奥州道中〈一日目〉 平成26年6月1日 日曜日 晴れ 宇都宮宿〜白澤宿〜氏家宿
五街道最後の奥州道中

 50歳の時に思い立ってから、東海道五十三次、中山道六十九次、甲州道中四十四次、日光道中二十一次を踏破してきた。

いつか慶長6年(1601)に徳川家康が全国支配のために、江戸と地方を結ぶ5つの街道の整備を始め、四代将軍家綱の代になって基幹街道に定められた『五街道』を踏破するという誓いを立ててから8年近くが経った。しかし、残るは奥州道中のみとなってからもなかなか奥州道中を歩く気になれない。


いっそのこと、奥州道中は捨ておいて、北国街道やほかの見どころの多い街道を歩くことも考えたのだが、やはり「五街道」を歩き切らないことにはけじめがつかないのではないか。とりあえず、やっつけてやるか。そう思い立っておよそ90kmの奥州道中を4日かけて一気に歩くことにした。
今回はかなり強行軍の計画なので、喜多さんには荷が重い。弥次さんは一人で歩くことにしたのであった。

〈奥州道中は宇都宮までは日光道中と同じ道〉

〈律儀に日光道中の分岐点まで歩いて戻る〉

〈浜松から餃子消費量日本一を奪還して嬉しそうな宇都宮市〉
   
奥州道中

 奥州道中とは江戸時代の五街道のひとつで、日本橋を起点として千住から白河へと至る街道である。下野国宇都宮宿以南の区間は日光道中と共用されており、宇都宮伝馬町の追分で日光道中と分岐する。

奥州街道は正式には奥州道中といい、江戸幕府道中奉行の直轄下にあった白河以南を指し、道中には27の宿場が置かれた。江戸時代には江戸と陸奥の国さらには蝦夷間の物流が増加しており、白河はその中継地点として賑わい、奥州街道沿線では下野国宇都宮に次ぐ人口を擁するなど繁盛した。

現在、東京と東北方面を結ぶ国道4号線旧道の栃木県宇都宮市の以北の区間が「奥州街道」と呼ばれている。一部区間では陸羽街道・仙台道・松前道・外が浜道などの名称が併用されていた。
(ウィキペディアより抜粋)


〈宇都宮で日光道中と奥州道中は追分でわかれる〉

〈この伝馬町でに日光道中と奥州道中は分岐するので再スタート〉

〈本陣跡とあるが何も残っていない〉
 
〈二荒山神社の祭礼の準備をしていた〉
 
〈旧篠原家住宅 開館中とあったが時間がもったいないので通り過ぎる〉

〈八坂神社〉

〈立派な住宅の門〉

〈白澤街道 誰も歩いていない この日は前橋で気温36℃〉

〈県下一 手打そば 微妙な自慢具合〉
 奥州道中 白澤宿  

〈白澤宿に入った〉

〈白澤宿 江戸より三十里〉

〈白澤地蔵堂の伝説 今から約九百年前東北に向かう途中の伊沢家景が子どもを病で亡くして地蔵堂を立てたそうな〉

やげん坂〉

〈坂の形が漢方の薬種を砕く舟形の器具(薬研)に似ていたところから命名〉
 
〈江戸時代の公衆便所跡 江戸時代では人の糞尿は貴重な肥料〉
 
〈奥州道中は基本的には北上する道で太陽は背中にあるので眩しくない〉

〈村社白髭神社〉

〈暑い 誰も歩く人を見かけない〉
 
〈宇都宮で分岐した奥州道中の第一宿 白澤宿〉
 
〈白澤宿本陣 宇加治家 広い敷地に立派なお宅〉

〈白河宿から歩いた記念に作ったらしい〉

〈あちこちの宿場にある屋号札〉
 
〈西鬼怒川 江戸時代の鬼怒川の渡し跡〉
 
〈渡しが必要な川にも思えないが川は氾濫で位置を変える〉

〈白澤の一里塚址〉
 
〈鬼怒川手前の奥州道中 ひたすら暑い〉
 
〈鬼怒川を渡る〉
 
〈鬼怒川の中間地点でさくら市に入った〉
氏家宿

 天保14年(1843)の『奥州道中宿村大概帳』によれば、氏家宿は家数235軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠35軒、人口879人であった。氏家宿本陣は平石家、脇本陣は伝馬屋が担っていた。

江戸時代、氏家宿南傍の鬼怒川東岸にあった阿久津河岸(あくつかし)は、主に東北地方で獲れた米ほか特産物を鬼怒川の水運を利用して江戸に送るための集積地となり、このため氏家宿の旅籠もたいへんな活況を呈したと云われている。氏家には会津西道、会津北道、原方道、水戸道が開通し、交通の要衝地となった。

水戸道を通って10里ほどの太平洋沿岸村落から氏家宿に四季折々に海魚が大量に運び込まれ、鶏卵や川魚、塩辛等しか食せない山路にしては珍しく海魚を食すことが出来たことが書かれており、このような宿場は氏家宿以北、仙台や酒田に至るまで無かったと云われている。
〈ウィキペディアより抜粋〉

〈奥州道中 氏家宿〉

〈街道沿いの花〉

〈街道沿いの花〉
 
〈お伊勢の森〉
お伊勢の森

 昔むかし、仲睦まじく何不自由ないけれど、子どもに恵まれない若い夫婦がおりました。ある日、お伊勢さん(伊勢神宮)にお参りすると子どもに恵まれると聞き、夫は妻を残して2か月かけてお参りに行くことにしました。
 旅立ちの日、妻は夫が心配で、どこまでも見送り、とうとう村のはずれの森まで来てしまいました。2人は森で弁当を食べ、水杯を交わし、泣きながらお互いの姿が見えなくなるまで振り返りながら別れました。
 さて、予定の日が来ても夫は帰ってきません。妻は毎日夫と別れた森に来て、お伊勢さんの方向に向かって夫が早く帰って来るようにと祈りました。
 十数日後、妻はいつものように森まで行くと、お伊勢さんから帰ってくる夫の姿がそこにありました。
 それから程なく、夫婦に玉のような男の子が生まれました。2人は「これもお伊勢さんのご利益だ」と喜び、あの森に小さな祠を建てて、毎日お参りしたそうです。
 その後、その森を「お伊勢の森」と呼んで村人もお参りするようになりました。
〈さくら市HPより〉

〈さくら市のHPには案内板にない夫婦の物語が〉
 
〈奥州道中沿いには緑の田んぼが広がる〉
 
 奥州道中 氏家宿  

〈宇都宮から19kmを歩いてきた〉

〈氏家に入った〉

〈氏家の見どころMAP〉
 
〈青銅不動明王坐像にお参りする〉
 
〈なかなかの迫力〉
異常な暑さ

 この日、隣の群馬県館林市では36.3℃という8月並みの気温が記録された。

計画を立てた時点では想像もつかない気温で、3泊の予約をしてあったからキャンセルするわけにもいかない。でも何とか熱中症にもならずにこの日はおよそ20kmを歩いてきた。

予定では18時ころの到着であったが、朝も早く出かけてきたし、途中も立ち寄るところもなかったので15:30にはホテルに着いた。


チェックインできるまで少しロビーで待たせてもらって、部屋で風呂に入りビールを流し込む。

プハー。
明日も頑張って歩こう。

〈この日の宿 ビジネスホテルサンヒル〉
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