名前の書かれた別荘分譲地が雑草に覆われて放置されている。
今後も日の目を見るのは難しいのではないでしょうか。
   

〈所有者の名前がさびしい別荘分譲地〉

〈たぶん売るに売れず今後も別荘は建たないだろう〉

〈街道沿いの花が旅人の心を慰める〉

〈樋沢の不動明王像(お不動様)〉
樋沢の不動明王像(お不動様)

 この像は寄木造りという二枚以上の木を組み合わせる技法で作製されたもので、背面に明暦二年(1656)に作製されたと記されている。同じく背面下部には製作者の名前らしき文字もあるが、現在判読することはできない。

地元では「お不動様」と呼ばれ、かつては縁日などの際、近隣の村からも多数の参拝者があったと伝えられている。不動明王には、病魔退散、家内安全、商売繁盛などの御利益があるといわれ、左手に持つ羂索
(けんさく)と呼ばれる網で衆生を導き、右手に持つ利剣で煩悩を断ち切るといわれている。
平成26年3月 鍋掛地域車座○議運営委員会

〈つい最近立てられた案内板〉

〈葛籠(つづら)石 八幡太郎義家愛馬蹄跡(伝説の地)〉

〈後三年の役(1083〜1087)で陸奥平定に向かう源義家が馬で駆け上がったときあまりの勢いに岩に馬の足跡がくっきりと刻みつけられたという〉

〈伝説の大うなぎとは・・・?〉

〈鍋掛の一里塚が左手に〉

〈奥州道中41番目の一里塚 日本橋より161km 慶長9年(1604)に築かれたが道路拡張で11m東から移動とある〉

〈鍋掛神社 2011年3月11日の大震災で甚大な被害を受け神社拝殿 本殿 鳥居 燈籠など修復工事を行うとあった〉

〈鍋掛交差点にあるローソンで一休み〉

〈北島三郎 栃木県後援会会員募集中〉

〈芭蕉の句碑 野を横に 馬ひきむけよ ほととぎす〉
芭蕉の句碑

 芭蕉が元禄二年(1689)三月(旧暦)「奥の細道」行に旅立ち、黒羽より高久に向かう道すがら四月十六日、手綱をとる馬子の願いにより作り与えた句を碑にしたものである。

野を横に 馬牽きむけよ ほととぎす

〈芭蕉の句碑説明板〉
 この句はどのあたりでつくられたかは明らかではないが、余瀬より蜂巣を過ぎると野間までは広き
原野が続いていたので、この間に作られたものと思われる。その昔行われた那須野の狩りを思い起
こし、「私も武将になったつもりで、いばって命令してみようか」という心境で詠んだものである。
句碑の建立は、文化五年(1808)十月に、当時鍋掛宿の俳人菊池某他数名によるものと思われる。
   

〈昭明橋を渡る 昭明橋架橋記念碑 昭和十六年七月竣工 栃木県知事山縣三郎〉
越堀宿

〈越堀の大杉 黒羽領境界石を見に行く〉

〈川を挟んで向こう側は鍋掛宿 石は大阪から運んできたという〉

〈ついでに大杉も見に石段を上る〉

〈お〜これは大きい杉だ 江戸時代にもこうして旅人が立ち寄ったのだろう タケノコも生えている〉

〈今は倒れた竹が散乱し整備されているとは言い難い〉

〈越堀宿は伊達公が増水で渡河できず川岸に仮屋を建てたのが始まり〉

〈越堀宿桝形の地とあるが道が整備されてなくなっている〉

〈征馬の碑 出征した馬を顕彰したのだろう〉

〈勇気をもって奉仕する店 ええ〜い持ってけドロボ〜〉

〈高久靄香iあいがい)の墓 江戸時代後期の文人画家〉

〈伊勢大神宮遥拝碑〉

〈木という木にツタが絡み付いて不思議な感じ〉

〈寺子の一里塚〉

〈江戸より42番目の寺子の一里塚〉

〈富士見峠の馬頭観世音 日陰とベンチがあったので一休みと思ったら地元の作業員二人が気持ちよさそうに昼寝をしていた〉

〈寺子 芦野温泉まで4.7km〉

〈余笹川の寺子橋を渡る〉

〈平成10年8月27日未明 ここまで水が押し寄せたのだそうだ〉

〈予約ワゴンバス〉

〈事前登録の上前日までに予約が必要 旅人は使えない〉

〈畜魂碑〉

〈弁慶の足踏み石 義経と奥州へ落ち延びる途中ここで休んだ弁慶が石を足台にして馬に乗ろうとしたところ重みで草鞋の形に窪んだという〉

〈レッドバロンのマークとパドック入口とあったので立ち寄ってみる 那須モータースポーツランド〉

〈ここはバイク好きのサーキットだった 気持ちよさそうに走っている ここでしばし休憩〉

(本日の宿 芦野温泉まで2.7km もうすぐだ〉

〈那須町に入った〉

〈黒川を渡ると芦野温泉左の看板があるが歩きなので直進する〉

〈夫婦石〉

〈夫婦石の一里塚 江戸から43番目〉

〈やっと本日の宿 芦野温泉に到着〉
芦野温泉

 いつも街道歩きをする際にはビジネスホテルを重宝に使わせてもらっている。チェックインの時間の制約があまりなく、食事も外で好きなものを食べられるからだ。今回の奥州道中歩きも1泊目は氏家宿のビジネスホテルサンヒル、2泊目は大田原宿の那須サンプラザ、ちょうど街道沿いのビジネスホテルが見つかった。

しかし、この辺りにはビジネスホテルどころか普通の旅館もなさそうだ。と思って地図を見ていたら「芦野温泉」があるではないか。朝食が8時15分という多少の制約はあるが、温泉で体をほぐせるのはありがたい。
・・・と軽い気持ちで訪れたらとんでもない有名な温泉なのであった。

〈芦野温泉シングル館の個室〉
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