〈11日目〉 平成26年1月4日 土曜日 晴れ 今市宿~鉢石宿 | |
なかなかたどり着けない東照宮 前回に引き続き、一人で日光道中にやってきた。50歳から歩き始めた旧街道であるが、あれから8年が経ちもうすぐ還暦を迎えようかという弥次喜多夫婦になってしまった。 弥次さんはちょうど歩き始めたころにタバコもやめ、体重も若干は増えたものの目立つほどではない。しかし喜多さんは体重も順調に増え、腰が痛いの、体が重いのと街道歩きの誘いに乗らなくなってきている。 |
〈宇都宮駅 餃子小町〉 |
このままではいつまでたってもゴールしないから遠慮せずに一人で歩きに出かけることにする。 考えてみれば、夫婦で歩くことなど考えずに始めた街道歩きだ。東海道も、中山道も、甲州道中も 喜多さんは完歩していない。とりあえず前回歩き終えた今市まで戻るために横浜から湘南新宿 ラインで宇都宮駅に着いた。何度も宇都宮には来ているが、ちょうどお昼時なので初めて餃子を 食べることにする。 |
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〈権太餃子 スタミナ健太〉 |
〈餃龍・・・だそうだ〉 |
〈有名店宇都宮みんみんには数十人の行列が〉 |
〈駅のみやげ物屋さんにもたくさんの餃子が〉 |
行列店考 食べ物に対する執着度合いは人によってずいぶんと違うだろう。フェイスブックにも毎日のように 自分の食べた料理写真を載せている人がいる。 もしかすると自分はその対極にいるのかもしれない。 自分の食べたのものを不特定多数の人の目にさらすのが恥ずかしくてたまらないと思うのだ。 確かにまずいもの、あるいはおいしくないものを食べるよりはうまいものを食べたいに決まっている。 しかし、たかが食べ物。毎日食べるものを人の目にさらしてどうする。 その考えは行列してまで食べたいかどうかにも共通するのだと思う。宇都宮みんみんという餃子の 店は確かによく聞く有名店だが、1時間あるいは2時間並んでも食べたいかと言われれば、たかが 餃子、そんな時間があればほかのことをしたほうがと思ってしまう。ま 人それぞれで多くの異論は あろうが、宇都宮駅にあった餃子小町の一店舗に入りラーメンと餃子のセットを注文する。宇都宮で 食べる初めての餃子だ。ま こんなものかと思う。 |
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今市宿へ | |
〈JR日光線で今市駅に向かう〉 |
〈外国人の観光客が村上春樹を読んでいた〉 |
〈JR今市駅に着いた 駅前から見えるのは男体山か〉 |
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〈前回はこの小倉歩道橋から東武下今市駅に向かったので律儀に数百mを戻ってスタートする〉 |
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〈追分地蔵尊 例幣使街道との追分で中山道倉賀野宿からここでつながる 中山道倉賀野宿を歩いたのは平成20年6月のことだった〉 |
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〈二宮尊徳を祀る報徳二宮神社〉 |
〈小田原二宮生まれの二宮尊徳は今市で終焉を迎えた〉 |
〈日光道中の終点まであと7km 明治天皇御小休之蹟碑の先瀧尾神社から旧道は車道と分離する〉 |
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〈珍しく歩いている人がいると思ったが案内板だけ見て引き返していった〉 |
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〈車はめったに入ってこないから堂々と真ん中を歩く〉 |
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〈民家越しに見る男体山〉 |
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〈杉並木公園辺りには水路が〉 |
〈高靇(たかお)神社〉 |
砲弾打込杉 このあたりは宇都宮とともに幕府軍といわゆる官軍が戦った激戦地でもある。 慶応4年(1868)大鳥圭介率いる幕府軍は宇都宮を追われ、日光道中を後退し、伝習隊、草風隊が野口十文字に布陣した。勝海舟は「日光山では戦は避けよ」と松山太郎に書面を託し、大鳥に日光山退去を求めた。そののち、激しい攻防戦が行われ、官軍が放った砲弾が杉に命中し、その傷跡が残っている。大鳥は申し入れを受諾し、日光退去を全軍に下した。ほんの150年ほど前の話だ。 |
〈岩と一体化したような不思議な杉〉 |
〈このあたりは車両通行止めではないのでたまには車が通る〉 |
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〈比較的新しい大正時代の馬頭尊〉 |
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〈ここは車は進入禁止 杖を突いてリハビリに励む人が歩いていた〉 |
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〈杉並木と街道の段差が激しくなっていたために中空コンクリートブロックを埋設し杉の根が張れるようにした道なのだそうだ〉 |
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〈薬師堂〉 |
〈釣り堀野口池 凍っている〉 |
〈日枝神社の常夜灯 日枝神社へはJRの線路で行けない〉 |
〈弘法の霊水 いわれがよくわからない〉 |
〈並木太郎 並木の中で1番大きく美しいといわれる銘木だというがそんなにも見えなかった〉 |
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〈明治天皇御小休所碑と珍しく歩道が狭い日光道中〉 |
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〈もうすぐ日光駅 少しだけ古日光道を歩く〉 |
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〈終点の神橋まではあと1kmあるが本日はJR日光駅で終了〉 |
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〈日光駅から見る日光男体山〉 |
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〈日光駅は明治23年(1890)8月1日、日光線の今市~日光間の開通に伴い開設されたJR東日本管内では最古の洋風建築駅舎) |
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あと1kmが遠い ここまでくれば観光客相手の商店街を抜け、ほぼ直線の1kmを歩けばゴールの神橋にたどり着く。しかし、買ったばかりのブーツを履いてきたせいか、それとも靴下が合わなかったのか、珍しく靴擦れができてしまった。無理をすれば歩けなくもなさそうだが、日光駅に来てみればあと5分で宇都宮駅行きが出る。最後の1kmくらいは喜多さんと一緒に歩いてゴールするのもいいだろうとJRに飛び乗った。 考えてみれば日光には10回以上来ていると思うが、一度も電車で来たことがない。いつも車で来ているためこのあたりを歩いたことがない。次回仮に車で来てもこの1kmの商店街を歩けば日光道中踏破には違いない。と、自分に言い聞かせるが次はいつ来れるのだろうか。 |
〈大正天皇が御用邸を訪れた時利用された貴賓室も残っている〉 |
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