〈十日目〉 平成25年12月13日 金曜日 晴れ 宇都宮宿〜徳次郎宿
宇都宮宿から

 今年の冬も「青春18きっぷ」の季節がやってきた。
地元横浜から宇都宮までのJR乗車券の金額は往復でおよそ5000円。

これが「青春18きっぷ」を使えば2300円で済むのだから使わない手はない。浮いたお金で950円のグリーン券をパスモで購入して、横浜発7時40分の宇都宮まで直通の湘南新宿ラインに乗り込む。


10時6分に宇都宮駅に着いた弥次さんは、前回歩き終えた場所まで戻るためにバスに乗り込む。上戸祭小学校までの270円を払って、3か月半ぶりの日光道中に戻ってきた。

〈池袋を過ぎるとグリーン車はガラ空き〉

〈3か月半ぶりに宇都宮駅に戻ってきた〉

〈餃子の像ではなく家族の像があった〉
上戸祭

 国道119号線 日光街道 日光32km 宇都宮市上戸祭から桜並木に入る。

中央の車道をはさんで両脇には桜並木、その外側に一段高く歩道がある。

ここからのほとんどの道程は桜やヒノキや杉並木なので、歩き旅の旅人には風情を感じながら歩ける街道らしい道が続く。

〈宇都宮駅から30分で上戸祭小学校バス停へ〉

〈上戸祭の桜並木〉

〈文星芸術大学 宇都宮文星短期大学〉

〈並木の状態を木づちでたたいてを調べていた〉

〈宇都宮には陸上自衛隊宇都宮駐屯地があるので当たり前のように自衛隊車両が走っている〉

〈海上自衛隊の艦船にはたくさん載せてもらったけど陸上自衛隊の車にも乗ってみたい〉

〈光明寺 寛永年間(1624〜1644)に三代将軍家光が休んだそうだ〉

〈こんなところにフラメンコスタジオが〉
 
〈日光まで19km 相変わらず陸上自衛隊の車両がたくさん通り過ぎる〉
 
〈高谷林の一里塚〉
高谷林の一里塚

 江戸から日光までの三十六里余(約140km)のこの街道は「日光道中」と呼ばれ、江戸時代から徳川家康を祀る日光東照宮に参拝するための道として栄えた。

江戸時代、五街道のひとつであったこの街道には、一里ごとに塚を築き旅人に里程を知らせた。

この一里塚は、宇都宮城下と徳次郎宿の間に位置し、江戸〈日本橋)からニ十九里であることを示すものである。
なおこの一里塚は、昭和五十八年度に一部修復整備したものである。


昭和五十九年三月
栃木県 宇都宮市

〈反対側にも一里塚が残っている〉
 
〈第六号接合井〉
第六号接合井

 宇都宮市水道施設は、1913(大正2)年12月に着工し1916(大正5)年3月に竣工した、わが国で31番目となる近代水道施設です。これらの施設は、2006(平成18)年10月18日に、国登録有形文化財として文化庁の「文化財登録原簿」にも登録されました。現在この洋館は、宇都宮市水道資料館として保存・活用されています。また、敷地内にある旧着水井・旧フロック形成池、さらに円筒状の出水井の上屋は煉瓦で組成されており、創設当時の面影を今に伝えています。

 第六号接合井は、今市浄水場で処理された水を約26q・標高差240mの戸祭配水場まで送水する際に、送水管にかかる水圧を緩和するため6箇所設置された接合井の一つです。これらの接合井は、標高が約30m下がる毎に1箇所設置されました。1949(昭和24)年の地震による被害により、当時のまま現存するのはこの第六号接合井だけです。
〈関東の土木遺産HPより〉

〈徳次郎城跡があるようだ 寄り道して見に行く〉

〈日光山僧兵の動きを封じるために新田徳次郎昌言によって築かれた〉

〈新田徳次郎は宇都宮国綱の家臣であったが改易によって廃城に〉

〈地元の人はとくじらと呼ぶそうだ〉
 
〈日光まで16km 7km歩いてきた〉

〈智賀津神社 宝亀9年(778)に日光二荒山神社から御神体を勧請して祀ったという歴史のある神社〉
 
〈樹齢700年といわれる大ケヤキ 長寿の夫婦欅の碑が 江戸時代にも今と変わらず大きかっただろう〉
徳次郎宿の由来

 徳次郎の地名の由来には諸説在るが、読みに『とくじら』と『とくじろう』の二通りがある。現在の行政による住所地としては『とくじろうまち』と規定されている。

当初は『外久次良』(とくじら)の地名だったが新田徳次郎昌言がこの地に徳次郎城を築いたことに因んで漢字を当てて『徳次郎』(とくじら)としたため、後世に『徳次郎』の文字だけが一人歩きし『とくじろう』と誤読されたと云われる。現在も『とくじろう』では通ぜず『とくじら』と呼ばれている。なお、日光市の久次良町は『くじら』である。


〈ウィキペディアより抜粋〉

〈徳川将軍家の崇敬社として寄進を受けていた〉

〈六本木の一里塚 江戸から30里〉

〈十九夜碑 天保11年の銘が〉

〈大量のポポウの実が落ちていた〉

〈第五号接合井〉
 
〈このように車道の脇に歩道があるので歩きやすい 田川を越える〉

〈街道の石仏 いつからあるのだろう〉

〈海老王子という地名 王子は熊野九十九王子に源が〉
 
〈りんご畑にはまだリンゴが残っている〉
うらない地蔵

 大谷石でできた石仏のため風化が激しい。

享保15年(1730)の銘がある阿弥陀像。この石仏に願をかけ3個のまんじゅう型の石のいずれかを持ち上げて、軽く感じれば願いが叶うといわれています。


ということのようだが、本当に風化が激しいようで顔と体中に包帯が巻かれていた。

〈うらない地蔵〉
 
〈宇都宮市を抜けて日光市に入った ここから本格的な杉並木が始まる〉

〈正面に日光男体山が見えるが厚い雲に覆われている 山肌には雪が見える〉
 
〈並木寄進碑 松平正綱公が杉並木を植栽して東照宮に寄進〉
   

〈山口〜大沢間の杉並木街道〉
   

〈車も通れるがめったに通らない〉
   

〈普通地域の保護地域〉
 
〈こちらは特別保護地域〉
   

〈杉並木の保護地域には普通地域と特別保護地域がるようだがこのみちは特別保護地域 車は一切入れない〉
   
 
〈御成街道 水無一里塚〉
   

〈大木の隙間から車道を見る〉
 
〈杉並木保護のため車両通行止〉
   

〈枯れて切り倒された大木〉

〈杉並木を守っていくのは大変だ〉
   

〈国道119号線と並行してこの杉並木は保護されるが車が結構通り抜ける〉
 
〈今市駅まであと3km もう20km歩いてきた〉
   
 
〈杉の割れ目に桜が育った「さくらすぎ」〉
 
〈枯れて切り倒された杉の大木に新たな命が〉
   
 本来なら宇都宮か今市に一泊して歩けばもっと楽に歩けるのだが、 本日は喜多さんがいない。
なぜかというと23kmの距離を歩けるとは思えないからだ。
途中で泣きが入るのは明らかなので、今日は一人で宇都宮にやってきた。

なぜ今日は23kmを歩かなければならないか。今市まで駅が近くにないからだ。
一人で泊まるのもつまらないので、今日は距離を稼ぐことに専念する。

なるべく安く歩くのがモットーなので新幹線などは使わない。
湘南新宿ラインが横浜方面から宇都宮まで直通で走っているので普通でやってきて、バスで前回
歩き終えた上戸祭に到着したのが家を出てから4時間後だ。

11時から途中で昼食をはさみ、6時間歩いたらこの時期日暮れは早い。駅に着いたらちょうど5時だった。
あたりは真っ暗だ。

うかつなことに18きっぷがあるのだから、JR今市駅からJRに乗ればよかったのに、東武鉄道下今市駅
から栗橋駅まで東武電車で、栗橋駅でJRに乗り換え横浜に戻ってきた。帰りもちょうど4時間。
思い込みとは恐ろしいもので、日光といえば東武と思っていたからJRがあるのをすっかり忘れていた。

久しぶりの20km越えの歩き旅はきつかった。
   
   
   
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