〈7日目〉 平成25年4月27日 土曜日 晴れ 間々田宿〜小山宿〜新田宿〜小金井宿
快晴の日光道中

 さあ今日からGWだ。今年はどこかに遠出する予定もない。喜多さんと二人、日光道中の続きを歩きに行こうといつも通り6時半には起きて、3月に歩き終えた間々田駅を目指すことにする。

このところ車で出かけることが多いが、やはりGWというからには高速道路は大渋滞に違いない。こんな日は電車に限ると調べてみると中山道や甲州道中でお世話になったJRの「ホリデーパス」は廃止され、代わりに「休日おでかけパス」が発売されているらしい。
「ホリデーパス」は2300円だったが、「休日お出かけパス」は2600円に値上げされている。その代りフリーの範囲が多少拡大されているようだ。

〈庭に咲いたなでしこの花 岩国の母親がくれたのが増えた〉
休日おでかけパス

 見ると東北本線は、小山を越えて自治医大まで使えるではないか。本日は小山の手前の間々田駅から自治医大の手前の小金井まで歩く予定だから、まさにどんぴしゃり。本来の乗車賃は往復で4000円くらいだから1400円もお得だ。その代りにちょっとぜいたくに往復ともグリーン車を利用することにする。普通車グリーン料金は50km以上は休日750円、ちょうど「休日おでかけパス」で浮いた運賃分だ。

それにしてもこの「休日お出かけパス」西は小田原、大月、奥多摩、北は寄居、本庄早稲田、足利、自治医大、東は土浦、成田空港、茂原、君津、上総亀山まで一日中乗り放題で2600円だ。使わない手はない。

〈お得な休日おでかけパス〉

〈グリーン車 普通車なのに750円でこの快適さが買える〉

〈湘南新宿ラインで間々田駅に着いた〉

〈間々田駅には東京⇒仙台リレーマラソンの人たちが〉

〈国道4号線(日光街道)に合流〉

〈日本橋から71km 宇都宮まで36kmだ〉

〈小山市立車屋美術館 国登録文化財小川家〉

〈小川家は乙女河岸で肥料問屋を営んだ豪商〉

〈逢いの榎 江戸と日光のちょうど中間だったことから間の榎がいつからか逢いの榎となり、縁結びを願い参拝する男女が多かったという〉

〈龍昌寺 慶安4年(1651)徳川家光の遺骸を日光廟に葬送の途中遺骸の安置所が設けられたという〉
間々田ひも

 『 間々田紐は大正時代から日本の伝統的組み紐技法に故初代渡辺浅市・故2代目浅市が創意工夫を加えたもので、昭和29年に民芸研究家の故柳宗悦氏によって命名されました。特に、益子町の故日下田博氏の染め上げた絹糸を使った草木染の作品は故柳宗悦氏から高く評価していただきました。

機械で組んだものとは違う手組みのやわらかさと上品さ、そして一度締めると緩まず、着崩れを起こさないのが特徴です。2代目浅市が平成11年惜しくも病のためこの世を去った後、伝統の火を絶やすまいと妻悦子が後を継ぎ、親族の助言協力を得て伝統ある間々田紐の技術を守り続けています。』とのことです。

〈質屋さんだったみたい 鉄板で覆われた家〉

〈日光道中沿線には相変わらず神社やお寺が多い〉

東京⇒仙台リレーマラソン

 4/20〜5/11の10日間、東京から仙台まで国道4号線沿いを中心にルート400kmをタスキでつなぎます。参加者は指定ルート上の駅に集合し次の指定駅で解散します。

1日約40Kmの行程ですが、1区間10km前後の4〜5区間に分けて、途中から参加したり離脱も自由です。おしゃべりできるペースで走るので日頃走っていなくても安心、みんな一緒に走れます。とのことで、以下の予定で走るそうだ。


〈先ほど駅にいたリレーマラソンランナーが追い越して行った〉
 4/20日(土)神田(スタート)→春日部駅/21日(日) 春日部駅→間々田駅/27日(土) 
間々田駅→宇都宮駅
/28日(日) 宇都宮駅→野崎駅/29日(祝)  野崎駅→豊原駅5/3日(祝)
豊原駅→須賀川駅/4日(祝) 須賀川駅→松川駅/5日(日) 松川駅→越河駅/6日(祝)
越河駅→岩沼駅
/11日(土) 岩沼駅→仙台市内(ゴール)
   

〈焼き物はシャキッとして、本物はだらけている〉

〈東京から73km〉

〈御菓子司蛸屋 焼ドーナツを買ってみた〉

〈お茶を入れましょうかと言ってくれたが歩きながら食べることに〉
御菓子司蛸屋

 もとは宮城県仙台、広瀬川に面した一角で「赤壁楼」という和菓子屋が始まりと伝えられております。仙台藩主である伊達公よりご愛顧を賜り、蛸の看板を掲げるようになって以来、蛸の愛称で親しまれ、屋号名字も蛸を称するようになりました。後に御菓子司となり、歴代の店主を経て看板を掲げ続けております。(有名な藩祖政宗公の後裔らしい逸話として、当時の伊達公が、魚屋は魚屋らしくなく、菓子屋は菓子屋らしくない名前を命じられたとも伝えられております。)発祥は宮城県の仙台でございますが、戦争疎開等を経て栃木県小山市へ落ち着き、和菓子屋を開きまして現在に至っております。〈HPより〉

御菓子屋さんなのになんで蛸なんだろうと、歩きながら喜多さんと話していたがこのような逸話があったのだ。

〈東京から74km〉

〈西堀酒造 国登録有形文化財の門〉

〈大橋農場 農作業中の看板が〉

〈東京から75km〉

〈安房神社の鳥居と長い参道 天慶2年(939)藤原秀郷が平将門の討伐を祈願し見事戦勝したと言われている〉

〈レース鳩市場〉

〈中にはレース鳩がたくさん〉

〈大きなムクノキ〉
須賀神社

 須賀神社の創建は天慶3年(940)藤原秀郷が天慶の乱に鎮圧の折、日夜素盞嗚命に戦勝祈願をし念願成就した事で京都の祇園社の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。中世は小山氏の崇敬社となり保元年間(1156〜59)祇園城〈小山城)築城時に現在地に遷座し小山荘六十六郷の総鎮守として信仰を集めました。

北条氏の滅亡と共に小山氏も所領が没収され一時衰退しますが関が原の合戦の折、徳川家康が小山評定により大きく西に展開することとなり須賀神社に戦勝祈願し石田三成との決戦に臨みました。結果、家康率いる東軍が勝利した為、須賀神社は徳川家の崇敬社となり社領51石を寄進し、うち15石が朱印地とされました。
(HPより)

〈天満宮 かつてはこの辺りが小山宿入り口だったそうだ〉

〈須賀神社〉

〈小山駅近くの日光道中 史跡は何も残っていない〉

〈明治天皇庵行在所跡碑 脇本陣のあったところ〉
小山宿

 小山宿は「五街道追分の地」とも呼ばれ、日光道中、壬生通り、結城道、佐野道、栃木道が交差する交通の要所であった。天保14年(1843)の『日光道中宿村大概帳』によれば、本陣は1軒、脇本陣は2軒設けられ、旅籠が74軒(大11,中27,小36)あった。

宿内の家数は423軒、人口は1392人であった。当時の日光街道は現在の県道265号線に相当し、街道沿いでは南から下町・中町・上町、他にも横町・新町から構成された。本陣・脇本陣は中町
(現在の中央町)にあった。また宿内には、将軍家による日光社参るのため、小山御殿が設けられていた。

〈小山宿通り〉
小山御殿

 将軍家の日光社参のために設けられた休憩所。元和8年(1622)に徳川秀忠が日光社参を行った際に、
関ヶ原の戦いの小山評定を吉例として設けられた。寛文3年
(1663年)以降は日光社参が中断され、天和
2年
(1682)、古河藩の財政難のため解体された。場所は現在の小山市役所付近に相当するが、遺構は
残されていない。
   

〈りっぱな小山駅〉

〈先ほどの御菓子司蛸屋の本店があった〉
小山駅前で昼食

 ちょうどお昼時なのでそろそろお腹がすいてきた。駅前の本陣跡あたりで地図を見ていたら、地元のおばさんから「何かお探しですか」と声をかけてもらった。食事をしようと思っているんですと答えると、駅のほうを指さして、ラーメン屋さんもあるし、カレー屋さんもあると教えてくれた。

しかし、喜多さんのリクエストで居酒屋さんに入り、弥次さんはミニ海鮮丼とうどんのセット、喜多さんは漬け丼を注文。しばし休息ののちまた歩き始めることにする。

〈両毛線を越える 小山駅⇔新前橋駅〉

〈日枝神社 樹齢400年以上のケヤキが3本ある〉

〈喜沢の追分から久しぶりの旧道に入る〉

〈郷愁をそそる小川にかかる宇都宮線〉

〈橿原神社 新田宿に入った〉

〈旧道は生活道路になっている〉

〈下野市に入った〉

〈本日の終点 小金井駅に到着 約16kmを歩いた〉

〈駅前のC57蒸気機関車の動輪〉
 予定では16:13の湘南新宿ラインで帰る計画であったが、本日は神社仏閣や美術館などにも立ち寄らず頑張って
歩いたため一時間ばかり早く小金井駅に着いた。15:13の電車に乗り込みグリーン車で快適に眠って横浜駅に到着。

二人とも、もうグリーン車でなければ電車には乗らないと言い始めるのが怖い。
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