〈二十日目〉 平成21年 9月12日 土曜日 雨 野尻宿〜三留野宿〜妻籠宿
 
〈野尻駅から飯盛山方面を望む 今日歩く方向だ〉
 9月初の5連休(シルバーウィークというらしい)は、5月の連休並みの渋滞に違いないと見当をつけ、1週間前に野尻宿からの続きを歩くことにした。

今回の終点、中津川の『中山道歴史資料館』(中央公民館)の駐車場に車を置かせてもらい、電車で野尻駅までやってきた。
乗車時間は27分、電車代は480円。
その27分、480円分の距離を2日かけて歩くのだ。

天気予報は、ずっと晴れの予報だったのに、2日くらい前から無情にも雨マークに変わってしまった。午後から雨が強くなるという予報なので午前中になるべく距離を稼ぐつもりだ。

野尻駅は無人ではなかったが、駅員さんが一人いるだけで改札もしていない。

〈野尻駅ではもう小雨が〉
 前回、6月20日に歩き終えたのは、この旅籠庭田屋の前だった。
約3か月振りに中山道に復帰する。

先日たまたまテレビで「男はつらいよ」を見ていたら、旅先のバスの中で出会った寅さんとヒロシのお父さん(志村喬)が、この庭田屋に泊って酒を飲んでいた。

こういう発見があるから街道歩きは面白いね。

〈旅籠 庭田屋〉

野尻宿

野尻宿は木曽十一宿のなかでも旅籠茶屋など三十余軒をもって繁盛した場所である。
野尻宿の特徴は外敵を防ぐため、「七曲り」として知られ、ここが西のはずれでこの家の屋号も「はずれ」という。


かつては繁盛したと書いてあるが、説明板も古びてしまっている。

〈「はずれ」という屋号の家を振り返る〉
一旦停止

 このあたりの家のほとんどの玄関が旧中山道に面していて、この道路は車もひんぱんに通っているが、子供の飛び出しを防ぐ工夫に感心した。

すべてに家の玄関先に、黄色で目立つように足跡のマークが描かれている。
玄関を出たらここで一旦停止するんだよ、と教えているのだろう。

〈家々の玄関先に足のマークが〉

〈雨は降るそばから水蒸気となって天に帰る〉
飯盛山

 正面に富士山のような「飯盛山」が見えてきた。

今は飽食の時代で飯をこのように山盛りにして食べる人などいないだろうが、この山の名前を付けたころは飯を山盛りにして食べられるのが夢だったのかも知れない。

このあたりを歩いても田んぼはほとんど見ることができない。
第一木曽谷には平らな土地がほとんど見られない。だから、米の飯を山盛りにして腹いっぱい食べられる人は、この地方では少なかったことだろう。

〈正面に見えるのが飯盛山〉

〈中山道がいい感じでくねる〉
 
中山道には蔵が似合う〉
 
〈踏切の表示は「仲仙道」〉                                           〈中央本線に花が映える〉
  
〈梅の木と亀〉                                           〈雨に煙る中山道〉
  
〈中山道は国道と中央本線を越える〉                 〈でも行き止まり〉                  〈しかしちゃんと地下道があった〉
 国道19号線と中央本線を越えた先の右の道が旧中山道なのだが、フェンスで行き止まりになっている。
「強行突破」という言葉も浮かんだが、フェンスをよじ登って線路を越えるのは50過ぎの大人のやることではない。

そう思っていると、喜多さんが地下道を見つけてくれた。
フェンスも新しそうだし、前に歩いた人のホームページなどでは、線路を渡ったように書いてある人もいるから、割と最近できた迂回路なのだろう。

無事に線路の反対側に出てしばらく歩くと「十二兼」に着いた。このバス停でもよかったのだが、少し先に駅があるのでしばし休憩。

雨が少し強くなってきた。

〈十二兼バス停〉

〈雨に煙る木曽川〉
 
                                               〈明治天皇御小休所〉

〈寝覚ノ床に似た風景が続く〉

〈このあたりはかつて木曽街道最大の難所といわれた羅天のかけはしのあったところ〉
 
歩道の下は空洞になっているところも、よくこんな所に道を作ったと感心する〉
居眠り防止装置

 何やらブザーのような音が先ほどから聞こえている。
何かと思えば、居眠り防止装置の標識が。

どのような仕組みになっているのか、スピーカーから聞こえる音は窓を閉めて走っている車の運転手に聞こえているのかどうか不明だが、もしかして科学的に運転手に聞こえるような特殊の周波数を使っているのかも知れない。

〈居眠り防止装置〉

〈羅天を走る中央本線の特急〉
クルミの木

 歩道に何やら大きな木の実がいっぱい落ちている。

喜多さんいわく、これはクルミの木なのだそうだ。
殻がついたクルミは見たことがあるが、木になっているクルミなど見たことがなかった。

弥次さんは、この年になるまでクルミというものはあのままの形で木になっているのかと思っていた。

〈喜多さんがクルミの木を発見〉
 喜多さんは例によって好奇心が旺盛だから、持って帰って食べてみたいという。

道に落ちているものや、手の届くところにある木の実をいくつか失敬して持ち帰ることにする。

でも本当に食べられるの?

〈これがクルミの実なのだそうだ〉
 木曽川の景色とクルミの採集に気をとられて、右側ばかり見ながら歩いたものだから、三留野に向かう旧道を見逃してまっすぐに国道を歩いてしまった。

地図には「金知屋」の先を左に入る・・・とあったので、「金知屋」とは何かのお店に違いないと思い込んでいたのも失敗のもとだった。

「金知屋」とは、木曽川の対岸にある集落の名前だったのだ。

雨の中をおよそ1kmも引き返して、正しい旧中山道に入った。
この先が三留野宿になる。

〈三留野宿へはこの道を左に〉
【第41次 三留野宿 本陣1軒 脇本陣1軒 旅籠32軒 木曽路最大の難所であった羅天の桟のあったところ】

〈木曽海道六十九次之内 三留野 広重画〉
 三留野は東山道時代からの古い宿駅で、その昔木曽氏一系の館があり、それを御殿(みとの)と言ったことから
宿場の名前になったのだそうだ。
羅天と呼ばれた木曽川沿いの断崖には、棚のように「かけはし」が架けられていたが、広重はのどかな
麦畑の家族を描いている。

〈南木曽駅まで1.1km〉

〈三留野宿脇本陣 宮川家〉
 三留野宿は明治14年(1881)の大火で全焼し、現在残っている建物はすべてそれ以降のものなのだそうだ。

中山道では、火事で宿場が全焼したという宿が多い。
和田宿もそうだったし、贄川宿もそうだった。

木の家であることにくわえ、煮たきも風呂もすべてまきを使ってせざるを得なかったから、強風の日などひとたまりもなかったことだろう。

この本陣には明治天皇も休まれたという。

〈三留野宿本陣跡〉

〈ちゃんと灯りのともった常夜灯〉
 東海道や中山道で何十もの常夜灯を見てきたが、ちゃんと灯りをともしている本当の意味での常夜灯は初めて見た。

街灯のない江戸時代、薄暗い街道を歩く旅人にとって、常夜灯は心強い道しるべだったことだろう。

左を見ると川が階段になっている。
このあたりの川は緩やかに流れないから、このようにコンクリートで固めてしまわないと、土をみんな流してしまうのだろう。
 蛇抜橋という変わった名前の橋は、木でできている。

いくら木の町だといっても、橋の両側の道路がアスファルトなのだから、別にそこまでこだわらなくてもと思うが、これも木曽ならではだろう。

滅多に車も通らない橋に、ちゃんと別に歩道が作られているのがうれしい。

〈木の橋 蛇抜橋〉

〈南木曽駅前の木の集積場 向こうに見えるのは桃介橋〉
 
〈南木曽駅にとまる貨物列車〉                                        〈SL公園のD51 かつてはD51が南木曽も走ったのか〉
鬼門除け

 この方角は鬼門にあたるのか、「鬼門除け」の石碑があった。
街道を歩いていて「鬼門除け碑」を見るのは初めてのことだ。

鬼門(きもん)とは、北東(艮=うしとら)の方位のことで、陰陽道では鬼が出入りする方角であるとして、万事に忌むべき方角としている。

平安京では鬼門の方向に比叡山延暦寺が置かれ、江戸では上野の寛永寺が置かれた。

我が家の鬼門の方向には・・・・小さな小さな畑があるだけだ。
何か祠でも祀ったほうがよいのだろうか。

〈鬼門除け〉
 相変わらず雨は降り続いている。

しかし、予定を早めて早くから歩き始めたことは大正解だった。
その答えは後でわかる。

〈いい感じの妻籠へ続く中山道〉

〈民家にあった水車〉
振袖松

 かぶと観音の境内には、木曽義仲が弓を引くのに邪魔になるので、巴御前が袖を振って倒した「振袖の松」や、義仲が腰かけた「腰掛石」が残されています、という説明板が入口にあった。

しかし、境内に入ると、その「振袖の松」が最近倒れたので、その松を水舟にしたとの説明板もあった。

よくわからない。巴御前が倒したのなら、遠くの昔に朽ちていることだろう。

〈振袖松で作った水舟〉

〈義仲がカブトを置いたというカブト石〉

〈カブト観音〉
 戦沢橋を渡りしばらく行くと、このような緑深い所に変わった家があった。

通行人に見せるためにわざと見えるように置いてあるのだろうが、ちょっと不気味な彫刻が何体も置いてある。

しかも、脈絡もなく木の風呂桶が置いてあり、手前には「皇女和宮御使用のお風呂」と明記してある。

本当なのですか?と聞いてみたかったけど家の人は誰もいない。

〈戦沢にかかる戦沢橋〉
  
〈不思議な家だった 不気味な彫刻のそばに皇女和宮ご使用のお風呂と書かれた説明板が〉

 上久保の一里塚、町内には十二兼、金知屋、上久保、下り谷の4か所に一里塚があったが、現在原形をとどめているのはこの上久保の一里塚だけだそうだ。

江戸から数えて78番目の一里塚というから、約312kmを歩いてきたことになる。

〈上久保の一里塚 江戸から数えて78里目〉
 木曽路にて 

 この暮れの もの恋しきに わかくさの 
   妻呼び立てて 小牝鹿鳴くも


この歌は手まり上人と言われた良寛が木曽路を通った折に
詠まれた2首のうちの1首です。・・・とある。

〈良寛碑〉

〈舗装道路から外れて正しい旧中山道に入る〉

〈妻籠城址碑と案内板〉
 もうすぐ妻籠宿だ。

雰囲気の良い旧道が続く。
しかし、雨は降り止まない。

〈妻籠宿はもうすぐ〉

〈田んぼと中山道の標識〉
【第42次 妻籠宿 本陣1軒 脇本陣1軒 旅籠31軒 昭和51年全国初の国重要伝統的建造物保存地区に】

〈木曽海道六十九次之内 妻籠 広重画〉

〈妻籠宿に入った〉
 
〈鯉ヶ岩の由来〉                             〈鯉ヶ岩も今は鯉には見えない〉
鯉ヶ岩

 鯉ヶ岩は、文字通り鯉の形をした大岩だったらしいが、明治24年の美濃大地震で形が変わって
しまったのだという。今となっては単なる岩にしか見えない。

〈口留番所跡 道行く人を監視していた〉

〈妻籠宿の高札場と水車〉
 やっと妻籠宿にたどり着いた弥次喜多道中は、五平餅でも食べようと「やまぎり」という店に入った。
この店は、昨年平塚のお母さんと3人で来た時にも入った店だ。
店に入ったとたんに屋根を打つすさまじい雨音が聞こえてきた。
このあたりが、弥次さんの晴れ男たる所以だろう。今日は晴れてはくれなかったが、店に入ったとたんに
歩けないほどの雨が降ってきた。しばし五平餅と甘酒で雨宿り。

〈すさまじい雨の妻籠宿〉
阪本屋

 あまやどりをした「やまぎり」から100m程で、本日の宿阪本屋に着いた。少し早いかと思ったが、宿に入ることにする。

雨に濡れた体を温めたい。

部屋に通された弥次喜多道中は、着ていた服をみんな脱いで干すことにした。二部屋続きの部屋だったが、それぞれのエアコンを暖房にして、ズボンもシャツもタオルもみんな乾かす。

〈本日の宿阪本屋〉
 檜風呂であたたまり、夕食を済ませてもまだ6時だ。

7時半頃に太鼓の音が聞こえてきた。
妻籠の郷土芸能などを観光客に見せているのだそうだが、喜多さんは完全にグロッキー状態だ。

弥次さんは是非見物に行きたかったのだが、濡れたズボンも乾かしている最中なので断念した。

今回の中山道歩きの唯一の心残りだ。

〈阪本屋の夕食〉
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