〈三日目〉平成20年4月5日 土曜日 くもり 浦和宿〜大宮宿〜上尾宿〜桶川宿

春休みの間に、東海道の蒲原宿〜由比宿と、金谷宿〜日坂宿を喜多さんと歩きなおしてきた。
さった峠と小夜の中山を喜多さんが歩いてなかったから、やはり東海道のハイライトは歩いて
おくべきだろうと、青春18きっぷを利用して歩いてきたのだ。

その18きっぷが半端に1日分残っていたので、使えなくなる前に有効利用しようと先週に引き続き
喜多さんと二人でまた中山道にやってきた。

浦和宿からスタート

 浦和宿の先週歩き終わったところから右に折れ、中山道の続きを歩く。

すぐ左手に街道資料館があったので、中山道のグッズでも売っているかと中に入ってみたが、ポスターが貼ってあるくらいで何かがあるわけでもない。


東海道丸子宿の「丁子屋」で買った、「東海道五十三次絵葉書」同様、「中山道六十九次絵葉書」がないものかと折々の資料館を訪れているが、いまのところどこにも売っていない。

〈古そうなお茶屋さん〉
野菜売りの像

 最初からゆっくりもしていられないので先を急ぐ。「あれ?おばあさんが野菜を持っている像があるよ。」という喜多さんの声に振り向くと、確かにサツマイモらしき野菜を持ち上げているご婦人がいる。

このあたりには昔から市場があり、野菜が売られていたようだ。喜多さんは「野菜を持ったおばあさんが銅像にしてもらえるのなら、私だって銅像になれる」と意気込んでいたが、誰も銅像にはしてくれないだろう。

〈果たして喜多さんは銅像にしてもらえるか〉
 
   
 

武蔵国一宮 氷川神社
 

 浦和橋を渡り、北浦和駅東口を通過し、与野駅を過ぎると左前方に大きな建物群が見えてきた。さいたま新都心駅だ。さいたまスーパーアリーナもここにある。

けやき並木の続く道を抜けると大宮駅の手前に大きな鳥居が見えてくる。氷川神社の一の鳥居だ。この参道は正式に定められた中山道ではないが、古い中山道になるらしい。

こちらのほうが面白そうなので、氷川神社の参道をしばらく歩くことにする。


〈大宮のけやき並木〉
【第4次 大宮宿 本陣1軒 脇本陣9軒 旅籠25軒 武蔵国一ノ宮大宮氷川神社の参道がかつての中山道】

〈木曾街道 大宮宿 冨士遠景 英泉画〉

〈本来の中山道を外れてかつての中山道(氷川神社参道)を歩く〉
 
      〈氷川神社の参道入り口〉
 〈新しい建物には新しい道標が〉
見事な参道

 この参道は、今まで歩いた参道の中でも最大級の大きさと長さだろう。立派なけやき並木と広い参道。

日差しの中でくつろぐ人々。大宮にもこんないいところがあったのかという失礼な感想を抱く。ただ、時間もないので神社への参拝はあきらめて、また中山道に復帰。

一人だったら秋葉原からこの大宮に移転した「鉄道博物館」に立ち寄ってみたいと思っていたが、電車に興味のない喜多さんに却下されたので、仕方なく続きを歩く。

〈みごとなけやき並木の参道〉
【第5次 上尾宿 本陣1軒 脇本陣3軒 旅籠41軒 飯盛り女が大勢いて賑わっていた】

〈木曾街道 上尾宿 加茂之社 英泉画〉
つまらない旧中山道

 中山道は、JR高崎線に沿って北西に続く。

宮原駅、上尾駅を過ぎてもほとんど見るべき史跡はない。この辺が同じく東京のとなりの県なのに、神奈川県と大きく違うところだ。神奈川県には街道沿いの史跡が多く残っている。これは残っているのではなく、残してあるといったほうが正しいだろう。

しかし、この道も歩かなければ中山道を歩いたとは言えないので、我慢して歩くしかない。

きっとこの先いいところがあるに違いない。

〈中山道の標識はあるが・・・〉
桶川宿で終了

 北上尾駅を過ぎ、桶川駅まで頑張って歩いて本日の中山道歩きは終了。

桶川と言えば、「ストーカー殺人事件」が思い起こされるが、あの事件以来、警察は民間人の訴えを無視することがタブーとなったようで、それまではやらないことを責められることがなかった警察も、すべきことをしなかったことで非難されるようになった。

警察の体質を少しは変えることに役立ったかもしれないが、殺された女性は帰ってこない。

〈江戸時代から続く武村旅館〉
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