〈二十九日目後半〉 平成22年9月23日 木曜日 雨のち曇り 今須宿〜柏原宿〜醒ヶ井宿
【第59次 今須宿 本陣1軒 脇本陣2軒 旅籠1軒 伊吹山の影響で雪に悩まされたという】

〈木曽海道六十九次之内 今須 広重画〉
今須峠(中山道)

 ここ峠の頂上は、山中の常磐御前の墓の入口より1000mの道程です。一条兼良はこの峠で「堅城と見えたり、一夫関に当たれば万夫すぎがたき所というべし」〈藤川の紀)としたためたように、この付近きっての険要の地でした。往時この付近には茶屋があり、旅人の疲れを癒すお休み処としてにぎわっていました。京方面に向かって200m、一里塚を眺め峠を下ると今須宿に入ります。関ヶ原町

とてもかつて賑わっていたとは思えない今須峠であった。

〈今須峠〉

〈今須宿一里塚跡をゆく〉

〈今須宿一里塚跡〉

〈今須宿に入った〉
懐かしの万年筆インクの看板が

 日本人が万年筆を持たなくなってどれくらい経つだろう。

弥次さん世代が中学生になった時のお祝いは、ほとんどが万年筆か腕時計だった。万年筆を持つことによって少し大人に近づいたような気がしたものだ。大橋巨泉がパイロット万年筆のCMで、「みじかびのきゃぷりきとればすぎちょびれすぎかきすらのはっぱふみふみ」と言っていたのは、昭和44年のことだった。

〈プラチナ万年筆インクの看板が〉

〈今須宿の問屋場を眺める〉

〈京都の河地屋が建立した常夜灯〉

〈ベンガラを塗った家〉

〈今須宿 中山道沿いの史跡〉
車返しの坂

 南北朝の昔、酔狂な人もいたものです。不破関屋が荒れ果て、板庇から漏れる月の光が面白いと聞き、わざわざ都から牛車に乗ってやって来ました。その御仁は二条良基という人。ところがこの坂を登る途中、屋根を直したと聞いて引き返したという伝説から、この名で呼ばれるようになったのです。関ヶ原町

〈車返しの坂〉

〈車返しの坂の地蔵さん〉

〈車返しの坂の地蔵さん〉

〈寝物語の里へ〉

〈岐阜県と滋賀県の県境 寝物語の里〉
寝物語の由来

 近江と美濃の国境は、この碑の東十メートル余にある細い溝でした。この溝を挟んで両国の番所や旅籠があり、壁越しに「寝ながら他国の人と話し合えた」ので寝物語の名が生まれたといわれています。
また、平治の乱
(1159)後、源義朝を追ってきた常磐御前が、「夜更けに隣り宿の話し声から家来の江田行義と気づき、奇遇を喜んだ」所とも、「源義経を追ってきた静御前が、江田源蔵と巡り合った」所とも伝えられています。寝物語は中山道の古跡として名高く、古歌等にもこの名が出ていますし、広重の浮世絵にもここが描かれています。

 ひとりゆく 旅ならなくに 秋の夜の 寝物語も しのぶばかりに
太田道灌

〈寝物語の里の由来〉

〈中山道 寝物語の里をゆく〉

〈中山道 楓並木 紅葉の頃にもう一度来てみたい〉

〈枯れてしまった楓の切り株〉

〈コスモスと近江路の中山道〉

〈歴史街道 中山道の碑〉

〈旧東山道〉
通行中の人へ一言

最近この付近で、エッチな人が出ます。
この道は小中学生の通学路になっています。
おかしな人を見かけたらすぐに110番してください。

柏原PTA 柏原駐在所


おかしな人を見かけたらすぐに110番しようと思ったが、残念ながらおかしな人には出会わなかった。

〈通行中の人へ一言〉

〈柏原宿へ入った〉
照手姫笠掛地蔵・蘇生寺と由来記

 中世の仏教説話、「小栗判官・照手姫」にまつわる伝承の地蔵である。常陸国小栗の城主小栗判官助重が毒酒のため落命の危機に逢いながらも餓鬼阿弥となり一命をとりとめる。これを悲しんだ愛妾照手姫は、夫助重を箱車に乗せ狂女のようになり懸命に車をひっぱってここ野瀬までたどり着いた。そして野ざらしで路傍に佇む地蔵を見つけ、自分の笠を掛けて一心に祈りを捧げたところ、地蔵は次のお告げをしたと聞く

立ちかえり 見てだにゆかば 法の舟に のせ野が原の 契り朽ちせじ

勇気を得た照手姫は、喜んで熊野に行き療養の甲斐あって夫助重は全快したことから再びこの地に来たり、お礼にお寺を建て石地蔵を本尊として祀った。これを「蘇生寺」という。しかし、下の絵にある照手姫と小栗判官はおぞましい姿だ。

〈照手姫笠掛地蔵・蘇生寺と由来記〉

〈夫助重を箱車に乗せて運ぶ照手姫と助っ人たち 大津瀬田の唐橋上〉

〈照手姫が建てた蘇生寺の石地蔵〉

〈ほっとする道 柏原宿の中山道〉

〈山中に雲を抱く伊吹山 中腹には雲がかかっている〉

〈柏原宿にはベンガラを塗った家が多い〉

〈吉村公三郎監督の若き日の思い出の橋監督作品 川口浩 野添ひとみ共演を生んだ とある〉
【第60次 柏原宿 本陣1軒 脇本陣1軒 旅籠22軒 伊吹山のヨモギを原料に作られるもぐさが名産】

〈木曽海道六十九次之内 柏原 広重画〉

〈撮影禁止だったので岸本豊さん著中山道69次を歩くより拝借〉

〈福助ともぐさの伊吹堂〉
福助ともぐさの伊吹堂

 前回歩いた時は日曜日で定休日となっていたので、今回は是非福助を見たいと思っていた。この福助は広重の絵にも登場する。
しかし、何と店をのぞくと女将さんらしき人が座っていたが、大きく「撮影禁止」とあるではないか。減るものじゃなし、もっとオープンにして観光客を喜ばせたらいいと思うのに。
仕方がないから、申し訳ないけど追分宿を歩いた時に買った、岸本豊さんの「中山道69次を歩く」から転載させていただいた。

右の建物は、6月に歩いた時にも立ち寄った柏原歴史館だ。旧中山道には珍しく喫茶店があるのでコーヒーとところてんでひと休みする。和泉式部は伊吹もぐさを引き合いに出して、つれない男を恨んだ和歌「けふも又かくや伊吹のさしもぐさ さらば我のみもえや渡らん」を残している。

〈前回も立ち寄った柏原宿歴史館 喫茶店でひと休み〉

〈柏原歴史館前をゆく〉

〈中山道柏原宿をゆく〉

〈柏原一里塚 復元したものだ〉

〈中山道柏原宿碑〉
北畠具行(ともゆき)の墓

 1331年後醍醐天皇が倒幕計画を立てると、具行も主要メンバーの一人となる。このときの計画は失敗したため、具行も鎌倉幕府軍に捕えられた(元弘の変)。翌1332年翌、京極高氏(佐々木道誉)によって鎌倉に護送される途中、幕府の命により近江国柏原で斬られた。処刑前に具行は高氏の丁重な扱いに感謝の意を述べたと伝わる。「ばさら」と呼ばれた高氏は、公家である具行も終始忌み嫌っていたが、死に臨んでの具行の態度には高氏も感服して、その別れを惜しんだと言う

吉川英治の私本太平記に出てくる場面なので、興味はあるのだが、墓は400mばかり山に入ったところなので、お参りはパスする。

〈北畠具行卿墓〉

〈相変わらずベンガラを塗った家が多い〉

〈桃は邪気を払い不老長寿を与えるという〉

〈右は旧中山道 左が後の中山道〉

〈うっそうと寂しい中山道を醒ヶ井宿に向かう〉

〈この曲がり具合がたまらなく良い〉
 今日は関ヶ原宿から今須宿、柏原宿と歩いてきたが、見所が多く紹介写真も多くなってしまった。
この先は醒ヶ井宿に入ってゆくが、醒ヶ井も見どころの多い宿である。

〈この先を左に入ると旧中山道〉
鶯ヶ端(うぐいすがはた)

 ここからは特に西方の眺めがよく、はるか山間には京都の空が望めるというので有名で、旅人はみな足を止めて休息したという。平安時代の歌人で中古三十六歌仙の一人、能因法師も

たびやどり ゆめ醒ヶ井の かたほとり 初音もたかし 鶯ヶ端 

と詠んでいる。
今の鶯ヶ端はすぐ上を阪神高速道路が通り、高い建物に遮られて何も見えない。

〈鶯ヶ端跡〉
【第61次 醒ヶ井宿 本陣1軒 脇本陣1軒 旅籠11軒 日本武尊が正気に戻ったという居醒の清水】

〈木曽海道六十九次之内 醒ヶ井 広重画〉
 醒ヶ井宿に入った。

醒ヶ井は古代には東山道が通り、鎌倉時代から江戸時代にかけて、宿駅の機能を果たした交通の要衝であったという。それにしても、午前中に降った雨が気温を下げたのだろうが、昨日までの暑さが嘘のように涼しい。涼しいというより寒いくらいだ。気温はたぶん17℃くらいのものだろう。

半そでしか持ってこなかった弥次さんは、喜多さんの雨具を借りて肌寒さをしのぐ。  

〈醒ヶ井宿に入った〉
   

〈ベンガラ塗りの多い家並みの醒ヶ井宿をゆく〉
 日本武尊が清水で覚醒した「古事記」の伝承から『醒井』の名がついたという醒ヶ井宿。梅花藻(バイカモ)とハリヨという魚がこの醒ヶ井の名物らしい。「バイカモとは、キンポウゲ科の沈水植物で、水温15℃前後の澄んだ湧き水を好み、川の水底に群生し流れに沿って這うように育つ鮮やかな緑色をした多年生水草で、初夏から晩夏にかけて水面上に梅花様の白い花が咲く。

バイカモに寄生する水生昆虫は、ハリヨの好物であり、バイカモが繁殖することにより急流をさえぎり、ハリヨの巣作り・産卵に絶好の場所を提供している。」
とあった。

〈居醒の清水〉

〈加茂神社 醒ヶ井の産土神〉

〈これがバイカモ〉

〈よく見ると小さい白い花が咲いている〉

〈御葉附銀杏(おはつきいちょう)の説明板 国天然記念物〉

〈これが了徳寺の御葉附銀杏〉

〈十王水の説明と石碑〉
 午前中の雨がお昼前にはすっかりあがり、歩くには快適な天気になった。

本日の行程は13km程度でたいした距離ではないのだが、見所が多く写真もたくさん撮ってしまった。せっかく撮ったからたくさん載せてしまったが、今回でHPのサーバーを無料で提供してもらっている契約容量を超えたらしく、転送ができなくなってしまった。

何とか方法を見つけて続きを読んでもらいたいと模索中だ。

※その後、プロバイダの好意なのか規約が変わったのか、無料でかなりの容量を受け入れてもらえているようなので、旅のHPを続けていられています。


〈醒ヶ井郵便局〉

〈夕焼けの醒ヶ井駅から見る伊吹山〉
ポータルサイトに戻る 目次
inserted by FC2 system