〈九日目〉 平成20年9月27日 土曜日 晴れ 安中宿〜松井田宿〜坂本宿
【第15次 安中宿 本陣1軒 脇本陣2軒 旅籠17軒 安政の遠足と原市の杉並木】

〈木曾街道六拾九次之内 案中 広重画〉
安中宿からスタート

 やはり街道歩きは秋が気持ちいい。青い空にコスモスが映える。

前回歩き終えた安中駅に、今日は喜多さんと二人で降り立った。6時に家を出たのだが、東海道と違って連絡があまりよくなく、熊谷と高崎で乗り換えて安中駅に着いたのは10時半だった。

昨日はちょっと飲み会があったものだから寝たのは1時過ぎで、今朝は5時過ぎには起きた。少し眠いが頑張って歩きたい。

〈コスモスが秋らしい〉
妙義山

 今日は、思ったより天気もよく気持ちよく歩けそうだ。

安中駅を出るとすぐに目の前に妙義山も見える。静岡県を富士山を見ながら歩いたように、群馬県は妙義山や赤城山を見ながら歩ける。

妙義山は、富士山のような優美な姿とは言いがたい。饅頭をふたくち食い散らかしたような形の山だ。喜多さんと、「妙な形だから妙義山とつけたのかね。」といいながら足取りも軽く歩き始める。

〈目の前に妙義山が〉
歩きやすい中山道

 群馬県の中山道は今日で3日目だが、歩道もちゃんと整備してある道が多い。次の宿場までの距離も適当な間隔でちゃんと表示してある。このようなちゃんと歩道のある中山道を古い町並みを見ながら歩くのは気持ちいい。

このあたりの旧中山道は、国道18号線の左右の県道になっているので走っている車も少ない。歩くには絶好の道だ。

〈安中宿中山道〉
上の木戸跡


 安中宿上ノ木戸跡という標識があった。

この場合の上というのは京都側のことだろう。今はすべての道路は東京が上りで、すべての地方は下りということになっている。

中山道を旅人が歩いていた明治以前は上方は京・大阪で、江戸へは下ることになっていた。

〈安中宿上ノ木戸跡〉

〈旧安中藩武家長屋〉
   

〈旧安中藩郡奉行役宅〉
郡奉行役宅と武家長屋

 旧安中藩の郡奉行役宅と武家長屋というのがあったが、ゆっくり見る時間が惜しいので外から見ただけで
通りすぎた。どうも復元されたものらしいので、歴史的な価値はあまりなさそうだ。
 
〈便覧社跡 日本最古の図書館だそうだ〉
   

〈清水商会 薬屋さんのようだ〉
便覧社

 むしろ歴史的名価値はこのような建てられたままの家で、この清水商会などはいつまでも壊さずに残って欲しい。

「便覧社跡」という石碑があった。向かいに渋い家もあったのでたたずんで見ていたら、後ろから来たおばさんが説明をしてくれた。

この渋い家は醤油屋さんで、江戸の頃から醤油を作っているそうだ。向かいにある「便覧社」もこの醤油屋さんが作ったのだそうだ。「便覧社」は、湯浅治朗設立、日本最古の図書館といわれ蔵書が3000余無料で自由に閲覧できたとある。

〈古い醤油屋さん〉
新島襄旧宅

 その先に、「新島襄」旧宅という標識があったので、少しわき道に入るが寄ってみた。

新島襄は、いわずと知れた同志社の創立者だが、江戸時代末期に密航してアメリカに渡り、アメリカの大学を出たすごい人だった。

密航したときの服装をアメリカの大学の同級生の要望で再現したという写真が残っていたが、ちょんまげは切らずにほっかぶりをし、町人の姿で二本差しだけは手放さずに布で巻いて隠してアメリカまで持っていったという。

〈新島襄旧宅〉
 新島襄は、この家に生まれたが大磯で亡くなり、墓は京都にあるそうだ。

道端に朝顔がきれいに咲いていたところがあった。
歩く道々にきれいな花が咲いていると心も和む。

〈朝顔?〉

〈原市の杉並木〉
   

〈杉並木は731本あったが現在はわずか16本 しかも落雷か枯れたのかさらに少なくなっている〉
原市の杉並木

 原市の杉並木は、江戸時代初期に植樹され、天保15年(1844)には731本あったといい、日光の杉並木と並び称されていたというが、今はわずか16本しか残っていないという。

右の写真の杉は、雷でも落ちたのかてっぺんが真っ二つに割れて枯れてしまっている。このような自然を残していくのは本当に大変なのだ。

この安中は「安政の遠足
(とおあし)」で有名だ。遠足とはマラソンのことで、板倉勝明候が安政2年(1855)に藩士の心身鍛錬のために始めたのだという。碓氷峠の熊野権現まで七里余りを走る。日本のマラソンの起源とされ、毎年5月の第2日曜に行われているそうだ。〈東海道を歩く〉

〈安政の遠足〉
 安中小学校で運動会をしていた。

うちの子供は、二人とも大学生になったのでこのような運動会は遠い昔のことのようだ。

自分の小学生の頃の運動会を思い出した。自分の頃の運動会の写真はすべてモノクロの写真なので思い出もモノクロだ。

昼休みに家族で食べる豪華な弁当が楽しみだった。

〈運動会〉

〈ススキと妙義山と中山道〉
   

〈日枝神社〉

〈石に字を刻んだだけの素朴な道祖神〉
 妙義山を目の前にしながら、秋の中山道を歩く。ススキが雰囲気を盛り上げる。

このあたりの道祖神は、文字だけの道祖神が多い。道祖神といえば、男神と女神が仲むつまじくしているのが道祖神だと思っていた。

中山道もこのあたりは歩道がないが、車もほとんど通らないので歩きやすい。
   
【第16次 松井田宿 本陣2軒 脇本陣2軒 旅籠14軒 妙義山が間近に見える】

〈木曾街道六拾九次の内 松井田 広重画〉
 妙義山がいよいよ目の前に迫ってきた。松井田宿に入ったのだ。

車がビュンビュン通り過ぎる国道18号線を、車の切れ目を狙って横断し、旧道に入ることに成功した。

この頃は旧道がにおいでわかるので、迷うことなく狭い旧道に進路をとる。余り休まず歩いてきたので、足が少し疲れてきた。

〈変わった形の妙義山〉
妙義山と碓氷川

 喜多さんもしばし見とれている。日本橋を出立して9日目だがこんなに山が近くに見えるところまで歩いてきた。

埼玉県では、中山道ってこんなに見どころのない道なのかと、歩き始めたことを後悔したこともあったが、歩くスピードならではの風景を楽しめるところまでやってこれた。

この辺りは、軽井沢に行くときに必ず通るところだが、関越自動車道からの景色しか見たことがなかったから、立ち止まってじっくりと妙義山と碓井川を見ていく。

〈妙義山に見とれる喜多さん〉

〈妙義山と碓氷川〉
 碓氷川は、東海道の広い川と違って狭いが水はきれいだ。
妙義山と碓氷川。歩く旅でなければ、こんなにゆっくりと眺めながら通りすぎることはできない。

〈松井田宿案内〉
 

〈松井田宿 辻中薬局〉
みなとや

 「みなとや」という店があって、トイレをご自由にお使いくださいとあったので、使わせていただいた。

何も注文せずにいたら、大きなコップに冷たい水を出していただいた。よく冷えていておいしい水だった。何か注文してあげればよかったと反省。

店のおばさんとちょっと話をして、横川駅までの距離を聞くと車で8分だという。このあたりの人にとって歩く距離ではないみたいだ。

〈みなとや〉
喜多さんリタイア

 道々、入ってみたいお寺や神社はあるのだが、時間がもったいなくて寄らずに済ますことが多い。たぶん二度と歩くことはないと思うので、すべてを見てみたいのだが、それでは一日に歩ける距離はずっと少なくなってしまう。今日は、横川駅までの20kmを歩かなければ、次回の碓氷峠越えが厳しくなる。

先ほどの「みなとや」のおばさんは、横川の何とか言う旅館に泊まって碓氷峠越えをする人が多いといっていた。でも弥次喜多コンビは、軽井沢に会社の寮があるので、碓氷峠を越えてから次回軽井沢に泊まるつもりなのだ。

この寺を過ぎたあたり、西松井田駅の近くで喜多さんがもう歩けないとリタイアを宣告。仕方ないと一緒に帰りかけたが、やはり当初の目的地横川駅までやっつけたいと、弥次さんは喜多さんを先に帰して続きを歩くことにした。

〈補陀寺〉

〈国道で分断された中山道〉
   

〈松井田宿の次は坂本宿〉

〈旧中山道は行き止まりに〉
分断された中山道

 国道18号線でみごとに分断された中山道があった。
標識は矢印で中山道を指しているが、そのあいだに国道18号線があり、横断歩道を渡って続きの中仙道を歩く。
右の写真は、行き止まりになった中山道だ。

〈信越本線の線路を越えて五料茶屋へ〉
   

〈茶屋本陣お西・お東〉
 
〈五料茶屋本陣〉
茶屋本陣お西・お東

 「茶屋本陣お西・お東」という標柱があったので、矢印に従って右に入ってみる。JR信越本線を越えた先に
「五料の茶屋本陣」があったが、時間がなくあせるので中には入らず外から見ただけで続きを歩くことにする。

五料の茶屋本陣の説明板によると、この「お西」中島家は、16世紀末から代々名主役を勤め、特に天保7年
(1836)
から明治5年
(1872)までは「お東」と一年交代で名主を勤めていました・・・とある。

〈五料茶屋〉

〈中山道と彼岸花〉
中山道と彼岸花

 中山道の道標に田んぼの脇に咲いた彼岸花が美しい。
歩く目線で見るからこそ、こんな景色も見ることができる。

埼玉県では、中山道を歩き始めたことを後悔したこともあったが、中山道には中山道にしかない風情がある。
あきらめずに中山道を歩いてきて良かった。

〈妙義山は真横に 山の形も変わってきた〉
 

〈文字を刻んだだけの道祖神〉

〈山中の中山道〉

〈旧中山道は左の道へ〉
   

〈馬頭観音〉

〈熊出没注意〉
熊出没注意

 熊出没注意 群馬県 の標識がある。
こんなところに熊が出るとは驚きだ。
このあたりはまだ人家もあるし、そんなに山中とは思えない。

〈稲刈りも終わり 田んぼと碓井川〉
   

〈旧中山道にカメラ小僧が群れる 信越本線に珍しい列車が走るようだ〉
 このあたりの田んぼは、ほとんど稲刈りも終わり、稲が木のはぜに掛けられて干されている。この頃は
コンバインで稲を刈るところが多く、このように日に干さないで強制的に熱で干されることが多いらしい。

この先の横断歩道を渡った右の道が旧中山道だ。線路の脇に人だかりができている。今朝、電車の中
でもカメラ小僧が多かったが、どうもこの信越本線で珍しい電車が通るようだ。三脚でカメラを固定した
カメラ小僧やカメラおじさんが、たくさん電車の来るのを待っていた。

いろいろな趣味があるものだ。弥次さんのように、歩いて旅をするのが楽しい人もいるし、東京や千葉から
電車や車でわざわざ電車を撮影に来て楽しんでいる人もいる。いわゆる撮り鉄だ。

弥次さんは、そのカメラ小僧を撮影してみた。

〈横川駅前のおぎのや〉
   

〈峠の釜めし 荻野屋〉

〈重いけどお土産に持って帰った〉
おぎのやの釜めし

 やっと本日の目的地、横川駅に着いた。何度か買ったことのある、荻野屋の峠の釜めしの店がある。せっかくの本家本元荻野屋があるので、お土産にひとつ購入。値段は900円だが、容器が本物の焼き物だから異様に重い。

いつも思うのだが、この容器代はいくらにつくのだろう。どの家でも簡単に捨てられず、いつか役に立つこともあるかとしばらくとっておくのだが、結局邪魔になってすててしまうことになる。

よく歩いたのでビールでのどを潤したいのだが、横川駅にはビールを売っていなかった。仕方がないので、お茶を買って水分を補給する。

〈ビールを売っていない横川駅〉
次回はいよいよ碓氷峠越え

 新幹線ができるまで、軽井沢に行くにはこの横川駅を通ってアプト式の電車で急勾配を上ったのであるが、このように横川駅でぷっつりと線路がなくなっている。

ここから軽井沢に行こうと思えば、500円でバスが出ているそうだ。でも弥次喜多コンビは、次回バスに乗らずに碓氷峠を越えて軽井沢に行くことになる。

〈線路がなくなった横川駅〉
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