〈六日目〉 平成20年 6月7日 土曜日 晴れ 籠原〜深谷宿〜本庄宿
 一ヶ月ぶりに中山道歩きを思い立って、喜多さんと二人で出かけることにした。

前回は高崎線籠原駅で終了したので、その駅を目指す。
磯子駅の裏手の駐車場に車を置き、横浜で湘南ライナーに乗り換えるとちょうど籠原駅行きが滑り込んできた。
横浜からの中山道歩きにはこの湘南ライナーが本当に便利で助かる。
横浜から乗り換え無しで、中山道の各駅まで運んでくれるのだ。

9時半ころ籠原駅に着き、続きを歩き始める。
日差しが強いので、途中のドラッグストアーで日焼け止めクリームを買い求めた。
  
〈無残な街道沿いの樹〉
 前回も書いたが、このあたりの樹はかわいそうだ。
イチョウの大木の並木があったが、みんな一度枝まで全部切られたようで、横浜の日本大通りのイチョウと違ってぶかっこうにこんもりと葉だけが茂っている。

こんなに枝まで全部切ってしまってよいのだろうか。
これは個人の仕業ではないだろうから、市役所でやっていることだろう。
でも、よそ者はあえて何も言いません。

〈枝を切り払われて葉だけが茂っている〉
 平成18年まで、「見返りの松」というりっぱな松が残っていたようだが、枯れてしまったそうで、今は二代目がこじんまりと植えられていた。

あと100年か200年もすればりっぱな松になり、道行く人を楽しませてくれるだろう。

こう書けば街道のイチョウの大木の並木が、いかにかけがえのないものかわかるであろう。

〈二代目 見返り松〉
 昼飯にはちょっと早かったが、丸亀製麺といううどんやさんがあったので、ものは試しと入ってみることにした。

弥次さんはぶっかけうどんに野菜天、喜多さんはおろしうどんにキスの天ぷらという取り合わせで、昼食をすませる。

うどんはコシがあってうまかった。

〈丸亀製麺〉
【第9次 深谷宿 本陣1軒 脇本陣4軒 旅籠80軒 家数525軒 人口1928人の大きな宿だった】

〈岐阻街道 深谷之駅 英泉画〉
 中山道にはめずらしい常夜灯があった。

東海道を歩いているときには、宿場宿場に必ずといっていいほどあった常夜灯だが、今までの中山道には見当たらなかった。

もとは、街道を歩く人のために東海道も中山道もなくあった常夜灯だと思うが、中山道にこれほど残っていないということは、みんな壊して捨ててしまったということだろう。

〈深谷の常夜灯〉
  
 この深谷の商店街はなんとなく面白い。

路上に出たマネキンも面白いが、「鴨には、ネギがよくにあう・・・・太宰治」の看板が目を引く。
深谷名物 かもすき かもなべを食べたくなってくるではないか。
  
   
〈菊泉という造り酒屋さんのレンガ煙突がひときわ目をひく〉
 菊泉ブランドの滝澤酒造の創業は文久3年(1863)だという。

渋沢栄一は天保11年(1840)この深谷市に生まれ、第一国立銀行をはじめ多くの近代企業を設立した。
明治20年(1887)には、この地に深谷煉瓦製造株式会社を設立。
ドイツから輸入した最新式の釜を用いて、質の高いレンガを生産することに成功した。
東京駅や赤坂離宮などは、深谷産のレンガでつくられているそうだ。

この菊泉ブランドの滝澤酒造の煙突や建物もこの深谷産のレンガでつくられている。
レンガは保温性や保湿性に優れ、酒造りには大変適しているそうだ。

ということを、帰ってから菊泉のHPで知った。
  
  
 東京から80kmの標識がうれしい。
もう80kmも歩いてきたと見るべきか、まだ80kmと見るべきか。
東海道で80kmというと小田原宿あたりだろう。
中山道は今日で6日目だが、小田原を歩いたのは7日目だった。

本庄まであと8km。
6日間で約90kmだから、一日平均15kmというところだ。
なかなかいいペースだろう。
  
〈右の旧道へ〉
  
〈小山川にかかる滝岡橋〉
 久しぶりに車の往来の激しい道をはずれた旧道に入る。
今までの中山道はただっ広い関東平野にある道だからか、旧中山道がそのまま国道になっているところが多い。
このように、車もほとんど通らない道を歩くのは久しぶりだ。
このあたりは自然もたくさん残っていて歩いていても気持ちいい。
  
〈八幡大神社〉
 八幡大神社という神社で一休みすることにする。

説明板によると、この神社は建久年間(1195)児玉党の一族・牧西四郎広末が武運長久の守護神・
相州鎌倉の鶴岡八幡宮を奉遷して当所に祭ったものである・・・とある。
境内にはけやきの大木が何本もあった。
  
 これで埼玉県ともお別れだ。
次回はいよいよ群馬県に入ることになる。

結局、今まで歩いた埼玉県では唯一蕨宿だけが、中山道をアピールして雰囲気を残す努力をしていたように見えた。
せっかくの銀杏並木も丸裸にしてしまうし、これは住民というよりも行政の問題だろう。
中山道で経済の活性化がはかれるかと言われれば、それだけでは無理かも知れない。

しかし、東海道のいろいろな町では、古いものを残し整備し、道行く旅人を楽しませてくれた。
ここまで史跡がなくなっていれば、今さら作るのもわざとらしいし、何もやらないほうがましかも知れない。

しかし、街道の樹ぐらいはちゃんと残して欲しいと思う。

と・・・勝手な感想を述べて、本日は本庄駅から横浜に帰ることにする。
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